今年は司馬遼太郎先生の没後二十年となる。「司馬遼太郎、急死」の報に触れた日のことは、昨日のことのように覚えているが、あれからもう二十年が経ったのかというのが実感である。それにしても、没後二十年を経て、未だに人気が高く、関連本が次々と出版される作家は、司馬遼太郎をおいていない。
筆者は、長年司馬遼太郎の担当編集者として近しく接した方で、この本でも数多くの裏話を披露している。
この本は、若い世代から「司馬さんの作品を何から読めばいいのか」という問いへの答え、つまり「膨大な作品の山をきりくずす、一つの方法を提示しよう」というのが執筆の動機となっている。言わば「作品ガイド」というわけである。
本書では「燃えよ剣」「竜馬がゆく」「最後の将軍」「世に棲む日日」「翔ぶが如く」を紹介する。この選考、順番に特に異論はないが、個人的に残念なのは傑作「胡蝶の夢」「北斗の人」が入っていないこと。まったく言及がないのは少々不満である。とにかく司馬作品はどれを読んでも面白い。つべこべ言わずにそれでも良いから読むことをお勧めしたい。
さて、本書後半では司馬遼太郎先生が何故ノモンハン事件の執筆を断念したのか、何故昭和の戦争のことを書かなかったのかを解説している。司馬遼太郎先生は生前ノモンハン事件について「書いたら死んでしまう」と話していたという。同じようなことを「ノモンハン」を週刊文春史上に連載した五味川純平は「あまりに愚劣な戦闘」「いったいどれだけの兵士が死んでいったのか」「ところが作戦を強行した参謀たちは生き残り、処断されてもそれは形式だけで、また返り咲く」「こんな破廉恥な奴らがいるのか、と思うと、腹が立つし夜も眠られない」と語ったという。恐らく司馬先生も同じ想いだっただろう。
司馬先生が「ノモンハンや太平洋戦争を書いた小説を読み、その時代の日本を読者として受け止めてみたかった」とは、司馬先生の知人である元筑波大学教授青木彰元の言である。
しかし、ノモンハン事件や太平洋戦争を題材とした小説は、読者が求めているような「痛快で感動的な」作品には成りえないだろう。私は司馬先生が書かなかった方が良かったような気がしている。
実は最近枕元に「この国のかたち」を置いて、睡眠の前に少しずつ読んでいる。司馬先生はこの本で繰り返し昭和の軍閥の愚行、統帥権の問題を説いている。司馬先生の主張はこの本を読めば良く分かる。これで十分ではないか。
筆者は、長年司馬遼太郎の担当編集者として近しく接した方で、この本でも数多くの裏話を披露している。
この本は、若い世代から「司馬さんの作品を何から読めばいいのか」という問いへの答え、つまり「膨大な作品の山をきりくずす、一つの方法を提示しよう」というのが執筆の動機となっている。言わば「作品ガイド」というわけである。
本書では「燃えよ剣」「竜馬がゆく」「最後の将軍」「世に棲む日日」「翔ぶが如く」を紹介する。この選考、順番に特に異論はないが、個人的に残念なのは傑作「胡蝶の夢」「北斗の人」が入っていないこと。まったく言及がないのは少々不満である。とにかく司馬作品はどれを読んでも面白い。つべこべ言わずにそれでも良いから読むことをお勧めしたい。
さて、本書後半では司馬遼太郎先生が何故ノモンハン事件の執筆を断念したのか、何故昭和の戦争のことを書かなかったのかを解説している。司馬遼太郎先生は生前ノモンハン事件について「書いたら死んでしまう」と話していたという。同じようなことを「ノモンハン」を週刊文春史上に連載した五味川純平は「あまりに愚劣な戦闘」「いったいどれだけの兵士が死んでいったのか」「ところが作戦を強行した参謀たちは生き残り、処断されてもそれは形式だけで、また返り咲く」「こんな破廉恥な奴らがいるのか、と思うと、腹が立つし夜も眠られない」と語ったという。恐らく司馬先生も同じ想いだっただろう。
司馬先生が「ノモンハンや太平洋戦争を書いた小説を読み、その時代の日本を読者として受け止めてみたかった」とは、司馬先生の知人である元筑波大学教授青木彰元の言である。
しかし、ノモンハン事件や太平洋戦争を題材とした小説は、読者が求めているような「痛快で感動的な」作品には成りえないだろう。私は司馬先生が書かなかった方が良かったような気がしている。
実は最近枕元に「この国のかたち」を置いて、睡眠の前に少しずつ読んでいる。司馬先生はこの本で繰り返し昭和の軍閥の愚行、統帥権の問題を説いている。司馬先生の主張はこの本を読めば良く分かる。これで十分ではないか。