透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

分かりにくい道路標識

2013-11-09 | A あれこれ





 分かりにくい道路標識がけっこうあると思うのですがどうでしょう。これは松本市内の某所に設置されている道路標識です。3つ(いや、正しくは規制標識が2つ、指示標識が1つ、補助標識が2つで、計5つ)の道路標識が1箇所に設置されています。



このように複数の道路標識を運転中に目にした場合、瞬間的に意味が理解できるでしょうか?

上の標識と下の左側の標識とでひとつのことを規制しているのではないか、などと思ってしまえば、意味不明、理解不能になってしまします。

下の左側の標識はここで一方通行は終わり、この先は対面通行ということを示しています。この場所の様子を示す上の写真で分かると思いますが、と右向きになっている標識を、上向きにすべきではないでしょうか。カーナビでもそうですが、進行方向を上に向けるのが一般的で分かりやすいのですから。

以前、この変則5差路を「正しく」進行したのにもかかわらず、警察官に注意されたことがあります。幸い、注意だけで済みましたが。警察官もこの複数の標識を正しく理解していなかったようです。

このように複数の標識を設置する場合には、正しく理解できるかどうかきちんと調査することも必要ではないかと思います。車で走行中に標識を見て瞬間的に判断するわけですから、分かりやすくないと困ります。

この場所の近くにもう1箇所分かりにくい標識がありますので、次稿に載せます。


 


ピンク色の壁 その意味は・・・

2013-11-09 | A あれこれ



路上観察 ピンク色の壁 松本市内にて 撮影日131108

 信号待ちの間、この外壁を見ていて、メキシコの建築家、ルイス・バラガンを思い出しました。バラガンはこの写真のようなピンク色の壁で有名なんです。バラガンの自邸は世界遺産に登録されていますが、やはり壁にピンク色が使われています。

なぜピンク色なのか・・・。

バラガンは生涯独身でしたが、想いを寄せ、また頼りにもしていた幼なじみの女性がいました。特徴的な濃いピンク色はふたりの故郷に咲き乱れていたブーゲンビリアの色だそうです。バラガンは彼女への想いを壁の「ピンク」に込めた・・・。何年か前、テレビ番組でこのように解説していました。

豊かな色彩がメキシコの民家の特徴のようで、壁のピンクはめずらしくないようですが、このような解釈はロマンチックでいいですね。

ではこの外壁のピンクにはどのような意図というか意味があるのでしょうか・・・。


 


「人生いろいろ」な人生 島倉千代子

2013-11-08 | A 読書日記

 島倉千代子さんが亡くなった、ということをネットで知った。



『島倉千代子という人生』 田勢康弘 手元にこんな本がある。

島倉千代子は戦時中松本市平田に疎開していた。当時小学生だった島倉はある日腕に大怪我をする。偶々近くにいた軍医が手術をしてくれて(48針!も縫って)九死に一生を得たのだという。お千代さんは後年、男に騙されて巨額の借金を背負う。乳がんの手術もしている。そんな彼女の人生を知って聴く「人生いろいろ」は味わい深い。

以上過去ログから引用。

謹んで哀悼の意を表します。


 


「江戸の絵を愉しむ ―視覚のトリック―」

2013-11-07 | A 読書日記



 「朝日村文化祭」の古本コーナーで入手した4冊の本、『江戸の絵を愉しむ』 榊原 悟/岩波新書を半分くらいまで読み進んだ。

なるほど! こういう仕掛けを江戸の絵師たちは考えていたのか・・・。遊び心というのか、斬新なアイデアにびっくり。

例えば写真の虎の襖絵。襖を開けた状態では虎は両サイドの襖の後ろに隠れている。それが襖を閉めたとたんに巨大な虎が姿を現す。この「演出」は襖の開閉によってはじめて可能になる。見事な演出というほかない。

