■ 繰り返しの美学の原点に帰ろう・・・。
表参道ヒルズで2006年の11月に撮った写真(再掲)。アエロメヒコ航空の成田―メキシコ直行便就航の広告旗。この写真で、「なるほど、確かに繰り返しは美しい」と納得してもらえると思うがどうだろう・・・。
繰り返しの美学については対象を広げすぎた、と思う。やはりこのように同じものが直線的に、そして等間隔に並べられていることで感じる秩序感こそ原点。
同じものを直線的に繰り返すという単純なルールによって秩序づけられた光景は美しい。
■ 繰り返しの美学の原点に帰ろう・・・。
表参道ヒルズで2006年の11月に撮った写真(再掲)。アエロメヒコ航空の成田―メキシコ直行便就航の広告旗。この写真で、「なるほど、確かに繰り返しは美しい」と納得してもらえると思うがどうだろう・・・。
繰り返しの美学については対象を広げすぎた、と思う。やはりこのように同じものが直線的に、そして等間隔に並べられていることで感じる秩序感こそ原点。
同じものを直線的に繰り返すという単純なルールによって秩序づけられた光景は美しい。
よろず願いごと引き受けます 道祖神
■ 安曇野市の豊科郷土博物館と豊科交流学習センターで開催中の道祖神祭りの展覧会に行ってきました。
安曇野では一年を通して地域ごとにさまざまな道祖神祭りが行われているのですが、展覧会は写真や実物によってその概要を伝えています。
新年に道祖神祭りとして立てる三郷小倉中区の御柱(一部)の展示です。
●は太陽を意味する日天、下の白い三日月形の飾りは月天(長さ4.4メートル)。元旦に「御柱立て」が行われ、1月7日(近年は6日)に「御柱倒し」が行われます。後方は各地の御柱の写真展示です。
三郷明盛の一日市場(ひといちば)東村の御柱 「お道具」と呼ばれる18禁な飾り 願いは当然子孫繁栄です。
豊科高部(たきべ)の真々部殿村(ままべとのむら)で「ご年頭」という行事が行われているそうで、元旦に子どもたちが祠からこの木像の道祖神を取り出し、抱きかかえて集落内の家々を廻り、新年の挨拶をするという内容の説明がありました。
堀金烏川岩原新屋の顔欠け道祖神 1826(文政9)年
お互いに相手の肩を抱き、握手をしている抱肩握手像。願いを叶えてもらえなかったという理由で顔を欠いてただの石に戻してしまったといわれているそうです。なんとも気の毒・・・。
会場では道祖神祭りの様子を伝える動画も見ることができます。道祖神に子どもたちが色を塗る行事の様子です。来年は実際に見学したいと思います。
なかなか興味深い展示でした。
*会場内での写真撮影とブログ掲載の許可を得ています。
会場に展示されていた御柱 昨年(12年)の正月に私が撮影した写真です。
三郷小倉中区の御柱
三郷明盛一日市場東村の御柱
430 塩尻市上柿沢
■ 火の見櫓の変わり種。国道20号を塩尻峠に向かって上っていく途中、塩尻市上柿沢に立っている。
3角形の櫓に4角形の見張り台を載せている。3角形の櫓と4角形の見張り台、この組み合わせもあり得るが、実際にはなかなか無い。手前の2本の柱と後ろの柱、それと柱にV字形に付けた2本の方杖とで見張り台の床面を支えている。
手前の柱を見張り台の上端まで伸ばしてあるものの、見張り台に立てば横揺れするのではないか、と思わせるほど不安定な印象。
■ 県内の火の見櫓を網羅的に掲載しているブログ
■ 『きことわ』朝吹真理子/新潮文庫 読了。読了とはしたものの、字面を目で追っただけだった。描かれているのが夢なのか現なのか、読んでいて判然としなくなって・・・。
**貴子の寝息が永遠子には自分の寝息におもえていた。ふれあううちに、自分の息づかいもからまってしまったようだった。**(19頁)
**春子の声は夢の路(みち)を通して、二十五年後の永遠子の耳にとどいた。呼吸音を残して空間がかしげ、春子も、和雄も、貴子も、永遠子も、車内のすべてがにわかにくずれていった。**(20頁)
**ひらいたはずの目は夢の瞼がおりたままだった。ため息まじりに起きあがる。いまついたその息も、夢のなかでついているのか、現実の吐息なのか、わからなくなる。夢の外と内の差があるばかりでいずれにせよひとつの身体がついた息に違いはないのだった。**(22、23頁)
理屈でこのようなものがたりを理解しようとしてもだめだろう・・・。感性を頼りに描かれている夢の世界、記憶の世界を漂うこと。絵画にも通じる鑑賞法で独特の世界を味わうことができれば・・・。
