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田中利典師の「感謝を込めて 年末雑感2013」(平成25年)

2023年09月27日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「感謝込めて…年末雑感」(師のブログ 2013.12.27 付)、師が『金峯山時報』に連載されていた「蔵王清風」の文章である。
※トップ写真は、大峯山・山上ヶ岳で師が撮られた朝焼け(9/15 林南院開創50周年記念登拝)

利典師は上司(師僧)・先輩、友人・知人、お弟子に恵まれたそうだ。だから「人との出会いは、かけがえのない財産である。大切にしていれば、利子さえもらたしてくれる」と書かれる。このような「ポジティブ・シンキング」が、師のパワーの原動力なのだ。では、以下に全文を紹介する。

感謝込めて…年末雑感
私は考えれば上司に恵まれたと思う。金峯山寺に入って、直属の上司といえるのはKさんだった。Kさんは地元関係者や観光協会の役員も兼ねておられたので、夜遅くの会議などが多く、朝出は常に遅かった。そのせいもあってか、毎日の仕事の指示がなく、基本的に自分で今日はなにをするのか、探して決めるような形で私の本山勤めが始まったのである。

また、現管長の(五條)覚照猊下(げいか)はじめ諸先輩や古参の事務職員の方も、みんな強制的に雑務を与えるような感じではなく、いろいろ教わりながら、基本的には自分から事務の中枢に携わったのだった。後年、宗報誌の創刊、パソコンの導入や、諸行事準備のシステム化、高祖会や本地堂供養会の新設、朝礼や宿直制度の開始など、過去になかったいろんなことに着手できたのは、最初からそういう目で本山の組織全体を俯瞰することが出来たからだと思っている。

「志の大きなお坊さんになりなさい」と教えられたのは亡くなった(五條)順教猊下だった。15才で得度以来、薫陶を仰いで来たが、25歳で本山事務所に入ってからはなお一層、猊下のご指導を得た。順教猊下の後押しが多くの仕事に関わらせていただく大きな力であったのも間違いない。

世界遺産登録や修験三本山会議、千人潅頂会、役行者霊場会発足などなど、思いつく事業はたくさんある。血脈上の直接の師僧は亡父だが、亡父同様にお世話になったのである。思えば私は師にも恵まれていた。大学時代の恩師は今でも学生時代同様に教えを乞うおつき合いをしていただいているし、いまだに比叡山修学時の大僧正も困ったときは助けていただいている。

師だけではない。友人、知人にも恵まれている。日本を代表する宗教学者や哲学者の先生方も共著を出すような深いおつき合いさせていただいているし、宗教者フォーラムや神仏霊場会、あるいは紀伊山地三霊場会議などを通して、名刹寺院や大神社の高僧や宗教者とも親しくしていただくことが多い。

弟子にも恵まれている。私自身は大した師僧であるとはとうてい思えないが、たくさんのお弟子がいつのまにか出来ていた。私自身が師や上司や友人知人に恵まれたので、その恩返しの意味もあって、「来る者こばまず、去る者追わず」の体で誰彼なしに受け入れた結果かもしれないが、有り難いことである。

「人との出会いはかけがえのない財産である。大切にしていれば利子さえもらたしてくれる」。この格言じみた言葉は私がツイッターやフェイスブックで数日前につぶやいたものだが、心の底からそう思っている。ありがたい気持ちを忘れず、感謝と報恩をもって、この長くて辛かった1年を見送っている師走のいまである。
コメント
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