(雨竜史跡公園)
雨竜開拓の拠点 蜂須賀農場跡
新十津川町から国道275号線をさらに十キロメートルほど北上すると、雨竜町に着く。史跡公園は、雨竜開拓の起点となった蜂須賀農場跡である。蜂須賀茂韶は、明治二十二年(1889)、三条実美、菊亭修季らとともに雨竜郡に一億五千坪もの広大な土地の貸付を願い出て許された。彼らは華族組合雨竜農場を設立して開墾に着手したが、明治二十四年(1891)の三条の死により頓挫してしまう。そこで蜂須賀茂韶は、新たに六千町歩の官有地の貸し下げを受けて、蜂須賀農場を開いた。
史跡公園のアカマツ
史跡公園内の記念館は、やはり雪に閉ざされ行き着けず。周辺のアカマツは、蜂須賀茂韶が農場開設時に徳島の菩提寺から持ち込んで、自ら植樹したものという。
雨竜開拓の拠点 蜂須賀農場跡
新十津川町から国道275号線をさらに十キロメートルほど北上すると、雨竜町に着く。史跡公園は、雨竜開拓の起点となった蜂須賀農場跡である。蜂須賀茂韶は、明治二十二年(1889)、三条実美、菊亭修季らとともに雨竜郡に一億五千坪もの広大な土地の貸付を願い出て許された。彼らは華族組合雨竜農場を設立して開墾に着手したが、明治二十四年(1891)の三条の死により頓挫してしまう。そこで蜂須賀茂韶は、新たに六千町歩の官有地の貸し下げを受けて、蜂須賀農場を開いた。
史跡公園のアカマツ
史跡公園内の記念館は、やはり雪に閉ざされ行き着けず。周辺のアカマツは、蜂須賀茂韶が農場開設時に徳島の菩提寺から持ち込んで、自ら植樹したものという。