日本の近隣、アジアにおいての核爆弾保有国は北朝鮮、中国、ロシア、インド、パキスタンだ。ロシアはアジアではないが戦争もしたし北方領土を占領している隣国だ。領土問題は中国とも韓国とも係争中だ。軍事大国になった中国は、地下原潜基地も持っているようだし、近々アジアでは初めて空母を持つ国になるそうだ(建造中)。これらを踏まえて書いてみる。
日本が攻められる可能性はあるのか。
これだけ高度に依存しあう流通経済の時代にあって、突発的に起こることはありえない。日本には宗教対立もほとんどない。どういう団体の誰が煽ろうにも大きな対外的な火種はありえない。小さな嫌がらせ的小競り合いのようなものは、島の占有問題において起きる可能性はあるだろうが、深刻な事態にはならない。双方が深刻な事態にはしない筈だ。周り(アジア諸国、欧米諸国)が深刻な事態にはさせない筈だ。結局誰の得にもならないだろうということが、すぐに知れるからだ。自衛隊があるからそれを防げるのではなく、自衛隊が存在することにより深刻になりそうな気配は生じても結局深刻な事態にはならないだろうと思われる。
他国の軍事部門の一部が突出行動を起こす場合はあるのだろうか。
どこの国でも軍隊は政治の元に掌握され常に完全管理されているとは限らない。戦前戦中の旧日本軍の関東軍や陸軍が独走したような事があり得るのだろうか。自衛隊を縛りのない軍隊へ、憲法9条改定せよと考える人達の根拠は、この不安にあるのだ。そして軍事的優位に立っての睨みこそが日本の安全を保証するという訳である。とにかく自衛隊をれっきとした軍隊にしたいのだ。そして、日米安保によって守られているという認識が口惜しいばかりに、自国で核爆弾(つまり核ミサイル)や原潜を持ちたいと夢想するのだろう。
突出行動はあったとしても、すぐに収まるに違いない。そういうことを許してしまうほど、どこの国の国民も指導者も愚かではないだろうと思う。歴史は繰り返すと言うけれど、繰り返す条件も状況もグローバル化によって加速度的にかけ離れていきつつあるのだ。
テロが日本で起こる可能性はあるのか。
ほとんど有り得ない。様々な失敗を犯したブッシュ・アメリカにべったりと寄り添った状態でさえ、日本ではテロが起きなかった。ブッシュの失政を教訓にして成立するオバマ・アメリカでの元なら、尚のことテロの可能性はなくなるだろうと思う。可能性があるとしたら、自衛隊が海外派兵などをして、トラブルが起きた時だろう。ソマリア沖の海賊対策にしたって、自衛隊が行くことはない。海上保安庁の仕事だ。日本近海の漁船拿捕や侵犯だって海上保安庁を強化すればいいのだ。
自爆テロなどのどんなテロを起こす側にも、それなりの正当性があるのだろうが、日本で起こす正当性はほとんどない。様々な国際会議に対する警察の警備も厳重だ。インドのムンバイで起きたようなテロがあったとしても、自衛隊が出る幕はない。警察を押しのけて軍隊としての自衛隊が出てくるように仕向けるテロはあり得るかも知れないが、それは自衛隊があるから起きるテロだ。しかしそういうテロもないだろうと思う。自衛隊は憲法9条に守られた偽軍隊なのだから。ある不安を持つ人々を慰めるためのものであり、力の論理でしか国際政治を考えない人々の好戦意欲をガス抜きするために存在しているようなものだから。
軍隊を持つことに異を唱え9条を守ろうと言う人の意見に対して、理想論だと反発する人がいる。それに対して、理想がなぜ悪い、そのお金を福祉などに使ったらどんなに良いか・・・というような応え方をしたのでは、水掛け論になるばかりで収拾がつかない。核および軍事を背景にする外交の古めかしさ、不経済をもっと主張すべきだ。理想論や夢だと言われるのなら、それを飛躍させた形の軍事軍備につぎ込む代りに宇宙開発、海洋資源開発へと語ったらいいだろうに・・と思う。
軍隊が不必要な世界になるに越したことはない。軍隊は消滅するべき存在だということが、大前提にあっての事でなければ国際政治は語られてはならない。それなのに軍隊組織はファッションメーカーが流行を作り出して無理にでも需要を掘り起こすように、組織存続拡大だけが前提になって自己主張しているのは、どこの軍隊でも宿命的に当たり前のことなのかも知れない。軍人及び好戦的な人は軍事の尺度でしか国際関係を計らない。
再度言いたい。軍備軍事を背景にした外交は古いのだ。どうしても目に見える形の軍隊という力でしか国力や愛国心を確認できない種類の人々のために、軍隊があるのだ。なんという無駄使いだろう。本当にもったいないことだ。もったいないと言えば、金融工学などというばかげた仕組みの虚業による金融商品で踊り狂った人種にも呆れるばかりだ。
