仙台の八木山動物園に行った。孫たちに本物のアフリカを見せたかった。
3年前の8月に初めて行った時、武琉君は大きな蛇から離れなかった。萌香ちゃんはまだ乳母車でほとんど記憶はなかっただろう。日曜は混むだろうと思い、土曜日にママに休みを取ってもらった。でも、観光バスが十数台並び、親子連れの幼稚園児たちでかなりの混雑だった。
最近、動物を扱うテレビ番組が多く、武琉君は非常に興味を持っていた。今の興味・関心は、カブトやクワガタ、恐竜、そして生き物だ。生き物は動物はもちろん、鳥や魚、虫たち、何にでも興味を抱いている。武琉君の今日のお目当てはシマウマとハイエナだ。ハイエナはいないと教えるとがっかりしていた。萌香ちゃんはライオン、トラ、ゾウを挙げた。
夜行性の猛獣はほとんど気持ちよさそうに寝ていた。ホッキョクグマは長時間愛嬌を振りまいてくれた。今日は一日、疲れたが楽しかった。孫たち以上に付き添いの大人がこころ豊かな一日を過ごせた満足感に浸った。
実は最近、「みちくさ新聞」で動物園の意義を問うコラム(*)を読んだばかりだった。
今、動物園の存在意義が問われているようで、いろいろ考えてしまった。でも、単純に今の時期に孫たちの関心を持っている動物を、映像でなくその実物を見せてやりたいと思っていた。そして、できればいろいろな動物の愛おしさ、かけがえのない命を教えたかった。
たしかに生まれ故郷を離れ、狭い空間での生活を余儀なくされている動物たちを少し哀れに思った。でも、お役目ご苦労さん、どれだけ多くの人間に喜びを与えてきたことか。人間のエゴが野生動物の犠牲の上にあることに感謝しながら、動物へのやさしさ、命の貴さなど、彼らの犠牲をはるかに超えるものを子どもたちにつかませてやりたいと思っている。また、動物たちにもそれほど劣悪な環境ではなかったと思う。飼育環境は一昔前の檻、見せ物といったイメージからは変わってきている。
あの大人気の旭山動物園では、内部の勉強会で、動物園の存在意義について徹底的に議論し、基本コンセプトのリメイクをした。そして・レクリエーションの場・教育の場・自然保護の場・調査研究の場の4つの役割を再確認したという。
昨日の動物園、子どもたちにはどんな風に見えたのだろうか。動物たちにふれあい、喜び、満足そうな孫たちを見ながらよかったと思った。
(*)【 みちくさ新聞・129号 「あぜ道」】
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素朴に問う。動物園はいるのだろうか。捕われ、拘束され、人間の都合の中に押し込められた動物を見て何がおもしろいのだろう。「子供が喜ぶ?」、道を行く子供は十分に遊んでいる。何もかもが目新しい。少なくとも進学コースに乗せられるまでは。蟻一匹がおもしろい。ネコジャラシがおもしろかった。誰が草がはえない道にした、誰がのんびり歩けなくさせた、誰がネコジャラシを空地の汚い雑草にした…。われわれが見ている檻の中の動物達は精神を病んでいるのではないのか。確かに、外国に誰も行けない時代、テレビもない時代、象を一度見てみたいと思っても不思議ではない。ただ象を見たからといって、人生は変わらない。思い出して欲しい。クワガタ一匹に興奮した幼い日々、それでいいのではないのか…。
無名者の歌五首。「行き惑う心を持ちて立ちつくすふるさと忘れし犀を見つめて」山本徳子。「檻の隅に背をのみ見せて動かざるオランウータン汝もかなしきか」荒家房子。「囲われし虎は目つむり横たわるほんとの虎は此処には居らず」星名正雄。「この檻を一生出られぬシロクマをピースと呼べばすこしさびしい」今井洋子。「檻の中チンパンジーはヒトを見てじっくりと観て進化をやめる」前田一揆。
