■ビートオンプラザ■
その昔にボクが中学生だった頃、全ての中心に音楽があった。とは言っても今とは違って限られた小遣いの中で、レコード(CDではないぞ!)を数多く購入することはかなわず、普段はカセットテープに録音したモノを聞き、ここ一番のお気に入りはレコードを購入するというパターンでライブラリーを増やしていた。
ただし、その当時はまだ貸しレコード屋(レコード・レンタル店)は普及しておらず、専ら録音のソースはFMラジオに頼っていたのだが、コレを「エア・チェック」と呼んでいた。数ある番組の中でも一番頼りになったのが、平日の夕方6時から放送していた1時間番組の、FM大阪「ビートオンプラザ」だった。
ボクが聴き始めた頃、パーソナリティーは既に3代目の田中正美(たなか・まさみ=名前の字は正しくないのかも?)さんという人だった。
この番組は今では考えられないことだが、日本版レコードの発売前や発売直後のアルバムが大抵の場合、丸ごと全曲ノーカットで、2枚組の場合は2日にかけて放送していたのだ。モチロン、メジャーなものは当たり前に放送され、中には田中正美さんやスタッフが個人的に発掘してきたような個人的な趣味のアルバム迄紹介されることがあり、リスナー自身の音楽的見地も自然と広がるような内容になっていた。
当時は歌謡曲全盛であり、中学生の大勢はソレを聞いていたが、一部でフォーク系を聞く人、ロック系を聞く人も居た。ロックはその当時、ハードロック系が流行っていたが、そんな中で、ボクの場合はハードなロックを聴くと同時にその対局にある、ボズ・スキャッグスやスティーリー・ダンも聞いていたから、自分で言うのもなんだが、「おませ」な音楽小僧だった。今考えると、ジャズ&フュージョン、ロック、ブルース、ソウルetc...と、何でも聞くようになったのはこの番組の影響が大きかったのだと思う。
■TOTOとの出会い■
そんなFMラジオにかじりついていたある日、確か中学3年の頃だったと思うが、「ガツンッ!」と、心に衝撃を受けるアルバムを聴いた。それがTOTOのファースト・アルバム(邦題は何故か「宇宙の騎士」)だった。
何しろ今から33年も前の話だから確証はないが、コレを初めて聴いたのがビートオンプラザでの放送だったような気がする。いずれにせよ、何しろその辺りのFMラジオがキッカケで、TOTOのデビュー・アルバムは「お気に入り」となってレコード店での購入に至ることになったのだ。
アルバムの中には「Georgy Porgy(ジョージー・ポーギー)」といったボズ・スキャッグス調の曲もあったが、一番衝撃を受けたのが、ボビー・キンボールの超ハイキーなボーカルと、ウルトラ早いがプレーの緻密なスティーヴ・ルカサーのギター・テクがスゴイ、「Hold The Line(ホールド・ザ・ライン)」だった。ボクは弾けもしないのにギターサウンド・フリークなのだが、以来スティーヴ・ルカサーはボクの中での5大ギタリストの一人になっている。
TOTOのアルバムは4枚目のTOTOⅣ(邦題は何故か「聖なる剣」)迄はよく聞いたモノだ。しかし、当時から偏屈者だったボクは、あまりにメジャーになり、みんなが聴くようになると、ついヘソを曲げてしまうクセがあった。TOTOⅣの大ヒットとボビー・キンボールの脱退、そしてそれ以後の音楽性の変化から、ボクの心離れが始まり、5枚目以降のアルバムはほとんど聴かなくなってしまったのだが…。
■延期された来日公演■
そんな思い出深いTOTOも2008年に解散宣言をして活動を終えていたのだが、今回、難病を抱える、元メンバーのマイク・ポーカロを支援するために一時的に再結成することとなり、来日公演が実現した。とは言っても5月に予定されていたものが東北大震災の影響で延期されていたのが、ようやくこの9月に実現されることになったのだ。
