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御朝拝式を拝観(川上村 金剛寺 2月5日)

2016年02月07日 | 奈良にこだわる
一昨日(2/5)、川上村大字神之谷(こうのたに)の金剛寺で営まれた「御朝拝式」を拝観させていただいた。県「なら記紀万葉」のHPによると、



開催日時 平成28年2月5日(金)
開催場所 奈良県吉野郡川上村大字神之谷 金剛寺
主 催 者 川上村朝拝式保存会
概   要 長禄三年(1459年)から毎年、南朝最後の皇子「自天王」をお祀りする、南朝に由来する儀式。地元では“御朝拝”と呼ばれ、本年度で559回を迎える。自天王が生前着用していた兜(重要文化財)などを擁する宝物殿を一年に一度限定で開帳する機会。


 
15世紀、南北朝対立の時代に、南朝の流れを受け継ぐ自天王(尊秀王)は、当地川上郷にて悲しい最期を遂げました。惨事を伝え聞いた川上郷士たちは赤松家一党から自天王の御首を取り返し、金剛寺に手厚く葬ったと伝えられています。自天王の御首を奪い返した川上郷の勇士は代々語り継がれ、長禄三年(1459年)から毎年2月5日には、遺品の兜(重要文化財)などを拝する朝拝式が行われます。
◆申込不要、参加費無料 お問い合せ先 川上村教育委員会事務局(TEL:0746-52-0144)



毎年2月5日に行われる行事だ。9:30~10:00までは朝拝殿の前で「支度」が行われ、いよいよ10時からが本番だ。当日いただいた「第559回川上村御朝拝式次第」によると、



午前10:00開式
●自天王神社前の儀[総代・副総代・出仕人「自天王神社前」へ移動]
  ① 修祓(しゅばつ)
  ② 開扉(かいひ)
  ③ 御幣奉持(ごへいほうじ)
  ④ 献餞(けんせん)
  ⑤ 祭文奉誦(さいもんほうしょう)
  ⑥ 玉串奉奠(たまぐしほうてん)






●御朝拝の儀[総代・副総代・出仕人「宝物殿前」へ移動]
  ① 開扉(かいひ)
  ② 寿詞奏上(よごとそうじょう)
  ③ 玉串拝禮(たまぐしはいれい)
  ④ 立衆宝物警護(たちしゅうほうもつけいご)
  ⑤ 拝礼ご案内[招待者拝礼読み上げ]
  ⑥ 引き続き拝礼[各村議会議員・各区長・各総代・一般参列の方々拝礼と重要文化財拝見]




●御陵参拝の儀[総代・副総代・出仕人「御陵」へ移動]
  ① 一同拝礼
  ② 誄文奉誦(しのびぶみほうしょう) 




●記念撮影[総代・副総代・出仕人「金剛寺本堂前」へ移動]
●朝拝殿の儀[総代・副総代・出仕人「朝拝殿前」へ移動]
  ① 由来記奉読(ゆらいきほうどく)
  ② 御神酒頂戴(ごしんしゅちょうだい)
  ③ 副総代長挨拶
●式典終了 午前11:30閉式

 春琴抄・吉野葛 (中公文庫)
 谷崎 潤一郎
 中央公論社

一般に「後南朝(ごなんちょう)」は聞きなれないと思うが、これは1392年(明徳3年)、南北朝合一のあと「北朝と南朝が交代で天皇位につく」という約束を破った北朝に対し、南朝の再建を図った南朝の子孫や遺臣による「南朝復興運動」である。1443年(嘉吉3年)の「禁闕(きんけつ)の変」では、後花園天皇の暗殺を企てて御所に乱入(暗殺は未遂)し、三種の神器の剣と神璽(しんじ=勾玉)を奪った。 変のあと幕府軍によって変の首謀者たちが討たれ、剣は奪い返されたが、神璽は南朝方に持ち去られたままだった。



1457年(長禄元年)の「長禄の変」では、後南朝の本拠となっていた北山(上北山村)と三之公(川上村)で、赤松家(嘉吉の変で足利義教を暗殺し没落)の残党らが、臣従するとみせかけて襲い、南朝の末裔の 自天王(尊秀王)・忠義王兄弟を殺害し、北朝方は神璽を奪回した。しかし、そのあとでこんなドラマが起きる。谷崎潤一郎の『吉野葛』によると、


会社の先輩のKさん(奈良まほろばソムリエの会事務局長)も参拝(玉串奉奠)しておられた


OH先輩も(同会監事)


私も。写真はOH先輩にお撮りいただいた

赤松の残党は、長禄元年12月2日、大雪に乗じて不意に事を起こし、一手は大河内の自天王の御所を襲い、一手は神の谷(こうのたに)の将軍の宮の御所に押し寄せた。


金剛寺境内に、こんなスゴい欅(ケヤキ)の木があった

賊は王の御首(みしるし)と神璽とを奪って逃げる途中、雪に阻まれて伯母ヶ峰峠に行き暮れ、御首を雪の中に埋めて山中に一と夜を明かした。


欅は、お寺が創建された鎌倉初期(1200年頃)から自生しているとも

然るに翌朝吉野18郷の荘司(しょうじ)等が追撃して来て奮戦するうち、埋められた王の御首が雪中より血を吹き上げたために、忽(たちま)ちそれを見つけ出して奪い返したという。



『吉野葛』ではこのあと「筋目の者」と呼ばれる川上郷の勇士たちを紹介する。

南朝の宮方にお仕え申した郷士の血統、「筋目の者」と呼ばれる旧家は数多くあって、現に柏木(川上村)の付近では毎年2月5日に「南朝様」をお祭り申し、将軍の宮の御所跡である神の谷(こうのたに)の金剛寺において厳かな朝拝の式を挙げる。


 
その当日は数十軒の「筋目の者」たちは16の菊のご紋章のついた裃(かみしも)を着ることを許され知事代理や郡長等の上席に就くのである。

このような後南朝の悲史を秘めた「御朝拝式」が今日まで559年にわたって受け継がれ、毎年絶やさず「筋目の者」たちの手で、儀式が営まれてきたのである(現在は川上村教育委員会内「川上村朝拝式保存会」が主催)。静かな境内で厳かに営まれる伝統ある儀式を初めて間近で拝観でき、また玉串も奉納させていただいて、これは得難い経験となった。

保存会はじめご関係者の皆さん、有難うございました!

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