エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

 七ヶ宿ダム  - 湖底の故郷 -

2008-06-09 | 旅行
             【在りし日の七ヶ宿  太田邦三 画】

 もう10年以上も前、銀婚式の記念旅行で遠苅田温泉に泊まった。帰りに白石から国道113号で七ヶ宿町を通過し南陽、米沢を回って帰ったことがあった。その折りに七ヶ宿ダム湖畔の歴史館で、ダムに沈む村の様子を描いた絵を見た。その素晴らしい絵を忘れなかった。

 一昨日、家族で八木山動物園に遊んだあと、その絵をもう一度みたい思いで米沢まわりで帰宅することにした。
 前に寄ったところは、郷土資料館「七ヶ宿町水と歴史の館」とあった。別の場所に、当時はなかった立派な道の駅が出来ていた。そのためか資料館の広い駐車場は草が生え、あまり観光客は訪れていない様子だった。受付の方に、懐かしくて絵をもう一度見に来た旨話すと、少しならと、絵の写真を撮ることを許可してくれた。
 その絵は館の開館のため寄贈された絵で、三人の作家(太田邦三氏、太田厚氏、千葉節夫氏)が、湖底に沈んだ三集落の四季の風景を描いたものだった。絵をながめ、今はない生活を想像すると切ない思いが去来した。また、それぞれの寄贈に当たってのメッセージにこころ打たれた。
 以下は千葉厚氏のコメントである。
湖底に沈む七が宿を描き続けて
 『七が宿の人々が、数百年も受け継いできた祖先伝来の田畑、小川、森、家並み、そして四季折々の一木一草に到るまで永久に湖底に沈む集落。在りし日の面影。その美に魅せられ、後世の人々に思いを残したい一心で、私なりに追求し、描き続けた作品です。』 

 折しも館内では特別展【戊辰戦争140年in七が宿】が開催されていた。あわせて、あらためて七が宿町の歴史を学ぶことが出来た。

【太田厚 画】

【千葉節夫 画】

【大田邦三 画】

★ 東海林太郎の歌う「湖底の故郷」が思い出された。
     夕陽は赤し 身は悲し
     涙は熱く 頬濡らす
     さらば湖底の わが村よ
     幼き夢の 揺り籠よ
★ さらに4年前に旅した飛騨の御母衣ダムを思い出した。
以下はそのときのエッセイである。
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湖底に沈んだ村の桜に思う」  (2005.5)
 旅はいつもいくつもの感動をくれる。
 桜の時期に飛騨の旅を楽しんだ。飛騨高山から白川郷へ向かう途中、御母衣ダム湖畔の荘川桜に車を止めた。そこでつぼみを膨らませたこの桜の感動の物語を知った。
「進歩の名の下に、古き姿は失われていく。だが、人力で救える限りのものはなんとかして残していきたい。古きものは古きが故に尊い」と、ダムに沈んだ村に数百年生き抜いた老桜が移植され、ふるさとが二本の桜によみがえったのだ。
 先祖伝来の郷土、家や田畑、神社、学校等思い出のすべてがダムに沈んだ村、その村人の切なさは察するに余りあった。物言わず数百年間、時代を静かに見つめてきた桜を眺めると胸が熱くなった。そして、国のため、地域のための礎となった日本各地の湖底のふるさとを思った。さらに成田闘争が思い出され、国家のためと、秤にかけられない個人の権利、三里塚の農民のいい知れない辛い思いがよみがえった
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 [七ヶ宿ダム] (ネットから)
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七ヶ宿ダムは、昭和48年以来、およそ19年の歳月をかけ平成3年に完成しました。この完成により、流域の洪水調整を図るとともに、農地へのかんがい用水、水道水、工業用水の確保など、多目的ダムとして幅広い活躍をしています。
 一方、ダムが建設される事で、三つの集落(追見・原・渡瀬)の158戸が湖底に沈みました。住み慣れた家から移転を余儀なくされた人々の惜別の気持ちをバネに、水源の町として新たな未来を形にしようとしています。
七ヶ宿湖は、平成17年3月にダム湖百選に認定されました。
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