ツアースケジュールは、地方公演?が大阪公演が尼崎(兵庫県)のアルカイックホール(約1700席)、金沢公演が金沢歌劇座(約1900席)、名古屋公演が名古屋市公会堂(約1900席)といった中規模のホールでの開催がメインになっており、逆に首都圏では東京武道館とパシフィコ横浜の、大規模ホールでの公演になる。以前にステーヴ・ルカサーがインタビューの中で「全盛期を過ぎているだけに、アメリカでは大きなホールが埋まらない。」と言っていただけに、関東圏での動員数が気になるが、我々地方の人間にとってはホールが小さい分だけステージに近くなるので、逆に嬉しい限りの話だ。
そして、待ちに待った当日、同じく大ファンである妻と連れだって、アルカイックホールへ向かった。
■TOTO大阪公演初日■
延期された大阪公演初日は日本各地に大被害をもたらした台風15号が通過した直後に始まった。予想通り、肉眼でハッキリとメンバーの表情が判るほど客席とステージの距離は近く、ダイレクト感は相当なモノだった。
一曲目は「Child's Anthem」から始まった。ここからラストの「Hold The Line」までの間、ボクら夫婦はそれこそ「ノリノリ」の約二時間を過ごしたワケだが、スティーヴ・ルカサーとデヴィッド・ペイチのヴォーカルに衰えは見えたものの、メンバーの演奏はほぼ完璧の状態で、特に大看板であるスティーヴ・ルカサーのギターは、従来のテクに円熟味が加わって凄味すら感じさせるモノであった。
また、我々のように初期ファンには馴染みの薄い、中期のヴォーカリストだったジョセフ・ウイリアムスが素晴らしく、ボクがただの「食わず嫌い」だったことを思い知らされた。それもそのはずで、通期のファンにとって彼は「TOTO史上最強」の呼び声が高いそうだ。
ドラムはオリジナルメンバーの、ジェフ・ポーカロの死後、現在ではサイモン・フィリップスに定着しているそうだが、実はこの人、その昔マイケル・シェンカーの後ろで叩いていた人なので、懐かしさも”ひとしお”だったが、昔の派手さをワザと抑えているのか、その堅実なテクは見応えがあった。
曲のアレンジはDVDで見た過去のライヴとは別物であり、もし仮に何度も彼らのライヴを見たとしても、それぞれに新鮮さを感じさせる内容になっているようだ。そして、たとえシンプルなコード進行の曲であっても「凄腕」の彼らの手に掛かってしまうと、世界観や空間が次元の違うレベルで展開し、広がってゆく。
何よりもスゴイのは、「アグレッシヴな演奏をしていながらも、全員がミスをほとんどしない(仮にあったとしても、それを気付かせない)」ところであり、それは彼らが元々スタジオ・ミュージシャン出身の「プロ中のプロ集団」に違いないことを証明している。
そんな彼らのプロ意識の高さを思い知らされるエピソード(事件?)が過去にあったので、知っている人も多いとは思うが、ここで紹介しておこう。
それは2008年にTOTOのメンバーが来日した際のこと。
「週刊文春」によると、
人気グループSMAPが高視聴率番組「SMAP×SMAP」(フジテレビ)の収録中、あまりの歌のヘタさにゲストが激怒、歌唱指導されたという衝撃の出来事があったという。
問題の同番組が放送されたのは3月24日。この日のスペシャルゲストは米国のスーパーバンド「TOTO」だった。
トラブルが発生したのはリハーサル中で、TOTOのバンドリーダーでリードギターのスティーヴ・ルカサーがSMAPの歌を聞いた途端に「これでは一緒に歌えない」と怒り始め、その場にいたスタッフは凍りついたという。
TOTOのほかのメンバーがなだめてその場は納まったものの、SMAPのメンバー2人に対し、スティーヴが30分ほどボイストレーニングを行ったそうだ。
ということがあったようだ。