掛幅画(掛軸)の演出。掛緒を掛けて軸を回転させながらするすると下方へ下げていくことで次第にことの状況、全体像が現れてくる、という演出。

その実例として示されている「大仏殿炎上図」。高く立ちのぼる巨大な炎と煙、画を下げていくと、やがて画面最下部に描かれている大仏殿が見えてきて、それが燃えていることが分かるという仕掛け。

本書で初めて知る江戸の絵師たちの演出、仕掛け。なかなかおもしろい本に出合った。いったいどんな人がこの本を提供してくれたのだろう・・・。


 


岩波書店創業100年記念講演会

2013-11-06 | A あれこれ

信州が生んだ出版人、岩波茂雄のメッセージ

■ 今月4日の午後、松本のMウイングで中島岳志(北海道大学大学院准教授)さんの講演があった。

中島さんがNHKの週刊ブックレビューに出演したのは過去ログ(←クリック)によると、2008年1月のことだった。司会者の質問に理路整然と、そして簡潔に答える中島さん。スゴイ人だなと思った。

やはり、冗長なところがなく、しかも分かりやすい講演だった。講演時間は45分と短かったが内容は充実していた。講演はフランス革命やルソーの思想にまで及んだが、それらについて全く素養のない私でも内容は理解することができた(と思う)。

以下は私の備忘録。中島さんの講演の主旨から外れているかもしれないが、文責は私にあることは言うまでもない。

日清・日露、両戦争の間に青春時代を送った岩波茂雄。富国強兵という大きな国家目標が一応達成され、国家と個人とがものがたりを共有できなくなると、当時の青年たちの問題意識は個人の根本、個の内面へと向かった。ここでのキーワードは「煩悶」。

中島さんは司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』を挙げ、タイトルの意味からこの状況を説明していた。なるほど!と思った。

戦後のパラダイムが岩波茂雄を理解しにくくしているが、ナショナリズムはリベラリストから、リベラりズムはナショナリストから生まれるという左右一体のものだった。

「一君万民」、天皇を掲げた一君万民のナショナリズムこそリベラルであるという思想が茂雄にはあった。これは尊王精神に基づく万民の平等という吉田松陰の根本思想に依拠するものだった。

中身の真の姿を知るべき、知って欲しい。だから、右でも左でも基礎となる哲学・思想書は出す。岩波書店のこの出版姿勢は茂雄の寛容なこころ、ふところの深さに因る。

*****

講演の後、岩波書店社長・岡本 厚さんとの対談が行われた。対談の中でだったか、その後の会場の質問に答えてだったか、記憶にないが、中島さんは秋葉原事件の犯人の「現実は建前、ネットは本音」ということばが、近代人は外観と内面が分断されていると捉えたルソーの思想に通底していると指摘していた。そういう見方があるとは・・・。

広く社会の深層を探ることで見えてくる時代の本質、実相。

中島さんの『秋葉原事件』朝日文庫を読んでみよう。



442 盛岡の望楼付番屋

2013-11-04 | A 火の見櫓っておもしろい

 
442

 前稿に書いたKさんが東北旅行をした時、盛岡で見たという望楼付番屋の写真をカフェで見せてもらった。その時、見たことがあるな、と思った。

50枚目の名刺を彼女に渡したのは写真をメールで送ってもらうためだった。名刺にはメールアドレスを載せてある。

家に帰って安曇野のヤグラー・のぶさんのブログの記事(←クリック)を見て同じものだと分かった。アングルもよく似ている。なんという偶然!

