エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

私は「センボンヤリ」でした。

2006-05-08 | 自然観察
 拙ブログ5/3に書いた「私は誰でしょう?」の私は「センボンヤリ」のようです。
 HP「Nikko Today」(http://nikkotoday.com/)の管理人さんに教えていただき解決。ありがとうございました。
 早速パソコンや手持ちの図鑑で確認したところ間違いないようだ。
初めて見た花だったが、ときどき現地に行って観察していきたいと思っている。
 「何事にも先達はあらまほしきことなり」という徒然草の一文があるが、ありがたく、すっきりした気持ちで図鑑を見ている。



以下は【http://homepage.mac.com/n_yoshiyuki/hana/senbonyari.html】による、センボンヤリの解説

センボンヤリ
 「多年草  北海道~九州の山地や丘陵の日当たりのよい草地などに生える。春の葉は卵形で、縁には欠刻があり、裏面には白いクモ毛が密生する。秋の葉は長さ10~16cm、幅3~4cmの倒卵状長楕円形で、羽状に中裂する。頭花にも2型ある。春の花は直径約1.5cmで、高さ5~15cmの花茎の先に1個つく。まわりに裏面が帯紫色の白い舌状花が1列に並び、中心部に筒状花があり、タンポポに似た花をつける。秋には高さ30~60cmの花茎をのばし、先端に閉鎖花を1個つける。そう果は長さ約6mm。冠毛は淡褐色で長さ約1cm。花期は4~6月、9~11月
  学名は、Leibnitzia anandria キク科センボンヤリ属」





待ちかねた新しい緑     

2006-05-07 | エッセイ
  《馬頭観世音の碑 はるかに磐梯山》

 連休も終わる。大鹿桜(5/5ブログ)を見に猪苗代方面へ新緑のドライブに出かけた。走りゆく周囲の新しい春がさわやかだ。
 猪苗代はようやく梅、桜が満開だった。トラクターの音が戻り、掘り返す真っ黒な土に待ちかねたいのちの香りが感じられた。一かたまりの菜の花畑の向こうに、芽吹き始めたカラマツの林がつらなり、点々と白く鮮やかなコブシの花がひときわ美しかった。花びらが春の風にながれていた。一瞬、時が止まり、いつか同じ光景に出会ったような錯覚におちいった。夢の中のような青春の詩の世界がよみがえった。
 ”あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ 
 残雪の雄大な磐梯を仰ぎ深呼吸をする。
 世の中の喧噪をよそに、年々歳々同じように訪れる春。木々は新しい喜びに満ちあふれ、やわらかな陽にほのかに揺れている。
 萌えいづる緑の中で、しばし忘れかけていた豊かな時間を思った。

感動は 人として生きる豊かさ   

2006-05-06 | 教育を考える
 教職にあったとき、さわやかな新学期には達治の詩「甃のうへ」を板書しノートさせるのが常だった。教室から校庭を眺め、花びらが舞い散る情景に我が青春を語ってきた。そして生徒たちに何を感じるかを問い、甲斐ある高校生活を願うのが常であった。
 最先端のロボットが涙を流す時代は来ないと信ずるが、人が美しいものに触れ心を動かされない不思議を思う。世の中が時間的、精神的なゆとりを与えないからであろうか、周囲に関心を抱き感動する心が足りないと思う。
 雨上がりの蒼い山並が田植えの水面に映る美しさや風に揺れる小さな自然に、さらには文字の連なりからなる一編の詩からも心動かされる。生きゆく時間の中でのあらゆる感動は人として生きる豊かさに違いない。
 躾だけでなく情操を育てたい。それらに気づかない高学歴志向の中身を憂う。
 情緒、情操は小さい頃の家庭で育つものと思う。それらを反省する「心の教育」が大切である。

甃のうへ

あわれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ


会津五桜鑑賞記   (その5)大鹿桜

2006-05-05 | 街中散歩
           《まだつぼみの堅い大鹿桜》

 猪苗代町の磐椅(いわはし)神社に、会津五桜のうち開花が一番遅い大鹿桜を観に出かけた。残念ながら、隣の土津(はにつ)神社駐車場から磐椅神社への入り口近くの杉林や、神社周辺にはまだ雪が残っていて、大鹿桜のつぼみはまだ堅く、開花まであと1週間はかかりそうに思えた。
 大鹿桜はサトザクラ種の八重の小菊桜で、花の色が白から次第に茶色や桃色へと変わり、あたかも鹿の毛の色のように見えることから大鹿桜と呼ばれているそうだ。
 でも境内のソメイヨシノや土津神社境内の小彼岸桜の美しさに心が洗われた。

 会津五桜巡りも今日で終わり、美しい桜をこれほど見つめた年はなかった。
 神社では、健康に気をつけて、また来年も美しい花をながめることができますようにとお祈りした。


 猪苗代までの途中、どこからも麗しい磐梯山の雪形を楽しんだ。頂き近くの雪形は「狐雪」とか「虚無僧雪(こむそうゆき)」を言われ、春の農作業の時期の目安になってきた。
確かに、狐の形や袈裟を着て深編み笠をかぶり、尺八を吹いて修行する虚無僧の姿に見える。また中腹には「らくだ」のような模様も見え、右には蛇形もあった。
全国各地で、我々の先祖は山の残雪模様を暮らしに結びつけ関わってきたようだ。
その年の天候や見る角度、また時期により作られる雪形はおもしろいものだ。
普段余り関心のなかった雪形だが、近くで見る雪形は新鮮でとても興味を持った。

  http://www.uranus.dti.ne.jp/~t-rodon/
  http://www.asahi-net.or.jp/~bz5k-kmt/hanitu.htm

