(馬頭観音堂)
馬頭観音堂
大田区池上3‐20‐4の馬頭観音堂に刈谷藩出身で彰義隊士の渡邉健蔵の墓と供養塔がある。渡邉健蔵は、慶応四年(1867)四月、官軍が江戸に進攻すると、密偵として新政府軍の本営に忍び込もうとして捕えられ、この地で斬首された人物である。渡邉健造が斬首された地にのちに馬頭観音堂が建てられた。野良猫が屯するちょっと不気味な空間である。伝承によれば、健蔵(廉蔵とも)は、霊山橋付近で斬首され、その付近の馬捨て場に葬られたという。
不徹子之墓(渡邉健蔵墓)
この墓は、昭和初期まで胴殻(どんがら)様と称され、祈れば病気が治るといわれた。なお、渡邉健蔵の墓は、鈴ヶ森刑場跡の大経寺にもあり、こちらは御首様と呼ばれて、首から上の病気が治るとされた。
馬頭観音堂
大田区池上3‐20‐4の馬頭観音堂に刈谷藩出身で彰義隊士の渡邉健蔵の墓と供養塔がある。渡邉健蔵は、慶応四年(1867)四月、官軍が江戸に進攻すると、密偵として新政府軍の本営に忍び込もうとして捕えられ、この地で斬首された人物である。渡邉健造が斬首された地にのちに馬頭観音堂が建てられた。野良猫が屯するちょっと不気味な空間である。伝承によれば、健蔵(廉蔵とも)は、霊山橋付近で斬首され、その付近の馬捨て場に葬られたという。
不徹子之墓(渡邉健蔵墓)
この墓は、昭和初期まで胴殻(どんがら)様と称され、祈れば病気が治るといわれた。なお、渡邉健蔵の墓は、鈴ヶ森刑場跡の大経寺にもあり、こちらは御首様と呼ばれて、首から上の病気が治るとされた。