今日の「田中利典師曰く」は、「慈母の如き人を悼(いた)む」(師のブログ 2014.12.1 付)。師がかつてお世話になった五條順教猊下(金峯山寺東南院)の奥さまのご逝去の話である。師の若き日の随身生活がしのばれて、興味深い。では、以下に全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)
「慈母の如き人を悼む」
今日、午後から東南院の親奥様の本葬儀が東南院鳳凰殿で執り行われる。朝から吉野山は、奥様のご逝去を悼むかのような雨が降り続いています。慈雨とも思うべき、雨の朝であった。奥様には若い頃より本当に大変お世話になった。少し、文章を書いてみました。
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「慈母の如き人を悼む」
私は比叡山高校に入る前、15才のときに第28世金峯山寺管領の故(五條)順教猊下(げいか)のもとで得度受戒し、その後、夏になると猊下ご自坊の東南院にお手伝いに上がった。あの頃の東南院は林間学校の生徒で一杯で、連日とても忙しかったことが懐かしい。高校卒業後は1年間、東南院で随身(ずいじん)し、その間に4度加行も履修させていただいた。
1年後には龍谷大学に入ったが、夏になるとやはり東南院の手伝いに帰山した。私にとっては東南院はまさに第2の故郷であり、事実、東南院に戻る度に奥様からは「おかえりなさい」と言っていただいていた。その奥様が先月逝去された。92才の生涯を閉じられたのである。またひとつ故郷を亡くしたような、漠々たる寂しさを禁じ得ない。
私は今でも東南院のお内仏に、ことある度にお参りさせていただいている。縁あって弟が東南院の住職に就いたことも関係なくはないが、それよりも私自身が長く東南院での随身生活を送り、このお寺で僧侶にしていただいたという思いがあるからである。
その随身生活にはいつも奥様がおいでになった。奥様に物心ともにお世話になったお蔭で、今の私があるのは間違いない。故に、なにほどの恩返しも出来ないまま、今生の別れとなったと思うと、ただ寂しいだけではなく、申し訳ない思いで胸が一杯になる。
奥様は南満州でお生まれになり、終戦を経て、満州からの引き上げ後は、神職をされていた父君とともに、橿原神宮、丹生川上中社と居を変えられた。そんな中で、五條順教猊下とご縁を得られ、東南院に入られたのである。以後、60数年、東南院の護持経営にその身を尽くされ、また順教猊下を支え宗門の発展にも大いに力を果たされた。
私のこと、弟のことを思うにつけ、私どもと東南院さまとのご縁は深いが、そこにはいつも奥様の存在があった。優しい眼差しの奥にある真実を見通す目、その慈母の如き慈しみに満ちたご尊顔。順教猊下の恩徳とともに生涯忘れずに感謝申しあげたいと思っている。
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寂しいお別れであるが、しっかりとお弔いをさせていただきたい。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)
「慈母の如き人を悼む」
今日、午後から東南院の親奥様の本葬儀が東南院鳳凰殿で執り行われる。朝から吉野山は、奥様のご逝去を悼むかのような雨が降り続いています。慈雨とも思うべき、雨の朝であった。奥様には若い頃より本当に大変お世話になった。少し、文章を書いてみました。
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「慈母の如き人を悼む」
私は比叡山高校に入る前、15才のときに第28世金峯山寺管領の故(五條)順教猊下(げいか)のもとで得度受戒し、その後、夏になると猊下ご自坊の東南院にお手伝いに上がった。あの頃の東南院は林間学校の生徒で一杯で、連日とても忙しかったことが懐かしい。高校卒業後は1年間、東南院で随身(ずいじん)し、その間に4度加行も履修させていただいた。
1年後には龍谷大学に入ったが、夏になるとやはり東南院の手伝いに帰山した。私にとっては東南院はまさに第2の故郷であり、事実、東南院に戻る度に奥様からは「おかえりなさい」と言っていただいていた。その奥様が先月逝去された。92才の生涯を閉じられたのである。またひとつ故郷を亡くしたような、漠々たる寂しさを禁じ得ない。
私は今でも東南院のお内仏に、ことある度にお参りさせていただいている。縁あって弟が東南院の住職に就いたことも関係なくはないが、それよりも私自身が長く東南院での随身生活を送り、このお寺で僧侶にしていただいたという思いがあるからである。
その随身生活にはいつも奥様がおいでになった。奥様に物心ともにお世話になったお蔭で、今の私があるのは間違いない。故に、なにほどの恩返しも出来ないまま、今生の別れとなったと思うと、ただ寂しいだけではなく、申し訳ない思いで胸が一杯になる。
奥様は南満州でお生まれになり、終戦を経て、満州からの引き上げ後は、神職をされていた父君とともに、橿原神宮、丹生川上中社と居を変えられた。そんな中で、五條順教猊下とご縁を得られ、東南院に入られたのである。以後、60数年、東南院の護持経営にその身を尽くされ、また順教猊下を支え宗門の発展にも大いに力を果たされた。
私のこと、弟のことを思うにつけ、私どもと東南院さまとのご縁は深いが、そこにはいつも奥様の存在があった。優しい眼差しの奥にある真実を見通す目、その慈母の如き慈しみに満ちたご尊顔。順教猊下の恩徳とともに生涯忘れずに感謝申しあげたいと思っている。
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寂しいお別れであるが、しっかりとお弔いをさせていただきたい。