伯父の残した掛け軸

2006-05-04 | 日々の生活
 久しぶりに従兄弟の家に寄った。
そこで、いままで見たことのない掛け軸が床の間に掛けてあった。
 私も、教育者であり書家でもあった母方の伯父から、自分で表装した何幅もの掛け軸をいただいて床の間に掛けてある。でも、この一幅は、独創的なとても珍しいものに思えた。
 親から子へ、子から孫へと会津の血が流れていく。頑固で融通がきかず、気さくで涙もろい会津気質を納得し、両親を(私にとっては祖父母を)温かく受け入れる伯父の優しい顔が浮かんできた。
伯父は私の父と同じ年に旅立ったが、今年は17回忌になる。

私は誰でしょう?

2006-05-03 | 自然観察
《私は誰でしょう?》

 連休後半の3日は朝から晴れ上がり穏やかな春日和となった。
ドライブがてら泡の巻き公園に向かった。(参:拙ブログ4/29)
 先日公園で出逢い、写真に納めた白い花は何かと、確かめに行った。頭花のみの撮影だったので、葉を観察したかった。シロバナタンポポかとも思えたが、図鑑で調べるとそれは本州関東以西の分布とある。
 現地は公園の広場全面が散り急ぐ桜の花びらに覆われていて、白い花は見つけにくかった。妻と時間をかけて探し、ようやくそれらしい花を見つけた。写真を撮り観察したが、葉の形は違い小さく明らかにタンポポではなかった。そのうち牧野富太郎の大図鑑で検索してみようと思っている。
 興味を持って植物を見ているといろいろ珍しいものがある。今年もニリンソウの花が3本のものや、薄いブルーのアズマイチゲなどを写真に納めた。昨年は散歩の途中で珍しいオオバコに出逢った。突然変異と思われるが、普通1本の花茎が枝状に多くの花茎が付いていた。
      《珍しいオオバコ》

 それぞれに個性豊かに精一杯生きている植物、私はそれらの草々を見つめることが大好きだ。これからも小さないのちとの対話を続けていきたい。

会津五桜鑑賞記  (その4) 虎の尾桜

2006-05-02 | 街中散歩
  昨日、薄墨桜を観てから、同じ会津高田の雀林地区の法用寺*・虎の尾桜へ向かった。法用寺へは、昨年恵方に当たるので家族全員で雪の中を初詣をした。ここへは三重の塔を眺めに何度も訪れているが、いま3分咲きに開いた桜に囲まれた塔はことに美しく、重厚に見えた。


 法用寺・観音堂前にある虎の尾桜は、3本の幹が立ち、その形から虎の横たわる姿に見立てた説と、おしべの変化した旗弁が中央から出ているところからそう呼ばれたと言う説がある。大同三年(808)徳一大師が観音堂を再建したときに植えられたと伝えられ、現在の木は3代目と言われている。
また、境内の三重の塔の脇には、元住職であった中野寅吉が小樽日報社の事務長時代に敵対した石川啄木の歌碑が2つあり、しばらく天才歌人に思いをはせた。


    あらそひて 
    いたく憎みて 別れたる
    友をなつかしく 思ふ日も来ぬ
                      啄木
    敵として憎みし友と
    やや長く手をば握りき
    わかれといふに
                     啄木        


 (会津5桜巡りも、あと一つ猪苗代町の大鹿桜だ。今週末には咲くのではないだろうか。)
*http://www.town.aizutakada.fukushima.jp/top/kankoutizu/houyouji.htm

会津五桜鑑賞記  (その3) 薄墨桜

2006-05-01 | 街中散歩
 
 伊佐須美神社の境内にある薄墨桜が咲き始めた。会津五桜のひとつで、会津総鎮守・伊佐須美神社のご神木で、一枝に一重と八重が混じり、早咲き、遅咲きもある珍しい桜で、植物学上からも貴重な銘木と言う。
 薄日が射すさわやかな5月1日、久々に桜を眺め、神社に参った。
 静寂に参拝の鈴の音が響き、境内に放し飼いのチャボが時を作っていた。
 誰が名付けたのか、咲き始めた薄墨桜は、つぼみはかすかに薄いピンクがかった色合いで、開いた花の中心の花粉が薄く黄緑がかっていて、花の色は何となく薄い墨のように黒ずんで見えた。
 
 神社の裏を流れる清らかな小川に、散り急ぐ桜の花びらが静かに流れ、その畔に、白い鮮やかなニリンソウが凛として咲いていた。遠くに、孫たちが宮川の河川敷公園に遊ぶ姿が見えた。穏やかな春の一日に、境内の落ち着いた春を眺めて歩きながら、こんな幸せな日がいつまでも続いて欲しいと願った。

 http://www.town.aizutakada.fukushima.jp/top/midokoro/isasumi.htm

《薄墨桜 花びら(オオシマザクラ系サトザクラ)》
《境内のチャボ》