(烏森公園)

烏森神社
明治十二年(1879)、印南丈作、矢板武らの要請に応えて、伊藤博文、松方正義が烏ヶ森から那須野が原を視察し、明治十四年(1881)の明治天皇の東北・北海道巡幸の際には、名代として有栖川宮熾仁親王が訪れた。さらに明治十八年(1885)には那須疎水起工式、明治二十七年(1894)には那須開墾社成業式が開かれる等、那須野ヶ原開墾、那須疎水開削にゆかりの深い場所である。丘の上の烏森神社は、社伝によれば、その前身である烏ヶ森稲荷神社の創建は延喜二年(902)とされるが、明治二十一年(1888)に現在の社殿が完成し、以来「開拓のおやしろ」として崇敬を集めてきた。
印南丈助頌徳碑
印南丈作の頌徳碑である。建立は明治二十九年(1896)とあるが、「那須開拓史」には明治三十一年(1898)に建てられたと記載されている。撰文は佐々木高行。書は明治三大書家の一人と称される金井之恭による。
印南丈作は、天保二年(1831)、日光で生まれ、佐久山宿(現・大田原市)の印南家の養子となった。戸長、県の勧業課付属、産馬協同会社社長を歴任後、明治十三年(1880)、同志とともに那須開墾社を設立し、翌年社長となった。明治十八年(1885)には矢板武とともに那須疏水の開通を実現するなど、那須野ヶ原の開拓に尽力した。明治二十一年(1888)、五十七歳にて死去。
有栖川宮碑
有栖川宮熾仁親王の撰文および書による碑で、明治十四年(1881)八月、那須野ヶ原を視察したときのことを漢文で記録したものである。建立は明治十五年(1882)。