透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

知恩院 秋の紅葉ライトアップ

2013-11-17 | A あれこれ

秋 古都の旅10

■ 1日早く京都に来ていた友人から「知恩院のライトアップはおすすめです」と言われていた。清涼寺からJR嵯峨嵐山駅まで歩いた・・・。二条で地下鉄東西線に乗り換えて東山で下車。徒歩で知恩院へ。所要時間は15分くらいか。



何とも幻想的な雰囲気。低い位置の光源は普段あまりなじみがないが、もっと積極的に使ってもいいだろう。部屋もシーリングライトで均一に明るくするなどということはしない方がいい。もっと光の演出をすべきだ。



なんとも雅





大鐘楼の上に雲の切れ間から月が出た・・・。この日、月齢は確か12夜。



この鐘は高さが3.3メートルくらいあって、重さは70トン! いったいどうやってここまで運び、どうやって吊ったのだろう・・・。大みそかに、ここで除夜の鐘を聞いてみたい・・・。


 夜景を手持ちコンデジで撮るのは難しい・・・。


清涼寺

2013-11-17 | A あれこれ

秋 古都の旅9

 二尊院を後にして清涼寺へ。既に夕方5時近くで、仏像拝観はあきらめて境内のみ散策する。



仁王門は私が外に出ると直ちに扉が閉じられた。



仁王門から本堂を望む。入母屋造りの大きな屋根。



多宝塔




 


嵐山の二尊院

2013-11-17 | A あれこれ

秋 古都の旅8

秋には参道の紅葉が美しい。

出かける前、二尊院についてはこのことしか知らなかった。







勅使門から望む本堂







ご朱印を書いていただいた。

本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため、二尊院と呼ばれていることを寺のリーフレットで知った。


 


落柿舎

2013-11-17 | A あれこれ

秋 古都の旅7


秋のフォトアルバム 京都嵐山 落柿舎 撮影日131115

茅葺き屋根の棟  針目覆いと呼ばれる部位の詳細 

他より少し太い小棟、萱束のからすと竹のからす押さえ、からすの下に腹竹、そして棟覆い、棟端の鼻皮、鼻皮を押さえる鼻串・・・。


さて次は二尊院。


常寂光寺の紅葉

2013-11-17 | A あれこれ

秋 古都の旅6

 金地院で小堀遠州作の枯山水庭園と茶室・八窓席、長谷川等伯の襖絵を見学。その後、すぐ近くの菊水で京料理をいただく。

地下鉄東西線とJR嵯峨野線を乗り継いで嵐山へ。繰り返しの美学な渡月橋を渡って、タクシーで常寂光寺へ。歩いても15分くらいだと思うが、疲れていた。この日(15日)の歩数はおよそ23,500歩になった。



茅葺き屋根の仁王門を抜けてこの急な階段を上る。



急な階段の途中、ふり返って仁王門を俯瞰する。





多宝塔(重文) 1620年建立





 


金地院

2013-11-17 | A あれこれ

秋 古都の旅5

 東福寺を後にしてタクシーで南禅寺に向かった。南禅寺の塔頭、金地院の八窓席の見学を予約していた

大方丈南庭は金地院崇伝が小堀遠州に作庭を依頼した鶴亀の庭。金地院は応仁の兵火に遭い荒廃していたのを崇伝が復興したと『京の茶室 名僧と語る茶の心』 婦人画報社 にある。 



鶴石組 首を水平に延ばした飛翔の形。独創的だといわれる長い首石が中央やや左側にある。

『「日本庭園」の見方』小学館に、「神仙蓬莱(しんせんほうらい)思想」ということばが出てくる。飛鳥時代に中国から伝わった思想で、今日の作庭にまで影響していて、鶴島・亀島が各地の庭園につくられているという。




左を向いた亀 中央に大きな亀甲石、左端に亀頭石。 ちゃんと亀に見えてくるから不思議。



撮影は禁止されている。この写真は屋外に設置されていた案内看板を撮ったもの(下の茶室の写真も同じ)

長谷川等伯の猿猴捉月図「老松」(重文) この襖絵が金地院にあることは知らなかった・・・。旅行直前に読んだ『江戸の絵を愉しむ』 榊原 悟/岩波新書に**猿が水に映った月影を取ろうとしているところを描き、みだりに大望空想を抱く者を戒めた**(192、3頁)という説明文がある。確かに左下に月が描いてあった。



