(日本女子会館)
和宮像
「銅像歴史散歩」(墨威宏著 ちくま新書)によれば、芝の日本女子会館に和宮像があるという。事前に日本女子会館に連絡をしておけば、見学させてもらえる。昼休みに日本女子会館まで往復して、和宮像を拝見してきた。
この和宮像は、神戸の篤志家で、県会議員なども務めた中村直吉氏が、日本女子会館の創立時に寄贈したものである。日本で最初の宿泊を伴う女子の研修施設として日本女子会館が建てられたのは戦前昭和十二年(1937)のことであるが、その後昭和四十九年(1974)に現在の建物に建て替えられた。その際に和宮像は移設され、現在も事務所に置かれている。
中村直吉氏は二宮尊徳を尊崇しており、神戸周辺で三十体以上もの二宮尊徳像を寄付したという。和宮像も「日本女性の鑑」として数体が作成され、そのうちの一つが日本女子会館に寄贈されたということらしい。
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和宮像
「銅像歴史散歩」(墨威宏著 ちくま新書)によれば、芝の日本女子会館に和宮像があるという。事前に日本女子会館に連絡をしておけば、見学させてもらえる。昼休みに日本女子会館まで往復して、和宮像を拝見してきた。
この和宮像は、神戸の篤志家で、県会議員なども務めた中村直吉氏が、日本女子会館の創立時に寄贈したものである。日本で最初の宿泊を伴う女子の研修施設として日本女子会館が建てられたのは戦前昭和十二年(1937)のことであるが、その後昭和四十九年(1974)に現在の建物に建て替えられた。その際に和宮像は移設され、現在も事務所に置かれている。
中村直吉氏は二宮尊徳を尊崇しており、神戸周辺で三十体以上もの二宮尊徳像を寄付したという。和宮像も「日本女性の鑑」として数体が作成され、そのうちの一つが日本女子会館に寄贈されたということらしい。