■ 前稿に夕方「なぎさ」が目の前を通過して行ったから、今日(6日)はいいことがあるだろう、と書いた。日々の暮らしの中の「いいこと」は「小さな幸せ」と言い換えることもできよう。
**小さなしあわせ それさえも 捨ててしまった 自分の手から** こんな人もいるし、**僕は君といる時が一番幸せなんだ** という人もいる。
幸せセンサーがどんなことに反応するかは人それぞれだし、センサー感度も人によって違う。
ぼくは今朝、書店で『ぼくは縄文大工』雨宮国広(平凡社新書2020年初版第1刷)を見かけて買うことができたし(この本には実に興味深いことが書かれている。読了後に書きたい)、スタバで顔なじみの店員さんに「木曜日の仕事帰りにスケッチ展に行きます」と言ってもらえた。ぼくにとって、どちらも小さな幸せだ。
帰宅すると、某ブロック紙から「火の見櫓のある風景 スケッチ展」のことが掲載された新聞が届いていた。これもありがたく、幸せなことだ。
幸せセンサーの感度を良好な状態に保って(もしかしたらこれが案外難しいのかもしれない)、日々あれこれ小さな幸せを感じながら暮らしたい。
追記:スタバでマグカップでのサービスが再開されている。これもぼくにとって小さな幸せだ。