小堀遠州が前からあった茶室のリニューアルの設計をした八窓席 三畳台目の席(重文) 床と点前座を並置している。

『京の茶室 名僧と語る茶の心』 で瀬戸内寂聴さんは**窓が多いのは、茶室の密室めいた緊張感はほぐされるが、落ち着きを失う。障子に映る陽の移ろいの影は楽しめるかもしれないが、私は窓が多すぎるのは好きではない。**(65頁)と語っているが、私はこの解放感は好き。にじり口からの低い視点で内部を見て、変化に富んでいて「楽しい」と感じた。窓の数は実際には六つ。「八」とは数多いということだと説明があった。茶道口の向こう側に水屋の他に六畳の日常使いの茶室があって、そちらも見学させていただいた。



 


龍吟庵

2013-11-17 | A あれこれ

秋 古都の旅4

東福寺の塔頭の一つ、龍吟庵が特別公開中だった。

昭和の作庭家・重森三玲の三つの枯山水庭園に注目



西庭 (龍の庭) 龍が海中から顔を出している姿



龍の顔だという説明を聞くと他のものには見えない・・・。左を向いている龍の顔と角。



塀にはラーメンどんぶりマーク これも龍に関係あり。だがその詳細を知らない・・・。



南庭 (無の庭) 方丈正面の白砂敷きの庭



東庭 (不離の庭) 大明国師(信濃国生まれ、信州人!)幼少のころの故事に基づく作庭だと寺のリーフレットに説明がある。

初めて見た赤砂を敷いた庭園。


 


東福寺

2013-11-16 | A あれこれ

秋 古都の旅3

 西本願寺近くで火の見櫓観察をしてからタクシーで東福寺へ。創建から750年経つ古刹。

方丈八相の庭に注目

枯山水庭園の鑑賞には小雨模様の日がふさわしい。石が美しく見える。





南庭 書院方向を見る



西庭



北庭 繰り返しの美学



東庭

作庭家重森三玲の作



開山堂 塔屋が美しい


 


443 京都駅近くの火の見

2013-11-16 | A 火の見櫓っておもしろい

秋 古都の旅2

 
443







14日は京都駅のすぐ近くのホテル泊。

15日の朝7時過ぎ、そぼ降る雨の中をホテルから徒歩で西本願寺近くにあるこの火の見櫓を見に出かけた。木造の簡易な櫓が消防団の詰所と思われる建物の外壁に設置してある。見張り台に半鐘と木槌を吊り下げてあるが、現役かどうかは不明。

京都駅から徒歩で10分足らずのところに火の見櫓があるなんて・・・。


 


51 京都、奈良 秋の旅

2013-11-16 | C 名刺 今日の1枚

秋 古都の旅1


51枚目の名刺は京都でNさんへ

14日の夕方松本を発って京都へ。特急しなのと新幹線のぞみを乗り継いで京都に夜の9時ころ着いた。松本から京都までは約3時間。

京都駅で友人のMさんと待ち合わせ。前日京都入りしていた彼女は、京都駅で友人のNさんと合流して松江、出雲方面へ。少し時間があったので3人でスタンドバーで軽く飲んだ。

Nさん(後方)とはこの夜が初対面で名刺を渡して挨拶をした。気さくな女性で特に気を使うこともなく、楽しく飲んだ。

出雲も松江も神在月の大祭中でかなり混んでいたそうだが、希望通り参拝が叶ったと、メールが届いた。


 


母の愛

2013-11-13 | A あれこれ

 『秋葉原事件』中島岳志/朝日文庫 を読み終えた。

2008年6月に秋葉原で死傷者17人を出した無差別殺傷事件を引き起こした若者の人生を追ったノンフィクション。

現実世界では故郷を捨て、友だちを捨て、ネットの掲示板では全く無視される存在に。現実世界でもネット世界でも居場所を失った若者。根なし草の寂しさ・・・。存在証明の欲求。

彼の人生を辿っていくと、母親の厳しすぎる教育、生活への介入という不幸に行きつく。

**極端でかつ理不尽と思える母の叱責に黙って従った。理由を説明されず、ただうまくできないときには罰を与えられる。抵抗すればするほど、その罰は厳しくなる。(中略) 彼は次第に、他者に対しては言葉で説明を求めたり、じっくりと相手を説得するという姿勢を失っていく。**(34頁) 

ところで、同じ著者の『岩波茂雄』は岩波書店の創業者・岩波茂雄の評伝だが、その中に岩波が40日間も野尻湖の弁天島で過ごしたことが書かれている。将来の方向性を見失い、悲観に明け暮れ、煩悶する日々。孤独とともに自然に囲まれた生活を望んでのことだった。

島に渡って10日が過ぎた日、嵐の中を母親がずぶ濡れで島に渡ってくる。母と5時間余り語り合った岩波は自死という選択肢を捨てる。母の愛が岩波を救ったのだ。

秋葉原事件を起こした若者の母と岩波茂雄の母・・・。

岩波のこの出来事を読んだ時、自分の母親のことを思い出して涙があふれた。母親の愛を十分感じて育ったのは幸せだったという他ない・・・。


 


