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「受けた恩の恩返しは、若い人に」by 田中利典師

2019年02月11日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)で種智院大学客員教授の田中利典師が、ご自身のブログとFacebookに発表された書き下ろしエッセイの第3弾を紹介する。
(第1弾は、こちら。第2弾は、こちら)。
※トップ写真は、師のFacebookから拝借した

書き下ろし第3弾…「恩返し」について考えてみた。あまり深い話ではないが、私自身の心情である。

「受けた恩の恩返し」
若い頃から多くの方々のお世話になった。そんなみなさんのおかげで、いまの自分がある。ようやく恩返しが出来るようになりかけた頃、その恩人たちは一人、二人と先に逝く。まだ、なにも恩返しらしい恩返しなど出来ていないのに、心ならずも見送ることになる。父や母や先生たち…。申し訳ないばかりである。

人は自分が受けた恩と同じだけのものを、その恩人に返すことは出来ない。だからこそ、自分のあとに続く人たちに、自分が受けた万分の一でも、恩返しのお世話をする。いや、お世話をさせていただくのである。人のお世話の見返りなど求めない。求められない。自分も又、見返りを求められなかった恩の、恩返しなのであるから。

ことわざに「情けは人の為ならず」というのがある。最近の若い人は、これを誤用していると聞く(文化庁の調査データ)。情けは人の為ならずとは、「人に情けをかけるとそれがめぐりめぐって自分のためにもなる」というほどの意味だが、「情けをかけるのは、かえってその人のためにならない」と理解している人が半数もいるというのだ。人間関係が希薄になりつつある現代社会らしい理解の仕方なのかもしれないが、いまの世の中、なんだか、いろいろ世知辛い。

「情けは人の為ならず」とは、「受けた恩の恩返しで人に情けをかける」とするなら、人と人との絆はもっと優しく、もっと深くなるのではなかろうか。


私は昨年、楠木新著『定年準備』(中公新書)という本を読んだ(ベストセラー『定年後』の続編)。そこに、こんなくだりがあった。

若い人に何かを与えること、何かを伝えることを検討すると、やはり自分を助けることにつながるかもしれない。「(定年後に)元気な人は同期で1割5分」と発言した、私が信頼している先輩に、その元気な人たちは何をしているのかと聞くと、在職中に転身して大学などで教えている人、出向先から若い人の面倒を見る組織の理事に就任している人、かつて取り組んだ楽器の演奏を現役の学生と一緒に再び学び始めた人などだという。やはり若い人に何かを与えていると考えることができる。

過去に父母や師から受けたご恩の恩返しとして、若い人のお世話をする。これはいい。若い人を前にしていると、気力も充実してきそうだ。今年はこのような方向で「アウトプット」(知識やノウハウなどの提供)に努めたい。
コメント (2)
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