今日の「田中利典師曰く」は、「里の行と山の行の循環」(師のブログ2014.10.29付)。師の代表作『体を使って心をおさめる 修験道入門 』(集英社新書)からの抜粋である。
※トップ写真は「東南院(金峯山寺)大祭 役尊報恩大護摩供」(11/12)で締めの挨拶をされる五條良知師(利典師の弟さんで、金峯山修験本宗管長、東南院ご住職 )。写真は利典師のFBから拝借
修験者は自らの行力・法力によって、個人の悩みや願いに向かい合う。しかしそればかりしていると、肝心の修験者自身の力が衰えてしまう(気枯れ=ケガレ)。だから力を取り戻すために再び、山修行に入っていく。これが「里の行と山の行の循環」である。では、全文を以下に紹介する。
「里の行と山の行の循環」
さまざまな個人の悩み・願いに対応する山伏修験者。そのために厳しい山修行で培う行力・法力が必要になるのです。また、悩みを抱えた人、困った人にばかりに対応していると、自分自身の気も奪われ、力がなくなっていきます。
ですから、自らが邪気をはらい、いっそうの法力を高めるためにも山修行が必要になるのです。つまり、山伏の山修行とは、自分の力を高めるため、市井の人たちに応えるためのものなのです。
自分の力を修行によって高めることはもちろん大事ですが、人とどうかかわっていくか、あるいは人に対応したがゆえの気の濁りのようなものを山修行でリセットすること。これが山伏修行の大きなテーマです。つねに山の修行と里の行を循環する。それが、山伏の活動の本質なのです。
『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より
※トップ写真は「東南院(金峯山寺)大祭 役尊報恩大護摩供」(11/12)で締めの挨拶をされる五條良知師(利典師の弟さんで、金峯山修験本宗管長、東南院ご住職 )。写真は利典師のFBから拝借
修験者は自らの行力・法力によって、個人の悩みや願いに向かい合う。しかしそればかりしていると、肝心の修験者自身の力が衰えてしまう(気枯れ=ケガレ)。だから力を取り戻すために再び、山修行に入っていく。これが「里の行と山の行の循環」である。では、全文を以下に紹介する。
「里の行と山の行の循環」
さまざまな個人の悩み・願いに対応する山伏修験者。そのために厳しい山修行で培う行力・法力が必要になるのです。また、悩みを抱えた人、困った人にばかりに対応していると、自分自身の気も奪われ、力がなくなっていきます。
ですから、自らが邪気をはらい、いっそうの法力を高めるためにも山修行が必要になるのです。つまり、山伏の山修行とは、自分の力を高めるため、市井の人たちに応えるためのものなのです。
自分の力を修行によって高めることはもちろん大事ですが、人とどうかかわっていくか、あるいは人に対応したがゆえの気の濁りのようなものを山修行でリセットすること。これが山伏修行の大きなテーマです。つねに山の修行と里の行を循環する。それが、山伏の活動の本質なのです。
『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より