NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。その第100回、1月31日(木)付で掲載されたのは「公慶上人のお墓/奈良市の五劫院(ごこういん)」、筆者は奈良市生まれの奈良市育ち、現在も奈良市在住の松森重博さん(奈良まほろばソムリエの会理事)。五劫院は《奈良県奈良市にある寺院。鎌倉時代の創建とされる。宗派は華厳宗。本尊の五劫思惟阿弥陀像は国の重要文化財に指定》(『デジタル大辞泉プラス』)というお寺だ。では、記事全文を紹介する。
※トップ写真は五劫院の山門
境内の公慶上人五輪塔
戦国時代の兵火により、奈良の大仏様は江戸時代、大仏殿が無く雨に打たれていました。少年の頃にそれを見た公慶上人は、大仏様の復元と大仏殿の再建をしたいと志を立てたそうです。そして37歳のとき、江戸幕府に大仏殿の再興と諸国勧進を願い出ました。
公慶上人はまず大仏の修復に6年を要し、さらに大仏殿の再興に尽力しましたが、その完成をみることなく落慶法要を前に亡くなりました。大仏殿の落慶法要には全国から何十万人ものお参りがあったと伝えられています。
東大寺では鎌倉時代の俊乗房重源に次ぐ、第二の中興開山とされており、現在、公慶上人の像は東大寺の公慶堂に安置されています。お墓は北御門町の五劫院にあり、本堂北東奥の五輪塔です。
■メモ JR・近鉄 奈良駅より奈良交通バス 青山住宅方面行き「今在家」下車歩いて3分(奈良まほろばソムリエの会理事 松森重博)。
※トップ写真は五劫院の山門
境内の公慶上人五輪塔
戦国時代の兵火により、奈良の大仏様は江戸時代、大仏殿が無く雨に打たれていました。少年の頃にそれを見た公慶上人は、大仏様の復元と大仏殿の再建をしたいと志を立てたそうです。そして37歳のとき、江戸幕府に大仏殿の再興と諸国勧進を願い出ました。
公慶上人はまず大仏の修復に6年を要し、さらに大仏殿の再興に尽力しましたが、その完成をみることなく落慶法要を前に亡くなりました。大仏殿の落慶法要には全国から何十万人ものお参りがあったと伝えられています。
東大寺では鎌倉時代の俊乗房重源に次ぐ、第二の中興開山とされており、現在、公慶上人の像は東大寺の公慶堂に安置されています。お墓は北御門町の五劫院にあり、本堂北東奥の五輪塔です。
■メモ JR・近鉄 奈良駅より奈良交通バス 青山住宅方面行き「今在家」下車歩いて3分(奈良まほろばソムリエの会理事 松森重博)。