ネタ元が週刊誌だけに真偽の程は定かではないが、もしコレが真実だとしても、日本の音楽各賞とは次元の全く違うグラミー賞で、83年に、「ロザーナ」が最優秀レコード賞、「TOTO Ⅳ(聖なる剣)」が最優秀アルバム賞を受賞したのを始め、その年の賞7部門を独占するという偉業を成し遂げたこと。各メンバーが個人、あるいは複数の組合せで、ボズ・スキャッグスやマイケル・ジャクソンを始めとする、錚々たる多くのミュージシャン(アーチスト?)の、数多くのヒット曲においてプレイヤー、コンポーザー、プロデューサー等として関わり続けてきた実績。そして衰えを知らない、この日の彼らの演奏を見聞きする限り、こと音楽に関して何を言おうが「誰にも文句を言わせない」だけのモノがあると思う。
■二度と見られないかも…■
今回の日本公演は上述したように、あくまでも元メンバーの支援のための「一時再結成」ということなので、恐らく生で見られるTOTOはコレで最後ではないだろうか?。そう思うと、何とも惜しく、「以前の公演にも行っておけば…。」と夫婦共々後悔している次第だ。
もし、この記事を見ているアナタがTOTOのファンであるのなら、ラストチャンスだと思われる今回の公演を見落として後悔しないようにして欲しいモノだ。実際にボクらが向かった日も当日売りの立ち見席は残っていたようなので、もしかすると、首都圏での大ホールでの公演だと当日券があるのかも知れない。もしそうであれば、今からでも間に合うかも知れないコンサートは9/26の2回目の大阪公演、9/27の東京公演、9/29の横浜公演と、まだ3回ある。
詳しくはウドー音楽事務所のホームページ「http://www.udo.co.jp/Artist/Toto/index.html」で確認して欲しい。
その昔にボクが中学生だった頃、全ての中心に音楽があった。とは言っても今とは違って限られた小遣いの中で、レコード(CDではないぞ!)を数多く購入することはかなわず、普段はカセットテープに録音したモノを聞き、ここ一番のお気に入りはレコードを購入するというパターンでライブラリーを増やしていた。
ただし、その当時はまだ貸しレコード屋(レコード・レンタル店)は普及しておらず、専ら録音のソースはFMラジオに頼っていたのだが、コレを「エア・チェック」と呼んでいた。数ある番組の中でも一番頼りになったのが、平日の夕方6時から放送していた1時間番組の、FM大阪「ビートオンプラザ」だった。
ボクが聴き始めた頃、パーソナリティーは既に3代目の田中正美(たなか・まさみ=名前の字は正しくないのかも?)さんという人だった。
この番組は今では考えられないことだが、日本版レコードの発売前や発売直後のアルバムが大抵の場合、丸ごと全曲ノーカットで、2枚組の場合は2日にかけて放送していたのだ。モチロン、メジャーなものは当たり前に放送され、中には田中正美さんやスタッフが個人的に発掘してきたような個人的な趣味のアルバム迄紹介されることがあり、リスナー自身の音楽的見地も自然と広がるような内容になっていた。
当時は歌謡曲全盛であり、中学生の大勢はソレを聞いていたが、一部でフォーク系を聞く人、ロック系を聞く人も居た。ロックはその当時、ハードロック系が流行っていたが、そんな中で、ボクの場合はハードなロックを聴くと同時にその対局にある、ボズ・スキャッグスやスティーリー・ダンも聞いていたから、自分で言うのもなんだが、「おませ」な音楽小僧だった。今考えると、ジャズ&フュージョン、ロック、ブルース、ソウルetc...と、何でも聞くようになったのはこの番組の影響が大きかったのだと思う。
■TOTOとの出会い■
そんなFMラジオにかじりついていたある日、確か中学3年の頃だったと思うが、「ガツンッ!」と、心に衝撃を受けるアルバムを聴いた。それがTOTOのファースト・アルバム(邦題は何故か「宇宙の騎士」)だった。
