エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

楽しかった八木山動物園

2008-06-08 | 日々の生活
 仙台の八木山動物園に行った。孫たちに本物のアフリカを見せたかった。
3年前の8月に初めて行った時、武琉君は大きな蛇から離れなかった。萌香ちゃんはまだ乳母車でほとんど記憶はなかっただろう。日曜は混むだろうと思い、土曜日にママに休みを取ってもらった。でも、観光バスが十数台並び、親子連れの幼稚園児たちでかなりの混雑だった。
 最近、動物を扱うテレビ番組が多く、武琉君は非常に興味を持っていた。今の興味・関心は、カブトやクワガタ、恐竜、そして生き物だ。生き物は動物はもちろん、鳥や魚、虫たち、何にでも興味を抱いている。武琉君の今日のお目当てはシマウマとハイエナだ。ハイエナはいないと教えるとがっかりしていた。萌香ちゃんはライオン、トラ、ゾウを挙げた。
夜行性の猛獣はほとんど気持ちよさそうに寝ていた。ホッキョクグマは長時間愛嬌を振りまいてくれた。今日は一日、疲れたが楽しかった。孫たち以上に付き添いの大人がこころ豊かな一日を過ごせた満足感に浸った。

 実は最近、「みちくさ新聞」で動物園の意義を問うコラム()を読んだばかりだった。
今、動物園の存在意義が問われているようで、いろいろ考えてしまった。でも、単純に今の時期に孫たちの関心を持っている動物を、映像でなくその実物を見せてやりたいと思っていた。そして、できればいろいろな動物の愛おしさ、かけがえのない命を教えたかった。
 たしかに生まれ故郷を離れ、狭い空間での生活を余儀なくされている動物たちを少し哀れに思った。でも、お役目ご苦労さん、どれだけ多くの人間に喜びを与えてきたことか。人間のエゴが野生動物の犠牲の上にあることに感謝しながら、動物へのやさしさ、命の貴さなど、彼らの犠牲をはるかに超えるものを子どもたちにつかませてやりたいと思っている。また、動物たちにもそれほど劣悪な環境ではなかったと思う。飼育環境は一昔前の檻、見せ物といったイメージからは変わってきている。
あの大人気の旭山動物園では、内部の勉強会で、動物園の存在意義について徹底的に議論し、基本コンセプトのリメイクをした。そして・レクリエーションの場・教育の場・自然保護の場・調査研究の場の4つの役割を再確認したという。

昨日の動物園、子どもたちにはどんな風に見えたのだろうか。動物たちにふれあい、喜び、満足そうな孫たちを見ながらよかったと思った。



 

 

 

)【 みちくさ新聞・129号 「あぜ道」】
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 素朴に問う。動物園はいるのだろうか。捕われ、拘束され、人間の都合の中に押し込められた動物を見て何がおもしろいのだろう。「子供が喜ぶ?」、道を行く子供は十分に遊んでいる。何もかもが目新しい。少なくとも進学コースに乗せられるまでは。蟻一匹がおもしろい。ネコジャラシがおもしろかった。誰が草がはえない道にした、誰がのんびり歩けなくさせた、誰がネコジャラシを空地の汚い雑草にした…。われわれが見ている檻の中の動物達は精神を病んでいるのではないのか。確かに、外国に誰も行けない時代、テレビもない時代、象を一度見てみたいと思っても不思議ではない。ただ象を見たからといって、人生は変わらない。思い出して欲しい。クワガタ一匹に興奮した幼い日々、それでいいのではないのか…。
 無名者の歌五首。「行き惑う心を持ちて立ちつくすふるさと忘れし犀を見つめて」山本徳子。「檻の隅に背をのみ見せて動かざるオランウータン汝もかなしきか」荒家房子。「囲われし虎は目つむり横たわるほんとの虎は此処には居らず」星名正雄。「この檻を一生出られぬシロクマをピースと呼べばすこしさびしい」今井洋子。「檻の中チンパンジーはヒトを見てじっくりと観て進化をやめる」前田一揆。
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チョウ・トンボを友に (初夏の里山 その5)

2008-06-06 | 昆虫
             《コウゾリナに吸密するウスバシロチョウ♀》

 6/1(日曜日)の午後だった。平熱に戻ったばかりで身体を気遣いながらの里山の観察だったが、いろいろ学び実に楽しかった。我が家の自然に学ぶ庭でも十分だが、少し踏み入るといろいろな虫たちを友に、何時も新らしい自然の素晴らしさに気づく。