■ 安曇野に何体くらい道祖神があるのか、私は知りません。100体?200体? もっと多いかもしれません。中にはこのように屋根の下に納められている道祖神もあります。
家内安全、子孫繁栄、無病息災、五穀豊穣・・・。道祖神は昔から地域の人々のいろんな願いごとを引き受けてきました。ですから、道祖神に感謝する祭りをする集落も少なくありません(道祖神祭りの飾り付け 写真:Tさん提供 13日、穂高有明にて)。過去ログ ←クリック
このような祭りを通じて、地縁が保持されるんですね。
下の写真のように道祖神の脇にきれいな御柱を建てるところもあります。
塩尻市片丘南内田原村にて
■ 16日の午後1時から、穂高交流学習センターみらいで道祖神シンポジウム「道祖神が拓く安曇野の未来」が開催されます。出かけてみようと思います。
信濃毎日新聞 0913付朝刊国際面より
今日(14日)の朝刊に「米ボイジャー太陽系の外に」という見出しの記事が載った。
**36年前に打ち上げられた米探査機「ボイジャー1号」が太陽系の端の領域を超え、人工物体として初めて太陽系外に広がる星間空間に旅だった(後略)**
太陽系の端の領域??
太陽系の外って海王星の軌道より外側と言う意味ではないのか? 太陽系(solar system ソーラーシステム)という言葉から、太陽と惑星との関係、太陽を中心とする各惑星の動きなどをなんとなくイメージしてしまう。
説明図を見ると、惑星軌道を大きく包むふたつの球状の領域が示されている。内側の領域の端には太陽風が急減するところという説明があり、外側のラグビーボールのような形の領域の端には太陽系の端と記されている。
太陽系の外側を星間空間というのか・・・。両者の境(太陽系の端)は太陽風の急減、宇宙線に由来する電子(ってなんだ?)の密度の急上昇というデータによって判断されるようだ。
知らなかった・・・。(ブログは無知をさらける覚悟がないと書けない)
47
仕事の上では名刺を交換する機会は多いが、プライベート名刺を渡す機会はこのところなかった。で、今日(9日)、Nさんに47枚目の名刺を渡した。2ヶ月ぶりか。
彼女は白黒はっきりして!という性格では・・・、曖昧なことは嫌いなのでは・・・、と勝手に分析をしている。
名刺にはこのブログのタイトル「透明タペストリー」も載せてある。このことを伝えようと思ったのだが、「Hさんから聞いて読んでます」と言われた。閲覧者は案外、リアルな世界での知り合いが多いのかもしれない・・・。
■ 2020年のオリンピック開催都市が東京に決定した。
最終プレゼンテーションをテレビで見た。開催は7年後だが、諸施設は5年後くらいには完成させるというスケジュールになるだろう。1964年の東京オリンピックで、丹下健三は国立代々木競技場を設計した。「代々木」(←過去ログ)は世界的建築家・丹下健三の代表作品と評価されている。
2020年のオリンピック施設の設計がこれから本格的に始まるだろう。これからの建築のあるべき姿を体現して欲しい。フラットルーフを緑化して、ハイ環境共生OKなどということは無しにしてもらいたい。64年の代々木に相当するような建築の出現を望む。
忘れてはならないのは、福島第1原発のこと。汚染水の処理問題について、安倍首相はプレゼンで述べた。それに対し、問題なしとすることの技術的根拠について質問がでた。答えは明快なものではなかった。海の汚染域は限定的で問題無いとの答えについても疑問。福島近海でモニタリングをしているとのことだが、そのデータは公開されているのだろうか。東京は福島から遠く、250㎞も離れているから安全だという認識なら、問題。
7年後、福島はどういう状況になっているだろう。聖火リレーは全国を巡ることになるだろうが、福島原発が中継地点にできるようになっていればすばらしいのだが・・・。
■ 先日届いた封書に善光寺をデザインした切手が貼ってあった。単色の山門をフレームのように配し、正面に本堂を据えている。
ネットで調べて、原画はきり絵作家の刈谷靖子で、2001年の5月に発行されたふるさと切手だと分かった。
こちらは、松本城。 やはりネットで調べて原画作者は洋画家の宮浦真之介だと分かった。
信濃毎日新聞9月6日付朝刊1面より
「タンク汚染水 地下水に到達」
