
伊勢屋
慶應三年(1867)十二月十四日、甲府城を乗っ取ることを目的とした浪士団(首領は上田修理)が、三田の薩摩藩邸を出立し、翌日八王子に到着した。彼らは妓楼の壺伊勢屋孝右衛門方に宿泊した。その数十二名と記録される。それにしてもわずか十名程度で城を乗っ取ろうなど、豪胆というか無謀というか…。結果からいうと、やはり無謀だったのであろう。韮山代官江川太郎左衛門の送り込んだ密偵であった原宗四郎は、浪士の一部を壺伊勢の向いの柳瀬屋に誘い出し、浪士団の分断に成功した。直ちに日野宿の佐藤彦五郎に通報し、彦五郎は追手を連れて壺伊勢を襲った。激しい戦闘となり、浪士側は六名が死亡、日野側も二人が命を落とした。
当時、壺伊勢は甲州街道沿いの浅川に面した場所にあったとされる。伊勢屋は今、呉服屋と和菓子屋として、商店街で営業を続けている。伊勢屋のマークが壺型をしているのが、辛うじて「壺伊勢」を偲ぶよすがとなっている。

壺伊勢