間が空きすぎて書きにくくなった。そこでいきなり結論を出し、そこから遡るような形で何とかこのタイトルの文を終わらせてみたい。どんどんタイムリーでなくなり、金融恐慌がらみばかりでマスコミは田母神発言など忘れてしまっているようだ。
さて、矮小個人テロとは元厚生事務次官連続殺傷事件のようなことだ。全く世間からずれた感覚の事件のようだが象徴的な事件だ。短絡的に思慮もなく敵らしき目標を定め、個人的行き詰まりの現状打破を図るためには、あんな形で無理心中を決行するしかないと思い込む人間がいるということだ。
あの犯人の個人的資質の異常性をマスコミは強調して取り上げているように見える。しかしそんなことはあまり意味がない。池田小学校児童殺傷事件も秋葉原の連続殺傷事件も根は同じだ。矮小に変質したヒロイズムを満足させるための無理心中でしかない。
田母神発言がなぜそのような事件を誘発するか。田母神発言自体が浅薄な個人的思い込みによる突出という意味で矮小個人テロと同質だからだ。空幕長という立場にありながらのゲリラ的発言は、過去の歴史も現実世界も白黒はっきりさせて敵と戦うという単純構図を国民に植えつけたいということだからだ。
《たかじんの「そこまで言って委員会」》というテレビ番組に出演した田母神元空幕長は、「日本は自虐史観から開放されないといけない」と言い。辛坊治朗読売テレビ解説委員の、あの論文は慎重さが足りなかったのではないか・・という質問に「慎重さが足りない足りないとよく言われるんですが、私は慎重さが足りないんじゃなくて、身長が足りないんです」とおちゃらけて見せた。
先の1~4について、以上を踏まえて思うところを書いてみよう。
日本は敗戦を受け入れのだ。沖縄を見殺し見捨て、広島の原爆投下、ソ連のいきなりの参戦侵攻、長崎の原爆投下を受けての決断は余りに遅きに失した格好ながら降伏を受諾した日本というのは当時の天皇と日本政府と軍部だ。
1、戦争責任を認め謝罪したいわゆる『村山談話』を国を売る行為だと非難する発言が先の番組内であった。国を代表して国際社会に自国の過去の非を認め、謝罪するという行為が何故売国になるのか。非を認めるという潔い行為を非難し、謝罪する謙虚さを逆に罵る狭量さは子供っぽい。何故あの談話こそ日本(人)的良さ或いは大人の態度と思えないのか。
2、敗戦後の日本人は耐え難きを耐えて多くのモノを受け入れてきたのだ。憲法9条は押し付けられたものだから良くないというのはあまりに幼稚。どのような経緯でできた文言であれ、良いものは良いとして受け入れる度量の大きさを我々は持っていると諸外国(人)に誇れるではないか。
3、「外交の現場を経験してきたものとして言えるのは、憲法9条こそ日本の最大の安全保障だ」と元外交官の天木直人氏が先の番組で発言をした。あの番組の中では最も説得力のある発言だと思えた。「外交はきたないもの・・・」と田母神氏が発言した後での事だったからなおさら納得できた。
4、核爆弾を製造保持したからこそ北朝鮮はアメリカなどとも対等に渡り合って巧みな外交を展開している・・・という発言もあった。そして、北朝鮮のような国がいきなり戦争をしかけてくるかもしれないから、核を自由に使える形にすべきだという発言(非核三原則などはとうに破られて原潜空母により核は日本に持ち込まれているわけだが・・・)すらあった。軍事ほど不経済なものはないのに、まだ軍縮に逆行することを議論しているのだ。
アメリカの巨大産軍共同体がアメリカの世論も対外政策も動かしていかに多くの過ちを起こさせたか・・・。北朝鮮の独裁軍事国家がどういう国内状況を作り出しているか・・・。それらを反面教師として見ながらも何故か同じ轍を踏もうとしているように見える。
再度強調したい。高い地位にいる(いた)人が、思慮のない軽率な発言をした場合、類似の思い込みをする人間が現れて矮小な個人テロもどきの犯罪事件を誘発することが危惧されるのだ。『風が吹くと桶屋が儲かる』よりも、もっと短絡して現実的な事だと思うのだが杞憂だろうか。