何しろ今から33年も前の話だから確証はないが、コレを初めて聴いたのがビートオンプラザでの放送だったような気がする。いずれにせよ、何しろその辺りのFMラジオがキッカケで、TOTOのデビュー・アルバムは「お気に入り」となってレコード店での購入に至ることになったのだ。
アルバムの中には「Georgy Porgy(ジョージー・ポーギー)」といったボズ・スキャッグス調の曲もあったが、一番衝撃を受けたのが、ボビー・キンボールの超ハイキーなボーカルと、ウルトラ早いがプレーの緻密なスティーヴ・ルカサーのギター・テクがスゴイ、「Hold The Line(ホールド・ザ・ライン)」だった。ボクは弾けもしないのにギターサウンド・フリークなのだが、以来スティーヴ・ルカサーはボクの中での5大ギタリストの一人になっている。
TOTOのアルバムは4枚目のTOTOⅣ(邦題は何故か「聖なる剣」)迄はよく聞いたモノだ。しかし、当時から偏屈者だったボクは、あまりにメジャーになり、みんなが聴くようになると、ついヘソを曲げてしまうクセがあった。TOTOⅣの大ヒットとボビー・キンボールの脱退、そしてそれ以後の音楽性の変化から、ボクの心離れが始まり、5枚目以降のアルバムはほとんど聴かなくなってしまったのだが…。
●今も自宅に残る、TOTOのアナログLPレコード●
■延期された来日公演■
そんな思い出深いTOTOも2008年に解散宣言をして活動を終えていたのだが、今回、難病を抱える、元メンバーのマイク・ポーカロを支援するために一時的に再結成することとなり、来日公演が実現した。とは言っても5月に予定されていたものが東北大震災の影響で延期されていたのが、ようやくこの9月に実現されることになったのだ。
ツアースケジュールは、地方公演?が大阪公演が尼崎(兵庫県)のアルカイックホール(約1700席)、金沢公演が金沢歌劇座(約1900席)、名古屋公演が名古屋市公会堂(約1900席)といった中規模のホールでの開催がメインになっており、逆に首都圏では東京武道館とパシフィコ横浜の、大規模ホールでの公演になる。以前にステーヴ・ルカサーがインタビューの中で「全盛期を過ぎているだけに、アメリカでは大きなホールが埋まらない。」と言っていただけに、関東圏での動員数が気になるが、我々地方の人間にとってはホールが小さい分だけステージに近くなるので、逆に嬉しい限りの話だ。
そして、待ちに待った当日、同じく大ファンである妻と連れだって、アルカイックホールへ向かった。
●グッズ売り場の様子(御同輩の中年が多いようで…。)●
■TOTO大阪公演初日■
延期された大阪公演初日は日本各地に大被害をもたらした台風15号が通過した直後に始まった。予想通り、肉眼でハッキリとメンバーの表情が判るほど客席とステージの距離は近く、ダイレクト感は相当なモノだった。
一曲目は「Child's Anthem」から始まった。ここからラストの「Hold The Line」までの間、ボクら夫婦はそれこそ「ノリノリ」の約二時間を過ごしたワケだが、スティーヴ・ルカサーとデヴィッド・ペイチのヴォーカルに衰えは見えたものの、メンバーの演奏はほぼ完璧の状態で、特に大看板であるスティーヴ・ルカサーのギターは、従来のテクに円熟味が加わって凄味すら感じさせるモノであった。
また、我々のように初期ファンには馴染みの薄い、中期のヴォーカリストだったジョセフ・ウイリアムスが素晴らしく、ボクがただの「食わず嫌い」だったことを思い知らされた。それもそのはずで、通期のファンにとって彼は「TOTO史上最強」の呼び声が高いそうだ。
