■ 「住宅建築」を長年定期購読していた。また、若かりし頃には「文藝春秋」や「山と渓谷」などの雑誌も購読していた時期もあった。だが、ここ何年かは雑誌を購読する、ということはあまりしていなかった。
「芸術新潮」の4月号に「ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ ―― 原田マハのポスト印象派物語」という特集が組まれていることを知り、行きつけの書店で買い求めた。原田マハさんの小説の大半を読んできたから(*1)、この雑誌も読みたいと思って。ただし、安部公房の作品を特集した3月号とは異なり、4月号は原田さんの作品の特集ではない。
本号はおよそ140頁。その過半を特集記事が占め、内容が充実している。「ポスト印象派」を理解するために(文:三浦 篤)という記事もある。
特集記事の最初に、ゴッホの作品「オーヴェールの教会」(1890年)が左の頁、その教会の前に立つ原田さんの写真が右のにドーンと見開きで大きく掲載されている。またゴッホが亡くなる直前に滞在していたラヴェー亭(*2)の3階の部屋の写真も1頁割いて掲載されている。他にもカラー写真が何カットも。
特集のポスト印象派の作品を巡る旅を原田ハマさんは小説仕立てにしている。小説を読んでいて感じることだが、原田さんの構想力はすごい。
《パリのカフェでばったり出会う》というタイトルが付けられたプロローグ。私(原田マハさん)はポスト印象派の画家、エミール・ベルナール(1868~1941)とパリのカフェでばったり出会う。それから私はエミールとふたりで5人の画家に次々と会いにいくことになる。
1人目はフィンセント・ファン・ゴッホ。
**驚くべきことに、私は地下鉄(メトロ)に乗っていた。
いや別に、メトロに乗っていること自体に驚いているわけじゃない。私のとなりの席に座っている人物が、どうやらほんとうにポスト印象派を代表する画家、エミール・ベルナールであること、そのエミールと一緒に二十一世紀のいま、パリのメトロ七号線に乗っている ―― という信じがたい事実に驚いているのである。**(22頁)
エミールが私をドアの向こうから現れたフィンセントに紹介する。ところが、フィンセントは私の姿が全く見えていない。彼の眼が見えないというわけではない。私は相手には見えないという設定。部屋に招き入れられたエミール(私も背後霊のように一緒に)はフィンセントと、あれこれタブロー(絵画作品)談議をする。
それから次にポール・ゴーギャン(私が運転するレンタカーにエミールを乗せて)、3人目にポール・セリュジエ(ふたりで下宿屋に向かってゆるやかな坂道をゆっくり上って)、4人目にオディロン・ルドン、5人目にポール・セザンヌと、次々訪ねて行ってタブロー談議をする、という趣向。偶然にも3人がポールという同じ名前。
60頁にエミールが実際に1904年に撮影したセザンヌの写真が載っている。制作途中の《大水浴図》の前の椅子に座るセザンヌ。まさにこの時にエミールと一緒に出かけていた私は撮影の様子を見ている(という設定)。
**「最新型のカメラを持ってきたんです。写真を一枚、撮らせていただいてもいいでしょうか?」
「ああ、いいとも」セザンヌが応えた。
「この絵の前でいいかな? 描きかけなんだが・・・」(中略)
小気味よいシャッター音が響いた。
エミールの最新型のカメラとは、なんとスマホだった。**(60頁)
ひえ~っ、原田さん遊んでるな(楽しんでるな、と同義)。
この「小説」単行本で出版して欲しいなぁ。
雑誌を購入するのは久しぶりだが、好かった。
*1 原田マハさんの既読作品リスト
『モダン』
『異邦人』
『楽園のカンヴァス』
『美しき愚かものたちのタブロー』
『黒幕のゲルニカ』
『本日はお日柄もよく』
『たゆたえども沈まず』
『カフーを待ちわびて』
『デトロイト美術館の奇跡』
『リーチ先生』
『リボルバー』
『フーテンのマハ』
『ジヴェルニーの食卓』
『常設展示室』
『アノニム』
『風神雷神』
*2 外観はSVで見ることができる。