さて、矮小個人テロとは元厚生事務次官連続殺傷事件のようなことだ。全く世間からずれた感覚の事件のようだが象徴的な事件だ。短絡的に思慮もなく敵らしき目標を定め、個人的行き詰まりの現状打破を図るためには、あんな形で無理心中を決行するしかないと思い込む人間がいるということだ。
あの犯人の個人的資質の異常性をマスコミは強調して取り上げているように見える。しかしそんなことはあまり意味がない。池田小学校児童殺傷事件も秋葉原の連続殺傷事件も根は同じだ。矮小に変質したヒロイズムを満足させるための無理心中でしかない。
田母神発言がなぜそのような事件を誘発するか。田母神発言自体が浅薄な個人的思い込みによる突出という意味で矮小個人テロと同質だからだ。空幕長という立場にありながらのゲリラ的発言は、過去の歴史も現実世界も白黒はっきりさせて敵と戦うという単純構図を国民に植えつけたいということだからだ。
《たかじんの「そこまで言って委員会」》というテレビ番組に出演した田母神元空幕長は、「日本は自虐史観から開放されないといけない」と言い。辛坊治朗読売テレビ解説委員の、あの論文は慎重さが足りなかったのではないか・・という質問に「慎重さが足りない足りないとよく言われるんですが、私は慎重さが足りないんじゃなくて、身長が足りないんです」とおちゃらけて見せた。
先の1~4について、以上を踏まえて思うところを書いてみよう。
日本は敗戦を受け入れのだ。沖縄を見殺し見捨て、広島の原爆投下、ソ連のいきなりの参戦侵攻、長崎の原爆投下を受けての決断は余りに遅きに失した格好ながら降伏を受諾した日本というのは当時の天皇と日本政府と軍部だ。
1、戦争責任を認め謝罪したいわゆる『村山談話』を国を売る行為だと非難する発言が先の番組内であった。国を代表して国際社会に自国の過去の非を認め、謝罪するという行為が何故売国になるのか。非を認めるという潔い行為を非難し、謝罪する謙虚さを逆に罵る狭量さは子供っぽい。何故あの談話こそ日本(人)的良さ或いは大人の態度と思えないのか。
2、敗戦後の日本人は耐え難きを耐えて多くのモノを受け入れてきたのだ。憲法9条は押し付けられたものだから良くないというのはあまりに幼稚。どのような経緯でできた文言であれ、良いものは良いとして受け入れる度量の大きさを我々は持っていると諸外国(人)に誇れるではないか。
3、「外交の現場を経験してきたものとして言えるのは、憲法9条こそ日本の最大の安全保障だ」と元外交官の天木直人氏が先の番組で発言をした。あの番組の中では最も説得力のある発言だと思えた。「外交はきたないもの・・・」と田母神氏が発言した後での事だったからなおさら納得できた。
4、核爆弾を製造保持したからこそ北朝鮮はアメリカなどとも対等に渡り合って巧みな外交を展開している・・・という発言もあった。そして、北朝鮮のような国がいきなり戦争をしかけてくるかもしれないから、核を自由に使える形にすべきだという発言(非核三原則などはとうに破られて原潜空母により核は日本に持ち込まれているわけだが・・・)すらあった。軍事ほど不経済なものはないのに、まだ軍縮に逆行することを議論しているのだ。
アメリカの巨大産軍共同体がアメリカの世論も対外政策も動かしていかに多くの過ちを起こさせたか・・・。北朝鮮の独裁軍事国家がどういう国内状況を作り出しているか・・・。それらを反面教師として見ながらも何故か同じ轍を踏もうとしているように見える。
再度強調したい。高い地位にいる(いた)人が、思慮のない軽率な発言をした場合、類似の思い込みをする人間が現れて矮小な個人テロもどきの犯罪事件を誘発することが危惧されるのだ。『風が吹くと桶屋が儲かる』よりも、もっと短絡して現実的な事だと思うのだが杞憂だろうか。