奇跡に近い、再会って言うのは今日のことかもしれない。
今日は女性社員の引率という感じで、展示会への出張。
心配していた連絡も取れて、東京国際展示場で待ち合わせ。
少し早めに到着したので、珈琲を飲みながらWEBメールをチェックした。
普段は携帯電話ではこういったチェックはしないんだけど
この日に限って、何となくメールチェックをしたのです。
そこで見つけた、母校からのメール。
内容は『坂大英雄氏の葬儀』
実名で失礼かも知れないけれど、この人は僕にとって忘れられない
大好きだった先輩。
僕が高校2年生の時、同級生と二人でバンドを始めた。
ところが、二人なのでバンドなんていう代物じゃなく、
せいぜい部屋でギターを弾いて、その当時流行っていた
かぐや姫のコピーをやって楽しんでいた程度のコンビだった。
文化祭の前に、学校の講堂でフォークコンサートが開かれるって
どこかで聞いて、その練習風景を観に行った時に知り合ったのが
林利法、和田美佐雄、田中由一、坂大英雄の4人で組まれた
『黄色いかたまり』という、得体の知れないバンド。
ところがこのバンド、聞いていて楽しい。
オリジナルはたったの2曲。それも一曲は殆ど語りのお笑い。
どう見てもコミックバンドなんだけれど、何か引き付ける物があった。
そして、僕らにも出ないか?って声をかけてくれた。
僕らは、自分たちの実力も考えず、二つ返事。
今、考えてみれば自分たちが一番良い時間帯に出て、
観客が一番多い時間帯に演奏をしようという魂胆だったのだろう。
いわゆる前座として、僕らに演奏の機会を作ってくれた。
文化祭のみならず、その後は何故か武蔵野美術大学の文化祭でも
演奏する事になり、やっぱりその時も前座。
でも、人前で演奏して聴いてもらうということを教えてくれた先輩だった。
その後は、スキーに連れて行ってもらったり、バイトを紹介してもらったり
初めて食べたピザも、ダンキンドーナツも、そのバイト帰りだった。
先輩の取り巻きも含めて、みんな優しくて、いつも僕は引っ張りまわされていた。
無くなった坂大さんの家は、大きな五右衛門風呂があって
それに入れてもらうというだけの理由で、泊まりに行ったり
とにかく、先輩が卒業するまでの一年間で、物凄く濃い付き合いをした。
不思議なのは学科が違っていたこと。
当時、母校はデザイン、グラフィック、電気の3つの学科があったけど
学科同士の付き合いや交流は殆ど無かった。
ましてや、2年も上の先輩なんて、5年制の高専では大人と子供の関係。
そんなこともあって、この4人組は僕にとってレジェンドで
つい最近まで『死ぬ前にもう一度会いたい人』の一人だった。
先輩達は僕を暫く思い出せなかったみたいだけど、僕は憧れの先輩の
その当時のことを鮮明に覚えていて、先輩達がびっくりしたほど・・・・
人の巡り会わせって不思議です。
こういうのを運命って言うんだろうな・・・・
たまたま見たメールから、通夜に参列して40年ぶりに
そのレジェンド達と再会できたのは、皮肉にもそのメンバーの一人の葬儀。
結果的に僕にとってのレジェンド『黄色いかたまり』はもう二度と
復活できないバンドとなったことを知った一日でした。
この再会は本当に奇跡に近い再会だった気がする。
この人たちと知り合わなかったら、僕の人生はつまらない人生だったかも?