**東京電力は5日、福島第1原発で約300トンの高濃度汚染水が漏れた地上タンク付近で、地下水からストロンチウムなどベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり650ベクレルの濃度で検出されたと発表した。**新聞記事からの引用
この国は実に厄介な問題を抱え込んでしまった。
放射性物質で汚染される水は毎日どのくらい出ているのだろう。新聞記事によると原子炉建屋地下に流れ込む地下水は1日400トンだという。 単純に考えれば汚染水はこの流入量、即ち1日400トンの割合で増加していることになる。既に発電所の西側に設置されたタンクは1000個以上、そこに合計で33万5000トンの汚染水が貯蔵されているという。
毎日増え続ける汚染水を地上タンクにストックし続けることが可能などと東電や政府は本気で考えているのだろうか・・・。
タンクの材質は分からないが鋼板製だとしたら腐食の問題は避けられない。今後何年間保管することになるのか分からないが、やがて腐食が原因でタンクに穴があき、汚染水が漏えいすることになりはしないか。海岸沿いだから鋼板は腐食しやすい。そうなる前に別のタンクに移し替える? なんだか場当たり的、モグラたたきのような対応だ。
現在とられている対策、原子炉建屋の水上側に掘った井戸で地下水をくみ上げるという地下水バイパスは確かに建屋の地下に流入する水量を減らせるかもしれない。でもそれが確実に有効な、抜本的な解決策だとは誰も考えていないだろう。
どうする・・・。繰り返す、この国は実に厄介な問題を抱え込んでしまった。
お手上げ状態になって、海に汚染水を垂れ流し続けることしかできない、などという事態に陥らなければいいが・・・。
■ 朝吹真理子の芥川賞受賞作 『きことわ』/新潮文庫 を読み始めた。この小説は理解しようなどと考えて読んではいけないのかもしれない。夢か現(うつつ)か判然としない世界、霧の中に曖昧な輪郭が浮かぶ・・・。やはり若い女性の感性が紡ぐ世界には入り込むことができないのだろうか・・・。
中村 航の『あのとき始まったことのすべて』角川文庫を併読することにする。
**社会人3年目、営業マンとして働くボクは、中学時代の同級生、石井さんと10年ぶりに再会した。(中略)当時の面影を残す彼女を前に、楽しかった思い出が一気に甦る。**(カバー裏面の紹介文より)
こちらは『きことわ』とは対照的で、極めて分かりやすい。中学時代の同級生と10年ぶりの再会という設定はいかにもありそう。
昨秋、ある宴席でブログが2日続けて更新されないと、どうしたのかなと思うなどと嬉しいことを言われた。 このところ多忙を極めているが今夜は何とか書いた・・・。
■ 猛暑の8月が去って、初秋の9月に。
このところあまり本を読んでいない。8月の読了本は3冊のみ。読書は量より質だとも言われるが、やはりある程度量をこなすことが前提だ。
夏目漱石の『吾輩は猫である』角川文庫、何回目かの再読。奥付の発行日が昭和41年9月となっているから、古い本だ。
この小説はタイトルが斬新だし、**吾輩は猫である。名前はまだない。*という書き出しも印象的で、記憶に残る。
苦沙弥先生のサロンで交わされる社会批評、文明談義を名もない猫が傍聴する。猫の視点を据えることで、漱石自身を客体化しているところがやはりすごい。今秋は漱石の作品を少し読もう。
『伊勢神宮 日本人は何を祈ってきたのか』三橋 健/朝日新書
式年遷宮によって若返る伊勢神宮。690年に始まり、1300年もの長きにわたり脈々と受け継がれてきたこの神事には「常若」の願いが込められている。メタボりズム(新陳代謝という生物学の概念というか生物に見られる現象を建築にも適用しようという考え方)の思想は古代からこの国あったということだ。
今年は式年遷宮の年。繰り返しになるが、この一連の神事のうち、御白石持行事に参加する機会に恵まれた。一期一会の幸運。間近にみる真新しい神殿は実に厳かで神々しい雰囲気に包まれていて、聖地に相応しい空間だった。
『古事記』で語られる神話の世界について偶々宮司さんと話す機会があったことが今回の行事参加に繋がった。『古事記』の神話について何も知らなければこのような機会に恵まれることもなかっただろう。読んでおいてよかった。
それが更にこのような新書を読むことに繋がっている。読書の連鎖も楽しい。
『モバイルハウス 三万円で家をつくる』 坂口恭平/集英社新書
ホームレスのブルーシートハウスに魅せられた著者が試行する理想の家づくり。人にとって家とは何か。