今日の「田中利典師曰く」は、「吉野の桜と蔵王権現」(師のブログ 2014.1.24 付)である。ここで利典師がお書きのように、〈吉野の桜は、今、危機的な状況を迎えつつあります〉、しかし〈保護活動はまだまだ道半ば〉である。吉野山の桜が危機的な状況にあるのには、様々な原因がある。桜の高齢化、密植しすぎたこと、有害キノコの繁殖、自然災害など。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/31撮影)
私は最近は毎年、花の時期に吉野山を訪ねるが、樹勢の衰えを痛感している。一般財団法人「22世紀吉野桜を愛でる会」は、献木(1本5万円)や育成資金(1口1万円だったが今は制限なし)を募っている。私も協力させていただいたが、ぜひ多くの方にご支援・ご協力いただきたいと願う。では、利典師の全文を紹介する。
「吉野の桜と蔵王権現」
大和ハウスさんに、吉野の桜保護の運動にお手助けをいただいている。「サクラエイド活動」である。その一環として、昨年末に「さくら」と題するカラー写真満載の小冊子が出た。窪塚さんや江森さんたちの写真に混じって、私の記事も載っている。以下、拙文だが、紹介したい。
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「吉野の桜と蔵王権現」 金峯山寺 田中利典
日本各地に桜の名所は数多くありますが、その筆頭はやはり吉野山でしょう。その吉野山の桜は、決して、観光地や名所地にしようとして植えられたものではありません。すべて金峯山寺の御本尊蔵王権現様に献木されたお供えの「生きた花」なのです。
1300年の昔、我が国固有の民俗宗教・修験道の開祖とされる役行者が、金峯山上で一千日の修行をされた末、蔵王権現という修験道独特の御本尊を祈り出されました。そしてそのお姿を山桜の木に刻んでお祀りされたのが金峯山寺の始まりであり、以来、山桜は蔵王権現のご神木とされました。
役行者は「桜は蔵王権現の神木だから、伐ってはならぬ」と里人に諭されたといわれ、吉野山では「桜は、枯枝さえも焚火にすると罰があたる」といって、大切に大切にされてきました。江戸時代には「桜一本首一つ、枝一本指一つ」といわれるほどに、厳しく伐採が戒められたのです。
桜とはそもそも神聖な木で、古来、霊を鎮める霊力があると信じられてきました。サクラという言葉は、「サ+クラ」に分解できます。サは、五月(サツキ)のサ、早苗(サナエ)のサと同じで、稲を実らせる穀物の霊です。クラは、磐座(イワクラ)のクラで、神が降りてくる場所という意味をもちます。したがって、サクラ全体では、「稲の穀霊が降りてくる花」ということになります。日本人にとって満開の桜は、稲の霊の依代(よりしろ)でもあるのです。
ところで、今、日本にある桜の名所の大半は、もともと各地に自生していた桜ではなく、明治初期に品種改良によって誕生した「ソメイヨシノ」です。人が楽しむために植えられた桜なのです。しかし吉野の桜は蔵王権現のご神木であり、神仏に供えられたものとして1,000年以上にわたって守り伝えられてきました。蔵王権現の聖地を荘厳する桜なのです。
現代社会に生きる私たちは、なにかというと、人間を中心した生活を送りがちです。自分の都合のみを優先させる時代といえます。しかし古来の日本人の営みは、自然と共に生き、自然の恩恵と脅威の中で暮らしてきました。決して人間中心ではなく、自然と共生し、共死してきたのです。だからこそ、自然の中に宿る神を祀り、仏を尊んできたのでした。いわゆる大自然と共に生きてきた日本人の心が、桜をご神木と敬い、権現への信仰の象徴を生んだといえるでしょう。
吉野の桜は、今、危機的な状況を迎えつつあります。その吉野の桜を守ることは、花を穀霊の依代としたように、自然の中に神を見、仏を感じてきた日本人の心そのものを守る営みに繋がることと確信をしています。
