「校閲」という仕事をご存じだろうか。〈文書や原稿などの誤りや不備な点を調べ、検討し、訂正したり校正したりすること〉(デジタル大辞泉)。2016年、石原さとみ主演で「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」(日本テレビ系)というドラマをやっていたので、ご覧になった方も多いことだろう。WEBザテレビジョンには、
宮木あや子の小説をドラマ化。ファッション誌の編集者になるべく出版社に入社しながら、小説の原稿などを校正する「校閲部」に配属された河野悦子(石原さとみ)が、驚異の集中力と行動力を駆使し、文章中に登場するさまざまな事柄を調べ上げていく姿を描く。
私は毎日新聞校閲センター著『校閲至極』(毎日新聞出版刊)を読んで、気になったところを奈良新聞「明風清音」欄に「日本語は難しい(2)」として紹介した(2023.9.21付)。では、全文を抜粋する。
日本語は難しい(二)
「日本語は難しい(一)」(2021年12月16日付)を書いてから、2年近くが経った。最近になって毎日新聞校閲センター著『校閲至極』(毎日新聞出版刊)を読み、目からウロコが落ちた。
版元の紹介文には〈誰にでも読みやすく正確に伝わることを目指す「新聞の日本語」や、校閲の技術、文字や言葉の話題を発信している校閲記者たちの傑作コラム74編。誤字や不適切表記と格闘する日々の中、「校閲」の視点でさまざまな題材を面白く、あるいは深く鋭く解く〉。私の印象に残ったところを、以下に抜粋しておく。
▼「耳障り」と「耳触り」
「耳障り」は、「聞いていて気にさわること」。「耳触り」は「聞いた感じ、耳当り」。だから、「耳障りがよい」は誤用である。
▼「追及」「追求」「追究」
「追及」は「追い詰める」(犯人を追及)、「追求」は「追い求める」(目的を追求)、「追究」は「追いきわめ、明らかにする」(真理を追究)。
▼「檄(げき)」と「喝」
「檄を飛ばす」は「自分の考えや主張を広く人々に知らせて同意を求める」こと。だから「激励」の意味で使うのは望ましくない。「励ます」「鼓舞する」「奮起を促す」とする。「喝を入れる」は「大声で叱ったり脅したりすること」(一喝や恐喝の「喝」)。「活力を失っている人に刺激を与えて元気づける」という意味なら「活を入れる」とするか、「鼓舞する」と言い換える。
▼サワラは「白身魚」?
文字通り春を告げる魚、鰆(サワラ)の身は淡いピンク色をしているが、白身魚か、赤身魚か。正解は「赤身魚」。魚は、ミオグロビン(赤いたんぱく質)など、筋肉色素の含量により、赤身魚と白身魚に分けられる。回遊魚のマグロは赤い筋肉に蓄えた酸素を使い、広い海を泳ぎ続ける。他方の白身魚は移動範囲が狭く、瞬発力に優れた白い筋肉を使って餌を取ったり、危険から逃れる。回遊魚であるサワラの肉はマグロに近く、赤身魚に分類される。
▼「チーター」と「チータ」
アフリカのサバンナにいる動物は「チーター」。水前寺清子は「チータ」。本名が民子(たみこ)で、「小さな民子」から。
▼「檀ふみ」と「壇蜜」
この違いが分かるだろうか。檀ふみの「檀」は木偏で、白檀(ビャクダン)の檀。壇蜜の「壇」は土偏で、教壇の壇なのだ。
▼「悲喜こもごも」
本来は「一人の人間が喜びと悲しみを味わうこと」なので、「悲喜こもごもの当落発表」のように、「喜ぶ人と悲しむ人が入り乱れる」の意味で使うのは、好ましくない。
▼「出発進行」
鉄道ファンの方ならご存じだろうが、これは「出発して進行する」ということではない。「出発信号機は進行(青)を表示している」ということなのだ。だから赤信号以外なら「出発、減速」「出発、注意」と確認しての発車もあり得る。
▼「雨模様」
本来は「雨が降りそうな状態」を指すが、最近は「降ったりやんだり」の意味でも使われる。誤解が生じないように、できるだけ「曇り空の下」や「小雨が降る中で」のような具体的な表現に変える。
▼滋賀県「甲賀市」
2004年に周辺の5町が合併して甲賀市が誕生し、投票により読み方は「こうか」と決まった。古い文献で甲賀は「鹿深(かふか)」とされ、濁らないのだそうだ。
