エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

良寛を歩く  (その1)

2006-05-25 | 旅行
         《緑の中の五合庵》
 
新緑の国上山に良寛を偲ぶ」 (2006.5.24)

 また、良寛を訪ねる旅がしたいと思った。久々にさわやかな天気に恵まれた昨日、何度目になるだろうか、良寛生誕の地、出雲崎をめざした。
 ときどき、新潟へ良寛ゆかりの地を訪ねてきたが、初めて出雲崎の良寛堂を訪ねたのはもう20年も前だった。それは父の所望で、当時、私自身特に興味もなく、ただ運転手を務めた。父の良寛の話も上の空で聞いていた。
 思えば父はいつも良寛を語っていた。その後、父の残した良寛に関する本を読んだりしているうちに、次第に自分も良寛に傾倒して行った。
良寛の見たものと同じものを自分も見てみたいと思う旅だった。そこで彼が何を考え、どんな生活していたのかを知りたかった。次第に、良寛の「騰々として天真に任せる」生き方や「知足の精神」を尊敬しあこがれるようになった。

国上山、五合庵へは3度目になる。国上寺本堂はさわやかな緑の中にあった。良寛も長い厳しい冬を越し、山々の新緑をどれだけさわやかな気持ちで見つめたことだろうか。200年前に良寛が日々歩いたであろう杉並木の山道は、昨日の雨にしっとりと濡れていた。ひっそり佇む五合庵に来ると、いつも良寛の清貧の生き方を思い、日頃の贅沢を恥じざるを得ない。
良寛は五合庵で39才の年から20年、その下の乙子神社に10年を過ごしたという。国上寺では中興の祖と言われる客層、万元和尚の労に報いて小庵を建て、毎日5合のお米を給したと言う。万元は小庵を「五合庵」と呼んだ。五合庵の裏手にその万元上人墓碑があった。
 乙子神社の右手には良寛の詩歌碑があった。 いつからか私の座右の銘にしている「生涯懶立身 騰々任天真」の漢詩だ。あらためてそんな生き方を確認した。

参)拙ブログ
 6/17【良寛を歩く(その7)】
 6/16【良寛を歩く(その6)】
 6/9 【良寛を歩く(その5)】     
 6/4 【良寛を歩く(その4)】
 6/2 【良寛を歩く(その3)】
 5/29【良寛を歩く(その2)】