tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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「情報と物語」by 田中利典師

2019年02月22日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)で種智院大学客員教授の田中利典師が、ご自身のFacebookに発表された書き下ろしエッセイの第7弾を紹介する。
※トップ写真は、南都銀行・奈良県共催「第8回観光力創造塾」(2017.7.19)

「情報と物語」
今は情報過多な世界である。私もテレビを見るし、パソコンやスマホなどを使いこなすなど、情報取得のツールを使うから、朝から晩までたくさんの情報を得ている。でもよく考えるとそれらの情報はさほど必要としないものばかりなのではないだろうか。

例えば朝からテレビを見ていていつも思う。一生に一度も行かないような、モスクワの天気とか、リオデジャネイロの天気予報を毎朝やっているわけで、そんなもの、ほとんどいらない。行きもしない外国の天気より、よほど、今日の奥さんの機嫌の予報をしてほしいくらいである。どっちがいまを生きていく上で必要なのか。

しかしながら、我々は必要な情報よりも、いらない情報ばかりを朝から晩まで、もうあふれるほどに与えられている。芸能人が誰々と付き合っているとか不倫したとか、どこかのアホがバイト中におふざけをした話とか、そんなことはさほど重要な問題ではないし、生きる糧にもならないわけだが、そういったしょうもないことがらも含めて、異常なほどの情報過多の時代を生きていると言えるだろう。

考えてみよう。情報というのはいくら得ても何にもならない。実は情報が知恵になり、生きる力になるのは、その情報が自分にとっての物語になった時なのである。そのときに初めて、自分の中でその知ったことが意味を成してくる。

わかりやすい例をあげると、トイレの花子さん…のお話。トイレにはいろんなものがあり、それはそれはたくさんの情報が行き来しているが、トイレに「トイレの花子さんが出る」っていう話を聞いたとたんに、おぞましいほど、トイレに行くのが怖くなる。

卑近な例だが、ともかく、情報過多の世界に生きていく我々にとって、これからは自分が得た情報をどう自分の中で物語としていくか。そういうことを心がけて暮らすことが大事だと思っている。


スマホを手に取ると、さして関心のないニュースがトップ画面に出ている。新幹線に乗ると、延々と文字ニュースが目に飛び込んでくる、昨夜(2/21)の北海道の地震のようなニュースは別であるが。あふれる情報の中で溺れないよう、心しなければならない。
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