透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ちあきなおみ

2009-11-21 | A あれこれ

 BSまるごと大全集 ちあきなおみ

芸能活動を休止して早や17年。今夜久しぶりにちあきなおみを聴いた。

「紅い花」平成3年に発表されたラストシングル曲
「黄昏のビギン」語りかけるような静かな歌唱
「夜間飛行」翼に身をゆだね 私は旅立つ
「四つのお願い」四つ 誰にも秘密にしてネ
「私という女」似合いすぎる 最後のルージュ
「港が見える丘」卓越した歌唱力
「さだめ川」切々と歌うちあきなおみに感動
「矢切の渡し」揺れながら 艪が咽ぶ矢切の渡し
「星影の小径
おしゃれで都会的な曲

「冬隣」モスグリーンのドレスがとても上品でよく似合っていた。写真のあなたは若いまま そこから私が見えますか
「喝采」動き始めた汽車にひとり飛び乗った
「紅とんぼ」新宿駅裏 紅とんぼ 想い出してね 時々は  切なくて泣いた。

卓越した表現力。歌を「演じた」ちあきなおみ。もう復帰することはないのだろうか・・・。


 


「日常」と「非日常」とを結ぶ空間の演出

2009-11-21 | A あれこれ


茅野市民館:古谷誠章

JR茅野駅に直結する複合施設。この計画のポイントは駅という「日常」と美術館やホールという「非日常」を結ぶこの空間。緩やかなスロープに添って図書スペースが配置されている。プロポーザルではこの空間が評価されたという。



根津美術館:隈研吾

都会の喧騒的な「日常」から美術館という「非日常」へ導くアプローチ空間。機能的には茅野市民館のスロープと全く同じ。前面道路に接する敷地のエッジに沿って竹のスクリーンを配し、うまくその空間を確保している。


まつもと市民芸術館:伊東豊雄

松本の中心市街地の狭小な敷地に計画された。ホールへのアプローチ空間が屋外に確保できないため、大ホールの入り口を後方に配して、ホールの側面にその空間を確保するという解決法を伊東さんは採った。市役所に展示された応募案を見たがこのようなプランを提示したのは伊東さんだけだった。

演奏会が終って直ぐに街の喧騒に巻き込まれたら、すばらしい演奏でもその余韻を楽しむことができない。「非日常」から「日常」へゆったりとした空間で結ぶ・・・。

今回取り上げた3つの計画に共通するのは「日常」と「非日常」とを結ぶ空間の確保が難しい条件にもかかわらずきちんと計画されていること。茶室に至る露地にも通じるが、いずれもシークエンスが意識され、行き先が見通せないような演出がなされている。


まちの総体としての魅力は何によって決まるのか

2009-11-21 | A あれこれ

■ マップラバーとマップヘイター、分子生物学者の福岡伸一さんが「建築雑誌」の今年の9月号に寄稿したコラムによると世の中の人間はこのふたつに分類できるということだ。

マップラバー、すなわち地図好きとは俯瞰的な全体像を把握したからでないと行動を始めないタイプ。これに対してマップへイター、すなわち地図嫌いは自分の行きたいところに行くのに地図を頼りにしない、「通り」の様子を頼りに目的地に到達できるタイプ。

数稿前にまち(町という漢字表記よりひらがなの方がいい)の魅力は一体何によって決まるのだろう、と書いた。郡上八幡と松本はまちの基本的な構成要素が似ていて、個々の要素は松本の方が魅力的ではないかと思うのだが、まちの総体としての魅力はどうも郡上八幡の方が勝っている、というのが私の印象。

どうもマップラバーとマップへイターがまちの魅力を考えるキーワードになりそうな気がする。私はマップへイターをストリートラバーと言いかえたい。福岡さんはこのふたつのタイプに人間は分かれると書いているが、私は人間は実はどちらも好むのではないか、と思う。

で、まちの魅力とはこのふたつの、欲求といったらいいのか、を満足できるかどうかに大いに関係していると思う。すなわち、俯瞰的にまちの全体像が把握できる場所があること、街並み(この場合はひらがなではなくて街がいい)が魅力的なこと。

郡上八幡は小高い丘の上の天守閣からまちを一望できるし、松本は城山と呼ばれるやはり小高い丘から市街地を一望できる。白川郷も函館も神戸も・・・。

樋口忠彦は名著『日本の景観』でまちの全体像が把握できる小高い場所があることを魅力的なまちに欠かせない条件として挙げていたように思う。



まちの全体像が把握しやすいかどうかはまちの大きさに関係している。ケビン・リンチは『都市のイメージ』で都市の構造が分かりやすいことを魅力的な都市の条件に挙げてはいなかったか。 この点、松本より郡上八幡の方がかなり小規模で全体像が把握しやすい。

街並みはというと、郡上八幡にも松本にも古い街並みが残っているが、どうも郡上八幡の方が、風情というか情緒があるような気がする。情緒などという曖昧なことばを持ち出したくないが、他に適当なことばが見つからない。

まちなかに川が流れているとまち全体の骨格が分かりやすいが、松本にも郡上八幡にも川が流れている。

先日郡上八幡を初めて訪れた際の「松本より魅力的なまちだな~」という印象。それがなぜなのか、少し分かってきたような気がする。

まちの全体像が把握しやすい「俯瞰場」があること。そしてまちが小規模なこと。まち全体の構造が理解しやすい川があること(やはり道路などより川)。街並みに情緒があって魅力的なこと。これらがポイントではないか・・・。

実例に当て嵌めてこの考えの妥当性を帰納するには、実際に訪ねたまちがあまりにも少ない。弘前、角館、萩、岩国、長崎、・・・・、出かけてみたいまちはいくつもある。これからか・・・。