新聞制作の現場は時間に追われるから、校閲作業はさぞ大変だろう。願わくは、この記事に誤字はありませんように。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
宮木あや子の小説をドラマ化。ファッション誌の編集者になるべく出版社に入社しながら、小説の原稿などを校正する「校閲部」に配属された河野悦子(石原さとみ)が、驚異の集中力と行動力を駆使し、文章中に登場するさまざまな事柄を調べ上げていく姿を描く。
私は毎日新聞校閲センター著『校閲至極』(毎日新聞出版刊)を読んで、気になったところを奈良新聞「明風清音」欄に「日本語は難しい(2)」として紹介した(2023.9.21付)。では、全文を抜粋する。
日本語は難しい(二)
「日本語は難しい(一)」(2021年12月16日付)を書いてから、2年近くが経った。最近になって毎日新聞校閲センター著『校閲至極』(毎日新聞出版刊)を読み、目からウロコが落ちた。
版元の紹介文には〈誰にでも読みやすく正確に伝わることを目指す「新聞の日本語」や、校閲の技術、文字や言葉の話題を発信している校閲記者たちの傑作コラム74編。誤字や不適切表記と格闘する日々の中、「校閲」の視点でさまざまな題材を面白く、あるいは深く鋭く解く〉。私の印象に残ったところを、以下に抜粋しておく。
▼「耳障り」と「耳触り」
「耳障り」は、「聞いていて気にさわること」。「耳触り」は「聞いた感じ、耳当り」。だから、「耳障りがよい」は誤用である。
▼「追及」「追求」「追究」
「追及」は「追い詰める」(犯人を追及)、「追求」は「追い求める」(目的を追求)、「追究」は「追いきわめ、明らかにする」(真理を追究)。
▼「檄(げき)」と「喝」
「檄を飛ばす」は「自分の考えや主張を広く人々に知らせて同意を求める」こと。だから「激励」の意味で使うのは望ましくない。「励ます」「鼓舞する」「奮起を促す」とする。「喝を入れる」は「大声で叱ったり脅したりすること」(一喝や恐喝の「喝」)。「活力を失っている人に刺激を与えて元気づける」という意味なら「活を入れる」とするか、「鼓舞する」と言い換える。
▼サワラは「白身魚」?
文字通り春を告げる魚、鰆(サワラ)の身は淡いピンク色をしているが、白身魚か、赤身魚か。正解は「赤身魚」。魚は、ミオグロビン(赤いたんぱく質)など、筋肉色素の含量により、赤身魚と白身魚に分けられる。回遊魚のマグロは赤い筋肉に蓄えた酸素を使い、広い海を泳ぎ続ける。他方の白身魚は移動範囲が狭く、瞬発力に優れた白い筋肉を使って餌を取ったり、危険から逃れる。回遊魚であるサワラの肉はマグロに近く、赤身魚に分類される。
▼「チーター」と「チータ」
アフリカのサバンナにいる動物は「チーター」。水前寺清子は「チータ」。本名が民子(たみこ)で、「小さな民子」から。
▼「檀ふみ」と「壇蜜」
この違いが分かるだろうか。檀ふみの「檀」は木偏で、白檀(ビャクダン)の檀。壇蜜の「壇」は土偏で、教壇の壇なのだ。
▼「悲喜こもごも」
本来は「一人の人間が喜びと悲しみを味わうこと」なので、「悲喜こもごもの当落発表」のように、「喜ぶ人と悲しむ人が入り乱れる」の意味で使うのは、好ましくない。
▼「出発進行」
鉄道ファンの方ならご存じだろうが、これは「出発して進行する」ということではない。「出発信号機は進行(青)を表示している」ということなのだ。だから赤信号以外なら「出発、減速」「出発、注意」と確認しての発車もあり得る。
▼「雨模様」
本来は「雨が降りそうな状態」を指すが、最近は「降ったりやんだり」の意味でも使われる。誤解が生じないように、できるだけ「曇り空の下」や「小雨が降る中で」のような具体的な表現に変える。
▼滋賀県「甲賀市」
2004年に周辺の5町が合併して甲賀市が誕生し、投票により読み方は「こうか」と決まった。古い文献で甲賀は「鹿深(かふか)」とされ、濁らないのだそうだ。
新聞制作の現場は時間に追われるから、校閲作業はさぞ大変だろう。願わくは、この記事に誤字はありませんように。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)