「開智学校物語」

2013-11-12 | D 新聞を読んで

 今朝(12日)のタウン情報の「開智学校物語」を興味深く読んだ。いままで知らなかったことが紹介されていたから。

 

開智学校については、例えば建築史家・藤森照信さんが『日本の近代建築(上)』岩波新書で明治4年に筑摩県に赴任した永山盛輝が教育熱心で教育環境の充実に尽くし、警察力を使って未就学児を学校に通わせることまでして日本一の就学率を達成したということや、どこにも負けない小学校の建設を決めて棟梁として立石清重を指名したなどを紹介している。更に指名を受けた立石は明治8年、はるばる東京まで徒歩で出かけて西洋館の観察を行なったことも書いている。

藤森さんは同書の「開智学校のできるまで」(110~115頁)で、立石清重の長男が東京医学校に進学していたことについて触れている。タウン情報の記事は建築史家・村松貞次郎さんが季刊誌「帖面」に寄せた文章を取り上げ、開智学校の外観が東京医学校(東大医学部の前身)の新校舎によく似ているという指摘を紹介している。

タウン情報の記事によると立石清重の自慢の息子は卒業直前、18歳で亡くなったという。 開智学校の着工が明治8年の4月、息子が亡くなったのがその年の9月。このようなことは全く知らなかった。立石は傷心に耐え、悲しみを忘れるように仕事に打ち込んだということを村松さんが「帖面」に書いているということも記事にある。

「開智学校物語」か・・・。近々開智学校に行ってみよう。いままでとは全く違って見えるだろう。


 

 


長楕円に桜の花びら?

2013-11-10 | F 建築に棲む生き物たち



  これは・・・?  





実はここにはSANPATSU―YA とあって(上は画像処理している)、散髪からハサミ、それからの連想でカニだと分かる。いや、上の写真からもカニだと分かるが・・・。



棲息地: 塩尻市内のスーパーマーケット 撮影日131110

ある形をみて、脳がそれをどのように認知するか、これは認知心理学が扱う興味深いテーマ。
L● このようなシンプルな形でも人の顔に見えてしまうのはなぜだろう・・・。




「秋葉原事件」を読む

2013-11-10 | A 読書日記



 読み始めた『秋葉原事件』中島岳志/朝日文庫に次のような記述がある。**彼は現実の友人ではなく、ネット上の知り合いを「本音で繋がることができる関係」と捉えていた。現実の友人では、どうしても透明な関係を結べない。真の自分を承認してもらえない。しかし、ネット上で同じネタを共有できる仲間は、自己を真に承認してくれる相手に思えた。**(プロローグ 21頁)

先日行われた中島岳志さんの講演会で、2008年の6月8日に起った秋葉原事件のことが少しだけ取り上げられた。

ルソーに「高貴な未開人」ということばがあって、古代人や子どももそうだが、未開人は外観と内面が一致しているから高貴、比して近代人は外観と内面が分断されていると捉えていたという。

秋葉原事件の犯人は現実の友人を「外観と内面が一致していない」と思っていたが、これはルソーの認識と似かよっているという指摘を、講演者の中島さんがしたのだった。

確かに現実社会において、建前と本音の使い分けが行われていることは事実に違いないが、現実は「建前」で、ネット上の掲示板は「本音」などと、事件の犯人のようには、私は思わない。ネット上の関係より現実社会での人間関係の方が「虚構性」は少なく、より「リアル」だと思う。

講演会で一緒になった友人のKさんが僕に「あなたはネット上では知的な人というイメージなんだからね・・・」と言ったが、これも現実の方がリアルだという認識に因るもの。

社会とは人間関係。「秋葉原事件」に無関心ではいられない。そう思って、この本を読むことにした・・・。


 


「トラップ」な標識

2013-11-09 | A あれこれ





 本稿でも分かりにくい道路標識を取り上げます。地図のの位置には写真のの道路標識が立っています。も同じ関係です。



この写真はの位置から方向を撮ったものです。

白板一丁目という信号の交差点から橋に向かうとの標識がまず目に入ってきます。7時から21時まではこの先、「直進か左折」という意味です。地図で分かる通り、直進する道路は少し右に曲っています。

軽自動車がこの道路を「直進」して行きます。この時の時刻が朝の8時だとすれば、この軽自動車は道路交通法違反ということになります。7時から8時30分まで歩行者専用道路というの標識が立っているからです。

の標識で直進OKとしておきながら、10mくらい先ではで直進NGって、こんなのありでしょうかね。10mだと、時間にして1秒足らずです。脳が直進してOKなんだと認識したと思ったら、NGという標識が・・・。こんなのトラップ(ひっかけ)でしょう。

何年か前、私はこのトラップにかかって、7000円だったかな、国に寄付をしました。