NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.9.7)掲載されたのは〈食物つかさどる農の神/十市御県坐神社(橿原市)〉、執筆されたのは同会会員で橿原市在住の亀田幸英さんだった。
※トップ写真は、5月5日の例祭時の十市御県坐神社
御県坐神社のことは以前、当ブログで詳しく紹介したことがある。またこの神社の秋祭り(10月の第2土曜日と翌日曜日)には、7台ものだんじりが登場することで知られている。では、全文を紹介する。
秋祭りのだんじり(2014.10.11 撮影)
十市御県坐神社(橿原市)
十市御県坐(とおいちのみあがたにいます)神社は橿原市北部を東西に流れる寺川の北側に鎮座します。創建年代は不詳ですが、平安時代の「延喜式(えんぎしき)」神名帳(じんみょうちょう)に大社と記載された古社です。
主祭神の豊受大神(とようけのおおかみ)は食物をつかさどる神様で、伊勢神宮の外宮(げくう)の祭神として知られています。古来この地域は皇室の御料地。豊受大神は守護神として、庶民が野菜の生育を祈願する対象であり、農業の神様として信仰されてきました。
古代の大和国では、天皇に献上する野菜を栽培する直轄地を「御県(みあがた)」と言いました。「延喜式」にある祈年祭(としごいのまつり)の祝詞の中に「六つの御県」(高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布)の記述があり、各郡の名と土地の霊を祭る御県神社が記録されています。
地元の人たちの当神社に対する崇敬の思いは非常に厚く、十市町自治会が中心になって神社を守っています。その象徴が「だんじり」の存在。秋祭りに氏子によって引かれており、江戸時代中期に由来するそうです。
だんじりは市内に10台あり、橿原市指定民俗文化財です。うち7台が十市町にあり、江戸から明治にかけて制作されました。10月の第2土・日曜の秋祭りに登場し、最後は当神社の境内に宮入りします。(奈良まほろばソムリエの会会員 亀田幸英)
(住 所)橿原市十市町1番地
(主祭神)豊受大神(とようけのおおかみ)
(交 通)近鉄新ノ口駅から北東へ徒歩約20分
(拝 観)自由
(駐車場)無
(電 話)0744・22・5344(辰己誠治・十市町自治会長)
※トップ写真は、5月5日の例祭時の十市御県坐神社
御県坐神社のことは以前、当ブログで詳しく紹介したことがある。またこの神社の秋祭り(10月の第2土曜日と翌日曜日)には、7台ものだんじりが登場することで知られている。では、全文を紹介する。
秋祭りのだんじり(2014.10.11 撮影)
十市御県坐神社(橿原市)
十市御県坐(とおいちのみあがたにいます)神社は橿原市北部を東西に流れる寺川の北側に鎮座します。創建年代は不詳ですが、平安時代の「延喜式(えんぎしき)」神名帳(じんみょうちょう)に大社と記載された古社です。
主祭神の豊受大神(とようけのおおかみ)は食物をつかさどる神様で、伊勢神宮の外宮(げくう)の祭神として知られています。古来この地域は皇室の御料地。豊受大神は守護神として、庶民が野菜の生育を祈願する対象であり、農業の神様として信仰されてきました。
古代の大和国では、天皇に献上する野菜を栽培する直轄地を「御県(みあがた)」と言いました。「延喜式」にある祈年祭(としごいのまつり)の祝詞の中に「六つの御県」(高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布)の記述があり、各郡の名と土地の霊を祭る御県神社が記録されています。
地元の人たちの当神社に対する崇敬の思いは非常に厚く、十市町自治会が中心になって神社を守っています。その象徴が「だんじり」の存在。秋祭りに氏子によって引かれており、江戸時代中期に由来するそうです。
だんじりは市内に10台あり、橿原市指定民俗文化財です。うち7台が十市町にあり、江戸から明治にかけて制作されました。10月の第2土・日曜の秋祭りに登場し、最後は当神社の境内に宮入りします。(奈良まほろばソムリエの会会員 亀田幸英)
(住 所)橿原市十市町1番地
(主祭神)豊受大神(とようけのおおかみ)
(交 通)近鉄新ノ口駅から北東へ徒歩約20分
(拝 観)自由
(駐車場)無
(電 話)0744・22・5344(辰己誠治・十市町自治会長)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます