tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

公慶上人の墓がある五劫院(奈良市)/毎日新聞「ディスカバー!奈良」第100回

2019年02月23日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。その第100回、1月31日(木)付で掲載されたのは「公慶上人のお墓/奈良市の五劫院(ごこういん)」、筆者は奈良市生まれの奈良市育ち、現在も奈良市在住の松森重博さん(奈良まほろばソムリエの会理事)。五劫院は《奈良県奈良市にある寺院。鎌倉時代の創建とされる。宗派は華厳宗。本尊の五劫思惟阿弥陀像は国の重要文化財に指定》(『デジタル大辞泉プラス』)というお寺だ。では、記事全文を紹介する。
※トップ写真は五劫院の山門


境内の公慶上人五輪塔

戦国時代の兵火により、奈良の大仏様は江戸時代、大仏殿が無く雨に打たれていました。少年の頃にそれを見た公慶上人は、大仏様の復元と大仏殿の再建をしたいと志を立てたそうです。そして37歳のとき、江戸幕府に大仏殿の再興と諸国勧進を願い出ました。

公慶上人はまず大仏の修復に6年を要し、さらに大仏殿の再興に尽力しましたが、その完成をみることなく落慶法要を前に亡くなりました。大仏殿の落慶法要には全国から何十万人ものお参りがあったと伝えられています。

東大寺では鎌倉時代の俊乗房重源に次ぐ、第二の中興開山とされており、現在、公慶上人の像は東大寺の公慶堂に安置されています。お墓は北御門町の五劫院にあり、本堂北東奥の五輪塔です。

■メモ JR・近鉄 奈良駅より奈良交通バス 青山住宅方面行き「今在家」下車歩いて3分(奈良まほろばソムリエの会理事 松森重博)。


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「情報と物語」by 田中利典師

2019年02月22日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)で種智院大学客員教授の田中利典師が、ご自身のFacebookに発表された書き下ろしエッセイの第7弾を紹介する。
※トップ写真は、南都銀行・奈良県共催「第8回観光力創造塾」(2017.7.19)

「情報と物語」
今は情報過多な世界である。私もテレビを見るし、パソコンやスマホなどを使いこなすなど、情報取得のツールを使うから、朝から晩までたくさんの情報を得ている。でもよく考えるとそれらの情報はさほど必要としないものばかりなのではないだろうか。

例えば朝からテレビを見ていていつも思う。一生に一度も行かないような、モスクワの天気とか、リオデジャネイロの天気予報を毎朝やっているわけで、そんなもの、ほとんどいらない。行きもしない外国の天気より、よほど、今日の奥さんの機嫌の予報をしてほしいくらいである。どっちがいまを生きていく上で必要なのか。

しかしながら、我々は必要な情報よりも、いらない情報ばかりを朝から晩まで、もうあふれるほどに与えられている。芸能人が誰々と付き合っているとか不倫したとか、どこかのアホがバイト中におふざけをした話とか、そんなことはさほど重要な問題ではないし、生きる糧にもならないわけだが、そういったしょうもないことがらも含めて、異常なほどの情報過多の時代を生きていると言えるだろう。

考えてみよう。情報というのはいくら得ても何にもならない。実は情報が知恵になり、生きる力になるのは、その情報が自分にとっての物語になった時なのである。そのときに初めて、自分の中でその知ったことが意味を成してくる。

わかりやすい例をあげると、トイレの花子さん…のお話。トイレにはいろんなものがあり、それはそれはたくさんの情報が行き来しているが、トイレに「トイレの花子さんが出る」っていう話を聞いたとたんに、おぞましいほど、トイレに行くのが怖くなる。

卑近な例だが、ともかく、情報過多の世界に生きていく我々にとって、これからは自分が得た情報をどう自分の中で物語としていくか。そういうことを心がけて暮らすことが大事だと思っている。


スマホを手に取ると、さして関心のないニュースがトップ画面に出ている。新幹線に乗ると、延々と文字ニュースが目に飛び込んでくる、昨夜(2/21)の北海道の地震のようなニュースは別であるが。あふれる情報の中で溺れないよう、心しなければならない。
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興福寺別当・経覚(きょうがく)は大乗院門跡「大安寺墓所」に眠る/毎日新聞「ディスカバー!奈良」第99回

2019年02月21日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。1月24日付で掲載されたのは《「応仁の乱」証人しのぶ/奈良市の大乗院門跡大安寺墓所》、筆者は同会理事の石田一雄さん。
※トップ写真の手前やや右に「経覚大僧正」の文字。写真はブログ「マントラよ」から拝借

中公新書のベストセラー『応仁の乱』は、当時興福寺の別当だった経覚と尋尊(じんそん)の日記をもとに記述されている。石田さんはその経覚の墓(大安寺から北へ約200m)を探し当てたのである。では記事全文を紹介する。


大乗院門跡大安寺墓所の石標(石田さんの撮影)

