透明タペストリー

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「日本人の論理構造」を読む 1

2011-10-17 | A 読書日記


『日本人の論理構造』板坂元/講談社現代新書 

 昨日、34年ぶりの再読を終えた。

どうせ短いいのちなら。
どうせ二人はこの世では花の咲かない枯れすすき。
どうせおいらは一人者。
どうせひろった恋だもの。
どうせ気まぐれ東京の夜の池袋。

例えば「どうせ」について著者はこのような例を示し、日本人の心情にぴったりするものらしく、流行歌に頻出度がきわめて高いと指摘する。そして、すべて人生に対する否定的な思想であり、あるいは絶望的な評価であるとし、**行きつくところは孤独感無常観の袋小路である。おそらく流行歌の作者は無意識のうちにこういう価値判断の様式をとり入れることによって、庶民の胸をゆさぶるのであろうが、これが何ともいえない共感を呼ぶところに日本らしさがあるのである。**とまとめている。

さらに、
「どうせ買うなら飛び切りいものにしよう」
「どうせ行くなら、思い切ってヨーロッパにでもするか」
「どうせやりかかったことだ、とことんまでやってやろう」

このような例を示し、**決断のしかたが論理的に大飛躍する点とそれまでの思考の過程と無関係におこなわれる点で、やはり思考放棄の一形式である。**と述べている。

さらに続けて **だが、マイナスの面ばかりがあるのではない。明治以来、このどうせの論理が成功した点も忘れてはならない。どうせやるなら一流のものを完璧なものをというのは、無理が通れば思いの外の成果をおさめることができる。(中略)その時の必要限度をはるかに超えたところに目標が置かれたのが、五年後、十年後に実を結んだ例は少なくない。戦後の復興も、最近のコンピューター熱も採算を無視して飛びついたと思われる点がなくもないのは、このどうせの論理の目が表に出た例と考えられる。**と考察している(49~52頁)。

どうせ の他に、なまじ、いっそ、せめて、さすが、しみじみ、などの言葉についても用例をいくつも示して日本人のものの考え方や心理をわかりやすく考察している。

再読して一番興味深かったのは 「第九章 明日は試験があった」 だった。

**手帳か何かを見て自分の予定を調べている時、明日試験があることに気がついたとしたら、われわれは右の文をごく自然に口にするであろう。もちろん、文法的にも論理的にも誤りはないのである。**(143頁)

この章は最後に日本の建築にも論考が及ぶ・・・。

次稿につづく。