まとまりのない主張になった。どう〆ていいのかもわからなくなった。仮想敵を定めて、それに向かって攻撃するのが一番効率のよい理論構築になるのかも知れない。おっと、それでは軍隊支持者と同じことだ。しばらく考えてみたい。
日本が攻められる可能性はあるのか。
これだけ高度に依存しあう流通経済の時代にあって、突発的に起こることはありえない。日本には宗教対立もほとんどない。どういう団体の誰が煽ろうにも大きな対外的な火種はありえない。小さな嫌がらせ的小競り合いのようなものは、島の占有問題において起きる可能性はあるだろうが、深刻な事態にはならない。双方が深刻な事態にはしない筈だ。周り(アジア諸国、欧米諸国)が深刻な事態にはさせない筈だ。結局誰の得にもならないだろうということが、すぐに知れるからだ。自衛隊があるからそれを防げるのではなく、自衛隊が存在することにより深刻になりそうな気配は生じても結局深刻な事態にはならないだろうと思われる。
他国の軍事部門の一部が突出行動を起こす場合はあるのだろうか。
どこの国でも軍隊は政治の元に掌握され常に完全管理されているとは限らない。戦前戦中の旧日本軍の関東軍や陸軍が独走したような事があり得るのだろうか。自衛隊を縛りのない軍隊へ、憲法9条改定せよと考える人達の根拠は、この不安にあるのだ。そして軍事的優位に立っての睨みこそが日本の安全を保証するという訳である。とにかく自衛隊をれっきとした軍隊にしたいのだ。そして、日米安保によって守られているという認識が口惜しいばかりに、自国で核爆弾(つまり核ミサイル)や原潜を持ちたいと夢想するのだろう。
突出行動はあったとしても、すぐに収まるに違いない。そういうことを許してしまうほど、どこの国の国民も指導者も愚かではないだろうと思う。歴史は繰り返すと言うけれど、繰り返す条件も状況もグローバル化によって加速度的にかけ離れていきつつあるのだ。
テロが日本で起こる可能性はあるのか。
ほとんど有り得ない。様々な失敗を犯したブッシュ・アメリカにべったりと寄り添った状態でさえ、日本ではテロが起きなかった。ブッシュの失政を教訓にして成立するオバマ・アメリカでの元なら、尚のことテロの可能性はなくなるだろうと思う。可能性があるとしたら、自衛隊が海外派兵などをして、トラブルが起きた時だろう。ソマリア沖の海賊対策にしたって、自衛隊が行くことはない。海上保安庁の仕事だ。日本近海の漁船拿捕や侵犯だって海上保安庁を強化すればいいのだ。
自爆テロなどのどんなテロを起こす側にも、それなりの正当性があるのだろうが、日本で起こす正当性はほとんどない。様々な国際会議に対する警察の警備も厳重だ。インドのムンバイで起きたようなテロがあったとしても、自衛隊が出る幕はない。警察を押しのけて軍隊としての自衛隊が出てくるように仕向けるテロはあり得るかも知れないが、それは自衛隊があるから起きるテロだ。しかしそういうテロもないだろうと思う。自衛隊は憲法9条に守られた偽軍隊なのだから。ある不安を持つ人々を慰めるためのものであり、力の論理でしか国際政治を考えない人々の好戦意欲をガス抜きするために存在しているようなものだから。
軍隊を持つことに異を唱え9条を守ろうと言う人の意見に対して、理想論だと反発する人がいる。それに対して、理想がなぜ悪い、そのお金を福祉などに使ったらどんなに良いか・・・というような応え方をしたのでは、水掛け論になるばかりで収拾がつかない。核および軍事を背景にする外交の古めかしさ、不経済をもっと主張すべきだ。理想論や夢だと言われるのなら、それを飛躍させた形の軍事軍備につぎ込む代りに宇宙開発、海洋資源開発へと語ったらいいだろうに・・と思う。
軍隊が不必要な世界になるに越したことはない。軍隊は消滅するべき存在だということが、大前提にあっての事でなければ国際政治は語られてはならない。それなのに軍隊組織はファッションメーカーが流行を作り出して無理にでも需要を掘り起こすように、組織存続拡大だけが前提になって自己主張しているのは、どこの軍隊でも宿命的に当たり前のことなのかも知れない。軍人及び好戦的な人は軍事の尺度でしか国際関係を計らない。
再度言いたい。軍備軍事を背景にした外交は古いのだ。どうしても目に見える形の軍隊という力でしか国力や愛国心を確認できない種類の人々のために、軍隊があるのだ。なんという無駄使いだろう。本当にもったいないことだ。もったいないと言えば、金融工学などというばかげた仕組みの虚業による金融商品で踊り狂った人種にも呆れるばかりだ。
まとまりのない主張になった。どう〆ていいのかもわからなくなった。仮想敵を定めて、それに向かって攻撃するのが一番効率のよい理論構築になるのかも知れない。おっと、それでは軍隊支持者と同じことだ。しばらく考えてみたい。