庭の隅でシロヨメナがさびしそうに咲いている。
「野菊の墓」で政夫が民子の墓に供えたのはノコンギクだろうか。
この時期になると伊藤左千夫の「野菊の墓」を思う。
何十回読んだことか、何年かぶりに、色あせた文庫本「野菊の墓」を開いた。
またも心打たれるせつない物語だった。
同じ冊子に収められた、「野菊の墓」の原型とも言われる「守の家」も読んだ。これまた切ない、悲しい話だ。
丁度「守の家」の《自分》とお守りの《お松》の気持ちが、同じ5,6歳になる孫たちと祖母である妻と重なってきた。孫たちが片時も離れられない大好きな祖母の存在である。
私も、妻や「守の家」の《お松》のような存在になってやりたい。
しばらくは、妻と私の生き甲斐の孫たちを、甘えるだけ甘えさせ、優しく慈しんでやりたい。