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田中利典師の「修験道といま(5)神仏和合の再興」(読売新聞) 

2023年09月09日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「修験道といま(5)神仏和合の再興」(師のブログ2013.7.24 付)、読売新聞夕刊(2008年8~9月)に連載されたエッセイの最終回だ。タイトルの「神仏和合の再興」は、この年に発足した日本最大の霊場会「神仏霊場会」を指す。現在、伊勢神宮(内宮・外宮)と、152の社寺が所属し、様々な活動を展開している。では、全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)

連載・「修験道といま(最終回)神仏和合の再興」 

5年前に書いた読売新聞の記事最終回です。

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「修験道といま(5)神仏和合の再興」 

お正月には初詣、子どもが生まれれば宮参り、お彼岸やお盆には墓参りをして、結婚式は神式かキリスト教の教会へ。そして葬儀はお坊さんを呼ぶ。また家庭には仏壇と神棚が違和感なく祀られる、それが日本人の宗教事情なのだが、欧米の人たちからみればそんなごった煮ような宗教姿勢は奇異に映り、不思議がられる。

いや近頃では日本人自身が自分たちのことを「無宗教だ、無信心だ」と言いだす始末。どうやらもともと多様な形で継承されてきた日本人の宗教心を日本人自身が見失ったようだ。

こうなったのには理由がある。我が国は仏教伝来以来、千年以上にわたって神と仏を分け隔てなく拝んできた。ところが、明治政府が行った神仏分離政策によって、融合していた神と仏が分けられてしまったのである。実はこの政策による一番の被害者が修験道であった。

修験道は八百万の神と、八万四千の法門から生ずる数々の仏たちを、等しく拝する日本独特の民俗宗教である。この修験道が神仏分離によって一時禁止された。そして修験道の禁止から、わずか140年の間に、神社もお寺も別々のものとなり、この国の人たちは神と仏を別物と考えるようになった。あれもよいこれもよいと異なるものであっても分け隔てしない修験道的な、そして日本人的な信仰心が忘れ去られてきたのである。

しかしようやくもともと持っていた多様な信仰心への回帰がはじまったようだ。それは修験道の山修行に集う人々にも見て取れる。たとえばこの夏の修行に参加した人たちの多種多様性は、極めて面白い。天台宗、真言宗、日蓮宗、浄土宗など伝統寺院の僧侶、そして権禰宜職にある神職や教派神道の教師さんたちが、私たち山伏と一緒になって、神も仏も隔てなく拝み、汗をかきかき山の行に没頭するのである。

あるいは、平成16年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として吉野大峯地域がユネスコ世界文化遺産に登録されたが、これこそこの地が持つ神仏混淆の日本的多様性と、修験信仰の聖地性が世界に認められたからだと言えよう。

また神仏分離そのものが、神道界側からも仏教界側からも大きく見直され出した。平成20年9月8日に、日本最大の霊場会が正式発足した。これは伊勢神宮を中心に、京都・奈良・大阪・滋賀・和歌山・兵庫のいわゆる西国各地に点在する150もの大寺・大神宮・大社が網羅された巡礼の会「神仏霊場会」であるが、これこそ神仏混淆の再興である。明治以後140年を経て、ようやく神仏分離の見直しに神社とお寺が手を携え始めたのである。

近代化の行き詰まり、グローバル化への抵抗が、神仏混淆に代表される多様な価値観を再評価させつつある。修験道への関心の高まりも実はその辺に起因するのでは…と私は密かに思っている。(読売新聞2008年8~9月掲載)

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ここしばらく吉野を留守にしていたので、最後の文章の掲載がずいぶん遅くなりました。まあ、そんなに期待して読んでいただいていたわけではないので、関係ないでしょうが…。ともかく、これで読売新聞紙上での掲載文は終わりです。
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