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いろんなところで、桜の話はしているが、私の思い込みの部分も大きい。しかし、怖れず話をしていきたいと思っている。保護活動はまだまだ道半ばである。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/31撮影)
私は最近は毎年、花の時期に吉野山を訪ねるが、樹勢の衰えを痛感している。一般財団法人「22世紀吉野桜を愛でる会」は、献木(1本5万円)や育成資金(1口1万円だったが今は制限なし)を募っている。私も協力させていただいたが、ぜひ多くの方にご支援・ご協力いただきたいと願う。では、利典師の全文を紹介する。
「吉野の桜と蔵王権現」
大和ハウスさんに、吉野の桜保護の運動にお手助けをいただいている。「サクラエイド活動」である。その一環として、昨年末に「さくら」と題するカラー写真満載の小冊子が出た。窪塚さんや江森さんたちの写真に混じって、私の記事も載っている。以下、拙文だが、紹介したい。
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「吉野の桜と蔵王権現」 金峯山寺 田中利典
日本各地に桜の名所は数多くありますが、その筆頭はやはり吉野山でしょう。その吉野山の桜は、決して、観光地や名所地にしようとして植えられたものではありません。すべて金峯山寺の御本尊蔵王権現様に献木されたお供えの「生きた花」なのです。
1300年の昔、我が国固有の民俗宗教・修験道の開祖とされる役行者が、金峯山上で一千日の修行をされた末、蔵王権現という修験道独特の御本尊を祈り出されました。そしてそのお姿を山桜の木に刻んでお祀りされたのが金峯山寺の始まりであり、以来、山桜は蔵王権現のご神木とされました。
役行者は「桜は蔵王権現の神木だから、伐ってはならぬ」と里人に諭されたといわれ、吉野山では「桜は、枯枝さえも焚火にすると罰があたる」といって、大切に大切にされてきました。江戸時代には「桜一本首一つ、枝一本指一つ」といわれるほどに、厳しく伐採が戒められたのです。
桜とはそもそも神聖な木で、古来、霊を鎮める霊力があると信じられてきました。サクラという言葉は、「サ+クラ」に分解できます。サは、五月(サツキ)のサ、早苗(サナエ)のサと同じで、稲を実らせる穀物の霊です。クラは、磐座(イワクラ)のクラで、神が降りてくる場所という意味をもちます。したがって、サクラ全体では、「稲の穀霊が降りてくる花」ということになります。日本人にとって満開の桜は、稲の霊の依代(よりしろ)でもあるのです。
ところで、今、日本にある桜の名所の大半は、もともと各地に自生していた桜ではなく、明治初期に品種改良によって誕生した「ソメイヨシノ」です。人が楽しむために植えられた桜なのです。しかし吉野の桜は蔵王権現のご神木であり、神仏に供えられたものとして1,000年以上にわたって守り伝えられてきました。蔵王権現の聖地を荘厳する桜なのです。
現代社会に生きる私たちは、なにかというと、人間を中心した生活を送りがちです。自分の都合のみを優先させる時代といえます。しかし古来の日本人の営みは、自然と共に生き、自然の恩恵と脅威の中で暮らしてきました。決して人間中心ではなく、自然と共生し、共死してきたのです。だからこそ、自然の中に宿る神を祀り、仏を尊んできたのでした。いわゆる大自然と共に生きてきた日本人の心が、桜をご神木と敬い、権現への信仰の象徴を生んだといえるでしょう。
吉野の桜は、今、危機的な状況を迎えつつあります。その吉野の桜を守ることは、花を穀霊の依代としたように、自然の中に神を見、仏を感じてきた日本人の心そのものを守る営みに繋がることと確信をしています。
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いろんなところで、桜の話はしているが、私の思い込みの部分も大きい。しかし、怖れず話をしていきたいと思っている。保護活動はまだまだ道半ばである。