 何年か前から、ウスバシロチョウを撮りに行った野原で初めてキバネツノトンボに出会った。また会えるか期待し野原に踏みいると、案の定きれいな明るい黄色が目立つキバネツノトンボが飛び交った。
《キバネツノトンボ》


 少し前にきれいに咲いていたサワオグルマはもう無く、今は群生したヒメジョオンやコウゾリナの花でウスバシロチョウが無心に吸密していた。日陰にはコジャノメ、ウラナミジャノメが、そして美しく花火のようなシシウドの花にアブたちが、草原のハナダイコンにはアゲハチョウが見られた。いよいよ虫の季節到来だ。まだ草の伸びない野原にはもう羽化したてのギンイチモンジセセリも静かに飛んでいた。

《ヒメウラナミジャノメ》                         

《コジャノメ》

《ギンイチモンジセセリ》                      
《アゲハ》


 トンボは、10日前にきた時よりオイトトンボの個体数がかなり増えた。でもまだ種類は少なく、成熟していないハラビロトンボやの池の端の石に止まるシオカラトンボ、コサナエなどを見た。

《コサナエ》                          

《シオカラトンボ♀》

《未成熟ハラビロトンボ》
                     
《食事中のオオイトトンボ》


 チョウやトンボを見つめる楽しさ。この小さな自然とふれあいに動かされるこころを思う。楽しいだけで終えたくない。この楽しみ、学びを記録したい。そして、たとえば孫たちに伝え、自然に親しむこころを、畏敬の念を育てたいと思う。里山での自然観察は、私にとって大きな「学び」だと思っている。
 





清楚なカキツバタ (初夏の里山 その4)

2008-06-05 | 自然観察
             《さわやかなカキツバタ》

 日曜の《里山散歩》で湿地にカキツバタがさわやかに咲いていた。

わが家の庭には紺色のアヤメが次々と咲いている。アヤメは字のごとく、花びらの根元が網の目のようになり、田や畑など湿地に関係なく花壇でも育つ。昨日あたりから白いアヤメが少し遅れて咲き始めた。

同じ仲間のハナショウブはノハナショウブの改良種で、外側の花びらが大きく華やかに改良されている。最近いろいろな色や形状の様々なハナショウブを見かける。写真は町内で散歩途中に撮したもの。
 私はどちらかというと豪華なハナショウブより清楚なアヤメが好きだ。
《キショウブ》                       《いろいろなハナショウブ》
 
 
 

 カキツバタは花びらの中心に白い線がくっきりと出ていたのですぐに区別できた。隣にはゼンテイカ(ニッコウキスゲ)が数株咲いていた。そういえば、雄国山のニッコウキスゲは今頃一番良い時期だろう。もう何年も行っていないなー。ヒメシャガも咲いていた。これも同じ仲間、アヤメ科アヤメ属に分類されている。

 高田の伊佐須美神社はアヤメまつり、喜多方の塩川町は花しょうぶ祭り、また、長野の安曇野・明科町はアヤメまつりだったろうか。それぞれ何度か行ったことがある。もう40年も前、新婚の頃梅雨のさなかに傘をさして妻と見て歩いた、明治神宮の花菖蒲田のハナショウブも忘れられない。


《ゼンテイカ》                      《ヒメシャガ》
 


思い出のヤマボウシ  (初夏の里山 その3)

2008-06-04 | Weblog
                《市内のヤマボウシ》
 
観察のフィールドにあるヤマボウシの白い総苞はまだ細い緑色だ。猪苗代湖畔のここは夜間の気温は低く、花の時期も若松市内とは2~3週間程の違いがあるようだ。いま、市内では私の思い出の花ヤマボウシが、清楚に、鮮やかに咲いている。
《総苞はまだ細く緑色》

初めてヤマボウシを知ったのは、【植物と人間(生物社会のバランス)宮脇 昭著(NHKブックス)】を読んだときだった。「はしがき」には、「植物と人間の関係といえば、多くの人はすぐ庭の盆栽や切り花を思い出す。また、多少関心のある人は、例えば箱根のヤマボウシの白い花は美しかったという。人間社会の枠の中で生活できた時代は、・・・・」とある。私はこの本を、ときどき環境教育授業の資料として使ってきた。この本はまとめとして、「よりよく生きるための、健全な社会の発展の基礎は、自然の緑の必要性をみんなが共通に理解し、まず生きている緑の確保から始まる」と結んでいる。
 ヤマボウシの白い花をながめながら、緑の自然の大切さを生徒に説いた昔を思い出した。

