(本町通り)
吉田松陰逗留の地
(久住家)
久しぶりに岸和田の街を散策した。駅前の駐輪場で自転車を借りて、観光案内所で本町通りへの道筋を確かめると、一路吉田松陰が逗留したと伝えられる久住家を目指す。岸和田城北側の旧紀州街道沿いには古い町並みや建物を保存しており、タイムスリップ感を楽しむことができる。
観光案内所の方から
「久住家は二つある」
と伺ったが、両家は向い合わせになっており、南側の住宅が嘉永六年(1853)二月、吉田松陰が森田節斎と逗留した塩屋平衛門宅(現・久住清子邸)である。
今もこの場所には古い木造住宅が建てられているが、この住宅は明治三十年代後半に建てられたもので、残念ながら松陰が滞在したものではない。
松陰は藩儒相馬九方ら岸和田藩士らと藩校講習館の一室で議論を重ねたという。せっかくなので、藩校講習館跡にも足を延ばしてみることにした。
(中央保育園)
岸和田藩校(講習館)跡
岸和田藩校講習館は、岸和田岡部家九代藩主岡部長慎(ながちか)が隠居後設立した藩校で初代館長に相馬九方(きゅうほう)が招かれた。
嘉永六年(1853)、岸和田を訪れた吉田松陰は、講習館の一室で囲炉裏を囲んで、茶を飲み、せんべいをかじりながら、時には夜を徹して時勢や詩文について議論を重ねた。松陰は、頻繁に姿を現すようになった外国船に対し、海防の手薄なことを繰り返し説いたという。
現在、藩校跡は保育園となっており、その前に岸和田市が建てた説明板が置かれているのみで、遺構らしきものは一切残っていない。
相馬九方肖像画