筑北村本城支所(旧本城村役場)の敷地内に立っている火の見櫓。取り上げるのは2回目。
昭和60、61年頃、役場庁舎と同時期に建設された。新しい火の見櫓は角型鋼管を使った大味な構造が多いが、これは細い鋼管を使った立体的な「櫓」構造。
よく練られた構造デザインだと思う。でも、昔の等辺山形鋼で構成された素朴な火の見櫓が好きだ。
筑北村本城支所(旧本城村役場)の敷地内に立っている火の見櫓。取り上げるのは2回目。
昭和60、61年頃、役場庁舎と同時期に建設された。新しい火の見櫓は角型鋼管を使った大味な構造が多いが、これは細い鋼管を使った立体的な「櫓」構造。
よく練られた構造デザインだと思う。でも、昔の等辺山形鋼で構成された素朴な火の見櫓が好きだ。
■ 早朝の出勤途中、松本市内の24時間営業の書店で本を買い求め、スタバでいつもの通り、「ホットのショート、マグカップで」とオーダーして、2階のいつもの席で小1時間読書(7月29日)。
買い求めたのは『富士山文化 ―その信仰遺跡を歩く』竹谷靱負(たけやゆきえ)/祥伝社新書。
**世界広しといえども、自国最高峰のミニチュアを二〇〇基もこしらえた国は他にないだろう。富士山に登拝できない老若男女に信仰の機会をもたらした〝ミニチュア富士〟、富士塚は、地域ならず、日本が富士山とともに世界へ誇るべき遺跡である。**(52頁) 著者は富士塚についてこのように記している。
江戸時代に富士山を登拝できる人は、時間と費用が備わった健康な成人男子に限られていた。女性や高齢者、子どもなど、富士山に登拝できない大多数の庶民と富士山とをつなぐ役割を果たしたのが江戸の各所に築造された富士塚だった。
先日、東京都江戸川区東瑞江にある豊田神社で見た富士塚はそのうちの1基だった。巻末の富士塚リストにはこの富士塚も載っている。
地方では富士山に山容が似ているランドマーク的な山は○○富士と呼ばれ、銭湯の壁には富士山が描かれ、浮世絵にも数多く描かれた富士山。そして富士塚・・・。
この本は文化としての富士山を広く論じていて興味深い。今週末はこの本を読む。