『応仁の乱』(呉座勇一著、中公新書)は、乱の時期に興福寺のトップ・別当であった大乗院門跡経覚(だいじょういんもんぜききょうがく)の日記『経覚私要鈔(しようしょう)』と次代の大乗院門跡尋尊(じんそん)の日記『大乗院寺社雑事記(ぞうじき)』に書き残された奈良から見た乱の様子を基にしています。

4度も別当を務めた経覚の墓があるのが、大乗院門跡大安寺墓所です。復元された大安寺北面中房跡(僧坊跡)の道を挟んだ向かい側に石標が立っています。中へ入ると、三つの墓標や墓石、五輪塔などが並んでいて、真ん中の墓標が経覚のものと伝わります。

奈良時代に官大寺として威勢を誇った大安寺は次第に衰微し、室町時代には大乗院門跡の隠居所として己心寺(こしんじ)がありました。経覚は引退後もここを拠点に活動し、大和の動乱に影響を与えました。なお尋尊は、興福寺境内の菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)の南東隅に墓所があります。

■メモ JR奈良駅からバス「大安寺」下車徒歩5分(奈良まほろばソムリエの会理事 石田一雄)


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登大路ホテルで「寧楽Salon(ならサロン)」3月10日(日)開催!(2019 Topic)

2019年02月20日 | お知らせ
こんなスペシャルな講座がある。登大路ホテルで興福寺の夛川(たがわ)執事長のお話を聞き、そのあと一緒に豪華ディナー(フリードリンクつき)をいただくというのだ。ワンコイン(500円)の手軽な講座も良いが、たまにはこんな講座もいい。
※トップ画像は、登大路ホテルの公式ホームページから拝借

要申込・先着順で、まだ少し残席がある。参加費はオール込みで@18,000円。主催・コーディネートは倉橋みどりさん(NPO法人「文化創造アルカ」理事長)。お申し込みは「arcainfo@arca-nara.jp」。「寧楽Salon」のFacebookによると、

「春日若宮おん祭」「若草山焼き」「追儺会」「東大寺二月堂修二会」など、数多くの伝統行事に彩られる古都奈良の冬。凛とした空気に包まれたこの時期に、ゆっくりと奈良の奥深さに触れていただく特別なひとときをご一緒に。

興福寺執事長・夛川良俊さんのお話をうかがったあと、ご一緒に登大路ホテルのディナーを召し上がっていただきます。参加費は当日頂戴いたします。

日 時 3月10日(日)18時~21時
会 場 登大路ホテル(近鉄奈良駅下車東へすぐ)
講 師 興福寺 執事長 夛川良俊さん
コーディネーター NPO法人文化創造アルカ理事長 倉橋みどり
参加費 18,000円(ディナー、フリードリンク付き、税サ込)
定 員 20名(要お申込み)

お申込み・お問い合わせ NPO法人文化創造アルカ
 FAX 0742-22-9081 メール arcainfo@arca-nara.jp


お水取り期間中のひとときを、ぜひ登大路ホテルでお過ごしください!
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「怒りは不幸を招き、笑いは幸せを呼ぶ」by 田中利典師

2019年02月19日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)で種智院大学客員教授の田中利典師が、ご自身のブログとFacebookに発表された書き下ろしエッセイの第6弾を紹介する。
※トップ写真は、師のFacebookから拝借した。いいお顔だ

「怒りは不幸を招き入れ、笑いは幸せを呼びこむ」
「笑う門には福来たる」という。至極当たり前の話である。笑っていると福徳が集まってきて、自分も幸せになるし、周りも幸せに感じる。反対に、怒ってばかりいる人の周りには幸せは訪れにくい。怒っている本人も幸せにはならない。機嫌が悪いから怒るのだし、怒ればなおさら機嫌は悪くなる。

仏教では「和顔(わげん or わがん)愛語」という言葉がある。布施を表す言葉である。布施は梵語でダーナという。人に施すというほどの意味であるが、その施しには「財施」「法施」「無畏施」の三種があり、その他に財物を損なわない七つの布施として、「無財の七施」が説かれる。お金のかからない布施である。その「無財の七施」のうち、「和顔悦色施」と「言辞施」を合わせたものが「和顔愛語」である。

すなわち、和やかな笑顔と、思いやりのある話し方で人に接すること。「和顔愛語」は布施であり、布施ある生き方をすることでもある。そうすれば幸せを呼び込む「笑い」の種を蒔くことになるのである。

といいつつ、私は若い頃から、普段の顔が怖いといわれてきた。「和顔愛語」にはほど遠くて、しかめっつらの不機嫌顔だったのである。ときどき「なんでそんなに怒っているの」と言われたこともあるが、「ほっといて頂戴。私の顔はもともとこんな顔」とうそぶく始末だった。

ただ近頃は心がけて、笑顔で生きている。「笑う門には福来たる」のは明白だから、努力してでも、「福来たる」顔にしないと損だと、ようやく気がついたからである。


よく集合写真の撮影を頼まれる。ファインダーを覗くと、ほとんどの人は無愛想な顔をしている。なので「笑って、笑って」とけしかけて笑顔を作ってもらう。人は意識して笑顔を作らないと、そのままでは「怖い顔」に見えるのだ。気をつけたいものである。
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