東北か、行きたいな・・・。



記念すべき50枚目

2013-11-04 | C 名刺 今日の1枚



50

 記念すべき50枚目はどんな人に渡すことになるだろう・・・。昨日(3日)、49枚目を「朝日村文化祭」で出会った若い女性に渡した後でふと思った。で、早くも50枚目を渡す機会があった。

今日の午後、松本のMウィングで行われた中島岳志さんの講演会にKさんも来ていた。講演会が終わった後、ボクもKさんも中島さんの著書『岩波茂雄』にサインしてもらった。それから近くのカフェへ。

そこでKさんから言われた。「あなたはネット上では知的な人というイメージなんだからね・・・」

チテキは、まさか痴的ではないだろうが、Kさんにはお見通し、現実は単なる酔っ払いオヤジだということが・・・。

話しの成り行きでメールアドレスを伝える必要が生じて名刺を渡した。というわけで記念すべき50枚目の名刺はKさんに。

*****

Kさんへ 『秋葉原事件』 朝日文庫 を丸善で買いました。


 


塩山の櫓造りの民家

2013-11-04 | A あれこれ



民家 昔の記録

塩山市上原の民家 突上げ棟と突上げ屋根の複合櫓造り 撮影日19791021



 30年以上も前のこと、塩山駅で下車して突上げ屋根の民家を見て歩いた。急勾配の切り妻屋根の中央部分の棟を突き上げて気抜き櫓をつくり、更に屋根を緩勾配にして窓を設けている。縁側の両側に柱を建て2階建と変わらないスペースを確保している。写真とともにファイルしてある資料(「滅びゆく民家」のコピー)に「突上げ2階造り」という、と説明文が載っている。

ここは民宿で玄関の上に看板が掛けてある。お金と時間に余裕があれば一泊してもよかった・・・。





文化祭の古本コーナーで入手した本

2013-11-04 | A 読書日記

  

 

「朝日村文化祭」の古本コーナーを覘いた。住民提供の古本が無料で何冊でも貰える。良書が並び、無料では申し訳なく思う。

『「日本庭園」の見かた』 小学館 裏表紙に**石の組み方、庭木の植え方、ホーキ目のつけ方、水のあるなし・・・・・・等々「日本庭園」を見る時、それぞれの意味がわかるようになる本です。
旅の侶(とも)として、必携の一冊。**とある。

旅行前に日本庭園鑑賞のための基礎知識と各時代の名庭解説をざっと読んでおこうと思って。南禅寺金地院庭園も載っている。この庭園は見学予定。

『民家のみかた調べ方』 第一法規 昭和42年初版発行の古い本。伊藤鄭爾、、大河直躬、太田博太郎、・・・。執筆者に民家研究で有名な方々の名前が載っている。いまでは入手が困難な本。この本は1冊手元にある。何年か前、確か塩尻で行われた同様の催しで入手したと記憶している。貴重な本を2冊も持っていてはいけない・・・。N君にあげよう。彼が民家に関心がなければ、Mさんに。

『江戸の絵を愉しむ ―視覚のトリック―』 榊原 悟/岩波新書 **それぞれの時代の人びとの「眼」が何に向けられていたか、その関心の所在を、その時代が生み出した「かたち」を通じて分析し、明らかにすること、それが美術史だ、と。
わたしなりの精一杯の答えだ。(中略)少なくともこれらによって江戸時代の人びとの「眼」の関心が何に向けられていたか、その一端なりとも解明できたのではないか、自負する。**帯に「あとがきにかえて」からの引用文が載っている。

明快な視点の提示。こんな文章を目にしたら読まないわけにはいかない。

『寺田寅彦随筆集 第一巻』 岩波文庫 寺田寅彦についてここに何か記すことは野暮なこと。じっくり味わいたい随筆集。

読書の秋、文化の日にふさわしい企画。これらの本を提供していただいた方々に感謝、感謝。


 


「岩波茂雄」読了

2013-11-03 | A 読書日記




**しかし、岩波の命は幾ばくもなかった。四月二〇日、彼は熱海の別荘で倒れた。右半身は動かなくなり、会話もできなかった。そして、二五日の夜、静かに息を引き取った。
遺骨は北鎌倉東慶寺の西田幾多郎の墓地の隣に埋葬された。
六四年八ヵ月の生涯だった。**(236頁)

