■ 『ふしぎな県境』西村まさゆき/中公新書を読み終えた。
この本の帯に「幅1メートル×長さ8キロの福島県に行ってみた」というコピーがある。手元にある福島県の地図(昭文社の分県地図 昨年11月に福島県の狛犬と火の見櫓巡りをしたが、その時に買い求めた)を見ると、確かにある。西村さんが「盲腸県境」と名付けた福島県の領域が飯豊山(いいでさん)の山頂の先まで伸びている。知らなかった、こんなところがあるのなんて。
この本には全国13ヵ所のおもしろ県境が紹介されている。
その内の1ヵ所、第6章。
**県境マニアは、よく冗談で「これだけ幅が狭いと、片足ずつ山形県と新潟県において、福島をまたげるかもね、アハハ」なんて言うのだが、標高二〇〇〇メートル近い山にわざわざ登ってそんな冗談をほんとに実行する人はいない。**(62頁) でも西村さんは実行してしまった。
前稿に載せた本の帯には福島県を跨いで、新潟県と山形県に立つ著者・西村さんの写真が載っている。私は福島県で道路をまたいで立っている火の見櫓の写真を撮っただけだが、西村さんは福島県をまたいで立つ自身の写真を撮ったのだ。難易度が違う。スゴイ! 登山経験がほとんどない彼は中級以上の飯豊山を、依頼したガイドと共に登る。その山行の様子が写真付きで本に載っている。何カ所も鎖場がある山で確かに難易度は高そうだ。
なぜこのような盲腸県境ができたのか? 著者は信仰の山・飯豊山の歴史をひも解いて、答えを導いている。なるほど、と納得した。
第13章では町田市、相模原市の飛地が境川の両岸にいくつも点在していることも取りあげ、なぜそうなったのか、理由を両市の担当者にヒアリングして求めている。蛇行している堺川に沿って引かれていた都県境だが、河川改修によってまっすぐになった後も都県境が昔のまま、その結果、川の両岸に飛地として残った、というわけ。なるほどな理由があったことが分かる。
どんなものでも入りこんでみると、そこは広くて深い世界だということを改めて感じた。
さて、次は年越し本。