 いつもの里山観察フィールドへ行くと、決まって大きな木の木陰に車を止める。いつかその木がミズキであることを知った。ちょうどいまきれいに盛りの花を付けていた。花の位置が高くて集まる虫たちを撮ることが出来なかったが、その甘い香りに誘われてカミキリやコガネムシ類が沢山いた。また、林の中でガクアジサイを思わせるカンボクの花がひときわ凛として美しく目立っていた。

《ミズキ》

《カンボク》

イタヤカエデの樹液   (初夏の里山 その2)

2008-06-03 | 自然観察

 
 日曜日の《初夏の里山観察》で、新しい発見をした。トンボを観察していたら、イタヤカデの木陰にいたキマダラヒカゲが数頭、梢の方に飛んでいった。行方を追うと、何と細い枝に大スズメバチが何匹も集まっていた。樹液だ。木は間違いなくイタヤカエデ、へー、カエデにも樹液がでるのかと、新しい発見だった。高いところなので様子はよく見えないが、キマダラヒカゲが3頭樹液を吸いに集まり、オオスズメバチが追い払っている。望遠で除くと、オオスズメバチの迫力ある羽音が聞こえるような気がした。

 家に戻り図鑑を調べたら、イタヤカエデに「樹液は糖分を持っており、北米産のサトウカエデからのカエデ糖の代用品が作られた」とあった。また、「樹液はタバコの香料に使う」ともあり、うなずけた。

 小学生の頃、田の広がる農道脇の林は何とも言えない魅力的な場所で、捕虫網を手にいつも道を急いだ。林の中の四角い広場の境界に背の高い細いクヌギの木が林立していた。その何本かの樹液が蝶やハチ、クワガタやカブトたちの食事場だった。なぜかチョウだけに興味を持っていたが、ゴマダラチョウ、ルリタテハ、キタテハ、キマダラヒカゲなどが樹液に集まっている情景が今も浮かんでくる。また、つづら折りの山道の曲がり角にもクヌギの樹液がでる場所があった。ここは太い背の高さほどのところでとても観察しやすかった。

 あのときめきはどこへ行ってしまったのだろうか。 みんな過ぎ去った在りし日の思い出となってしまった。

オオイトトンボの奇形 (初夏の里山 その1)

2008-06-02 | 昆虫


  昨年は苦しみ続けた発熱だったが、今年になって体調はよく一度も熱を出さなかった。運良く救われた命、昨年暮れの入院治療でまた助けられ取り戻した健康に感謝して生活している。でも生身の身体、明日はわからない。調子に乗りすぎずに、警鐘と捉えてあらためて気をつけて過ごしたい。

昨日は平熱に戻り、午前中は気になっていた鉢物の植え替えをした。
午後は久々の初夏らしい陽気に誘われてしまった。妻の心配も聞かず、初夏の自然観察に出かけた。
 車で10分、いつものフィールドでいくつもの新鮮な発見があった。 コジャノメ、ギンイチモンジセセリ、キマダラヒカゲ、オオイトトンボ、シオカラトンボ、コサナエなどに会えた。また、花ダイコンも畑からの初夏の磐梯の眺望は実に素晴らしかった。そしてミズキやカンボクの花が豪華に咲き、しばし見とれてしまった。昨日の数時間の初夏の里山での観察を記録しようと思う。

 10日前に今年初めて再会したオオイトトンボは、かなり個体数が増えスイスイと飛び回っていた。その中にどうしたのか、腹部が途中から折れ曲がった個体を発見した。また、たまたまその少し前に羽が伸びずに固まってしまったウスバシロチョウにも出会った。運命のいたずらか、羽化の失敗だろう。ときどき奇形の花を見つけていたが、これらのチョウ、トンボが、どうか授かった命をまとうして欲しいと願った。


 
 【腹部の曲がったオオイトトンボ】

【羽化に失敗したウスバシロチョウ】

半年ぶりの発熱

2008-06-01 | 健康

 実に半年ぶりの発熱だ。もう治ったと思ったら大間違いだ。
 一昨夜はちょっと様子が違うので大分早めに床についた。昨日の朝は寒気が出はじめ昼前には38.3度に、でも、常備薬で夕方までに熱は下がってくれた。
 セーターにジャンパーを着込みじっとしている。病気が病気だけに不安はつきないが、発熱はなにも手につかなくなり、当たり前のことが出来なくなることが辛く悔しい。
 今朝はいくらか良いようだ。このまま治まってくれればと思う。
これからもずっと、日々健康に過ごせることに感謝しながら、細心の注意を払って生活して行かなければならないと思いを新たにした。