昨日、薄墨桜を観てから、同じ会津高田の雀林地区の法用寺*・虎の尾桜へ向かった。法用寺へは、昨年恵方に当たるので家族全員で雪の中を初詣をした。ここへは三重の塔を眺めに何度も訪れているが、いま3分咲きに開いた桜に囲まれた塔はことに美しく、重厚に見えた。

法用寺・観音堂前にある虎の尾桜は、3本の幹が立ち、その形から虎の横たわる姿に見立てた説と、おしべの変化した旗弁が中央から出ているところからそう呼ばれたと言う説がある。大同三年(808)徳一大師が観音堂を再建したときに植えられたと伝えられ、現在の木は3代目と言われている。
また、境内の三重の塔の脇には、元住職であった中野寅吉が小樽日報社の事務長時代に敵対した石川啄木の歌碑が2つあり、しばらく天才歌人に思いをはせた。

あらそひて
いたく憎みて 別れたる
友をなつかしく 思ふ日も来ぬ
啄木
敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに
啄木
(会津5桜巡りも、あと一つ猪苗代町の大鹿桜だ。今週末には咲くのではないだろうか。)
*http://www.town.aizutakada.fukushima.jp/top/kankoutizu/houyouji.htm

法用寺・観音堂前にある虎の尾桜は、3本の幹が立ち、その形から虎の横たわる姿に見立てた説と、おしべの変化した旗弁が中央から出ているところからそう呼ばれたと言う説がある。大同三年(808)徳一大師が観音堂を再建したときに植えられたと伝えられ、現在の木は3代目と言われている。
また、境内の三重の塔の脇には、元住職であった中野寅吉が小樽日報社の事務長時代に敵対した石川啄木の歌碑が2つあり、しばらく天才歌人に思いをはせた。

あらそひて
いたく憎みて 別れたる
友をなつかしく 思ふ日も来ぬ
啄木
敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに
啄木
(会津5桜巡りも、あと一つ猪苗代町の大鹿桜だ。今週末には咲くのではないだろうか。)
*http://www.town.aizutakada.fukushima.jp/top/kankoutizu/houyouji.htm