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3年前の8月に初めて行った時、武琉君は大きな蛇から離れなかった。萌香ちゃんはまだ乳母車でほとんど記憶はなかっただろう。日曜は混むだろうと思い、土曜日にママに休みを取ってもらった。でも、観光バスが十数台並び、親子連れの幼稚園児たちでかなりの混雑だった。
最近、動物を扱うテレビ番組が多く、武琉君は非常に興味を持っていた。今の興味・関心は、カブトやクワガタ、恐竜、そして生き物だ。生き物は動物はもちろん、鳥や魚、虫たち、何にでも興味を抱いている。武琉君の今日のお目当てはシマウマとハイエナだ。ハイエナはいないと教えるとがっかりしていた。萌香ちゃんはライオン、トラ、ゾウを挙げた。
夜行性の猛獣はほとんど気持ちよさそうに寝ていた。ホッキョクグマは長時間愛嬌を振りまいてくれた。今日は一日、疲れたが楽しかった。孫たち以上に付き添いの大人がこころ豊かな一日を過ごせた満足感に浸った。
実は最近、「みちくさ新聞」で動物園の意義を問うコラム(*)を読んだばかりだった。
今、動物園の存在意義が問われているようで、いろいろ考えてしまった。でも、単純に今の時期に孫たちの関心を持っている動物を、映像でなくその実物を見せてやりたいと思っていた。そして、できればいろいろな動物の愛おしさ、かけがえのない命を教えたかった。
たしかに生まれ故郷を離れ、狭い空間での生活を余儀なくされている動物たちを少し哀れに思った。でも、お役目ご苦労さん、どれだけ多くの人間に喜びを与えてきたことか。人間のエゴが野生動物の犠牲の上にあることに感謝しながら、動物へのやさしさ、命の貴さなど、彼らの犠牲をはるかに超えるものを子どもたちにつかませてやりたいと思っている。また、動物たちにもそれほど劣悪な環境ではなかったと思う。飼育環境は一昔前の檻、見せ物といったイメージからは変わってきている。
あの大人気の旭山動物園では、内部の勉強会で、動物園の存在意義について徹底的に議論し、基本コンセプトのリメイクをした。そして・レクリエーションの場・教育の場・自然保護の場・調査研究の場の4つの役割を再確認したという。
昨日の動物園、子どもたちにはどんな風に見えたのだろうか。動物たちにふれあい、喜び、満足そうな孫たちを見ながらよかったと思った。
(*)【 みちくさ新聞・129号 「あぜ道」】
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素朴に問う。動物園はいるのだろうか。捕われ、拘束され、人間の都合の中に押し込められた動物を見て何がおもしろいのだろう。「子供が喜ぶ?」、道を行く子供は十分に遊んでいる。何もかもが目新しい。少なくとも進学コースに乗せられるまでは。蟻一匹がおもしろい。ネコジャラシがおもしろかった。誰が草がはえない道にした、誰がのんびり歩けなくさせた、誰がネコジャラシを空地の汚い雑草にした…。われわれが見ている檻の中の動物達は精神を病んでいるのではないのか。確かに、外国に誰も行けない時代、テレビもない時代、象を一度見てみたいと思っても不思議ではない。ただ象を見たからといって、人生は変わらない。思い出して欲しい。クワガタ一匹に興奮した幼い日々、それでいいのではないのか…。
無名者の歌五首。「行き惑う心を持ちて立ちつくすふるさと忘れし犀を見つめて」山本徳子。「檻の隅に背をのみ見せて動かざるオランウータン汝もかなしきか」荒家房子。「囲われし虎は目つむり横たわるほんとの虎は此処には居らず」星名正雄。「この檻を一生出られぬシロクマをピースと呼べばすこしさびしい」今井洋子。「檻の中チンパンジーはヒトを見てじっくりと観て進化をやめる」前田一揆。
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