ドラムはオリジナルメンバーの、ジェフ・ポーカロの死後、現在ではサイモン・フィリップスに定着しているそうだが、実はこの人、その昔マイケル・シェンカーの後ろで叩いていた人なので、懐かしさも”ひとしお”だったが、昔の派手さをワザと抑えているのか、その堅実なテクは見応えがあった。
曲のアレンジはDVDで見た過去のライヴとは別物であり、もし仮に何度も彼らのライヴを見たとしても、それぞれに新鮮さを感じさせる内容になっているようだ。そして、たとえシンプルなコード進行の曲であっても「凄腕」の彼らの手に掛かってしまうと、世界観や空間が次元の違うレベルで展開し、広がってゆく。
何よりもスゴイのは、「アグレッシヴな演奏をしていながらも、全員がミスをほとんどしない(仮にあったとしても、それを気付かせない)」ところであり、それは彼らが元々スタジオ・ミュージシャン出身の「プロ中のプロ集団」に違いないことを証明している。
そんな彼らのプロ意識の高さを思い知らされるエピソード(事件?)が過去にあったので、知っている人も多いとは思うが、ここで紹介しておこう。
それは2008年にTOTOのメンバーが来日した際のこと。
「週刊文春」によると、
人気グループSMAPが高視聴率番組「SMAP×SMAP」(フジテレビ)の収録中、あまりの歌のヘタさにゲストが激怒、歌唱指導されたという衝撃の出来事があったという。
問題の同番組が放送されたのは3月24日。この日のスペシャルゲストは米国のスーパーバンド「TOTO」だった。
トラブルが発生したのはリハーサル中で、TOTOのバンドリーダーでリードギターのスティーヴ・ルカサーがSMAPの歌を聞いた途端に「これでは一緒に歌えない」と怒り始め、その場にいたスタッフは凍りついたという。
TOTOのほかのメンバーがなだめてその場は納まったものの、SMAPのメンバー2人に対し、スティーヴが30分ほどボイストレーニングを行ったそうだ。
ということがあったようだ。
ネタ元が週刊誌だけに真偽の程は定かではないが、もしコレが真実だとしても、日本の音楽各賞とは次元の全く違うグラミー賞で、83年に、「ロザーナ」が最優秀レコード賞、「TOTO Ⅳ(聖なる剣)」が最優秀アルバム賞を受賞したのを始め、その年の賞7部門を独占するという偉業を成し遂げたこと。各メンバーが個人、あるいは複数の組合せで、ボズ・スキャッグスやマイケル・ジャクソンを始めとする、錚々たる多くのミュージシャン(アーチスト?)の、数多くのヒット曲においてプレイヤー、コンポーザー、プロデューサー等として関わり続けてきた実績。そして衰えを知らない、この日の彼らの演奏を見聞きする限り、こと音楽に関して何を言おうが「誰にも文句を言わせない」だけのモノがあると思う。
●公式パンフレット●
■二度と見られないかも…■
今回の日本公演は上述したように、あくまでも元メンバーの支援のための「一時再結成」ということなので、恐らく生で見られるTOTOはコレで最後ではないだろうか?。そう思うと、何とも惜しく、「以前の公演にも行っておけば…。」と夫婦共々後悔している次第だ。
もし、この記事を見ているアナタがTOTOのファンであるのなら、ラストチャンスだと思われる今回の公演を見落として後悔しないようにして欲しいモノだ。実際にボクらが向かった日も当日売りの立ち見席は残っていたようなので、もしかすると、首都圏での大ホールでの公演だと当日券があるのかも知れない。もしそうであれば、今からでも間に合うかも知れないコンサートは9/26の2回目の大阪公演、9/27の東京公演、9/29の横浜公演と、まだ3回ある。
詳しくはウドー音楽事務所のホームページ「http://www.udo.co.jp/Artist/Toto/index.html」で確認して欲しい。
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