明治14年(1881年)、長野県諏訪郡中洲村に生まれた岩波茂雄は昭和21年(1946年)にこうしてその生涯を閉じたのだった。言論統制に屈することなく、信念を貫き通した岩波の懸命な生き様を知り、感銘を受けた。

著者の中島岳志氏は「おわりに」に次のように決意の述べている。

**岩波によって構築され、死守された知的アリーナを、我々は守り発展させていかなければならない。その時、時代に阿ることなく懸命に生きた岩波の歩みを振り返ることは、意義ある作業だろう。
岩波だったら、今、いかなる本を出そうとするか―。
その問の先に、これからの先鋭的な学問と批評があるように思われる。私は死者となった岩波茂雄を傍に感じながら歩みたい。**(240頁 文中のアンダーラインは引用者による)

本書で明日(4日)予定されている中島氏の講演会の予習ができた。


 


49 カラフル

2013-11-03 | C 名刺 今日の1枚

 

49

「朝日村文化祭」にカフェシュトラッセがコーヒースタンドを出店すると知って出かけてきました。そこで娘の同級生のMちゃんと今年の春先に知り合いになったHさん、カラフルな女性が談笑していたのです。なんとなくその輪に入る雰囲気に・・・。

初対面のカラフルな女性と名刺を交換しました。というわけで、プライベート名刺49枚目はテキスタイル作家(という紹介でいいのかな)の鶴田希望(のぞみ)さんに。 

彼女は群馬県出身、朝日村に越して来る前のおよそ2年間、屋久島で作家活動をしていたとのことでした。私は学生時代に屋久島の宮之浦岳から永田岳を縦走したことがあります。ワンゲルの同好会に入っていて登ったのです。その時は東京駅から西鹿児島駅まで急行(名前は忘れました)に1日以上乗り続け、そこから屋久島まで船で行きましたが、確か4時間くらいかかりました。そんなことを話しました。

屋久島で活動していた希望さんがなぜ朝日村に? 安曇野に移住しようと考えていたそうですが、人づてに朝日村のカフェシュトラッセのことを聞き、訪ねてきたのだとか。あとは、マスターの朝日はいいところだよの勧誘トークで決定! めでたしめでたし。

ブログタイトルに「透明タペストリー」などと付けているくらいですから、テキスタイルにも興味があるのです。いつか希望さんの作品を観る機会があれば・・・。


 


山形村の青面金剛像

2013-11-02 | B 石神・石仏



 山形村の道祖神巡りに参加したことは既に書いた通り。

小坂という地区の道祖神「筒井筒」の右隣にこの青面金剛像が祀られていた。以前ここを訪ねた時は、この像を観察しなかった。庚申塔や青面金剛像のことは何も知らず、関心も無かったから。

さて、この像だがこの国のデザインではないような雰囲気だ。ではどこなのか、中国系? モンゴル系? 具体的に指摘しようにも知識が無い・・・。

六臂、それぞれに持っているものは何だろう。不動明王同様、憤怒の相で威嚇のための武器だろうが、具体的には分からない。

下に彫り込まれている三猿もなんだかのっぺりしていて、映画「2001年宇宙の旅」に出てくる冬眠人間(人工冬眠中の人間の姿)のようだ、なんて書いて分かってもらえるだろうか・・・。

建立年月は像の左右に彫り込まれた文字から寛政元己酉年九月日と分かる。干支は己酉(つちのととり)であって、庚申(かのえさる)ではない。多くはないが、このように庚申ではない年に建立された庚申塔もある。

石神石仏巡りは続く・・・。


 


スケッチの練習

2013-11-02 | A あれこれ



 先日画材店に行く機会があり、小型のスケッチブックとペン(写真)を買い求めた。京都・奈良旅行では風景や街並み、建築、仏像などを写真に撮るだけでなく、スケッチをしようと思って。

下描きを鉛筆で描くと線の太さや表情を変えることができて具合がいい。気に入らないと消すこともできるから、便利だ。だが、いままで敢えて修正できないペンを使い、彩色には水彩絵の具を使ってきた。

今回人生の節目のお祝に同僚からプレゼントされた色鉛筆を使ってみたが風景スケッチに色鉛筆を使ったことがあまりないから、どうのような描法にしたらよいのか分からない。この絵は全体にぱさついた感じで好ましくない。季節はいつであれ、日本の風景の特徴は「水っぽさ」にある。乾いた風景ではないのだ。その表情を表現するのにこの描法は向かない・・・。やはり水彩絵の具でさらっと彩色する方法が好ましい。

でも旅行に絵の具など持って行く気にはならない。ならば風景をあきらめて街並みや建築を画題にするか。待てよ、ペンと色鉛筆10色くらいで「水っぽい風景」を描くことはできないだろうか・・・。

そのためにはこのスケッチのような細切れの線ではだめだ。ペンでなめらかな線を引くのは難しい。だが、できないことはないだろう。色鉛筆でもっとラフに太い線を引くこともできる。今度試してみよう・・・。


 


山形村の道祖神巡り

2013-11-02 | B 石神・石仏

 松本市の隣、山形村で開催された「道祖神と新そば祭」に行き、申し込んでおいた村内の道祖神巡りに参加しました。参加者は20数人でした。



山形村には双体道祖神が21体あるそうです。今回はその内、7体の道祖神を村のマイクロバスで巡りました。以下、各道祖神を紹介します。



道祖神の説明を聞く参加者

 

「路傍の情熱(一)」と名づけられた道祖神。摩耗していて姿・形がはっきり分かりませんが、蓮の花に乗っていることから、仏教系の道祖神だとわかるそうで、一般的な道祖神とは逆で男が左、女が右になるそうです。


 

本州高遠住石工四良右門兼氏作 と石工の名前が彫ってあります。山形村は江戸時代に高遠藩領だったことから、高遠の石工が彫った道祖神が何体かあるそうで、これもその内の1体だと説明を受けました。石工の名前を彫ってあるものは珍しいそうです。

この道祖神の魅力は「笑顔」、左に立つ女神は娘さんのように若く見えます。にこやかな表情がとてもいいです。




 

昔、アメリカの研究者がこの道祖神の拓本を取って、紹介したことから海外にまで知られた「下大池の筒井筒」と呼ばれる道祖神です。筒井筒は幼なじみという意味だそうです。お互い相手の肩に手を掛け、反対の手で握手をしています。そんなに若そうではありませんね。もっとも神様には歳はないのかもしれませんが・・・。


 



酒樽と名づけられた道祖神 男神の下にあるのが酒樽です。祝言跪座像です。男神は手に杯を持ち、女神は酒器を手にしています。3の道祖神の型は抱肩握手像と呼ばれます。どちらの型が多いのかは覚えていません(説明ではこのことには触れませんでした)。

嘉永2年建立の道祖神ですが、大正12年に手を加えたそうです。像の上、石の左側を少し欠いて
男のシンボルとして形を整えたそうです。説明を聞かなければ分かりませんね。道祖神はオールマイティの神様、子孫繁栄の願いも叶えてくれるということですから、分かります。


 



寛政6年、1796年の建立ということですが、着物の省略表現に因るのかモダンな印象の像です。


 

 

「豆沢のじじばば」という名前の道祖神です。なるほど確かに両神とも若いという印象ではないです。「ちょっと、じいさん 止めてくださいよ、いい歳をして」 ばあさんの声が聞こえてきそうです。


 

上大池の筒井筒 女神の顔に動きがあります。男神がぐっと引き寄せたところでしょう。石工が下絵(原案)を何枚か描いて村人に説明し、どれにしましょうかと相談して決めたと思われるとの説明を受けました。

道祖神は顔の表情が豊かで皆仲良く寄り添っています。石神石仏の中でも道祖神は地域の人たちに親しまれ、観光客に人気があることも頷けます。

* すでに紹介した道祖神もあります。再び本稿に載せました。