映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「サンセバスチャンへ、ようこそ」 ウディアレン

2024-01-21 11:14:26 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「サンセバスチャンへようこそ」を映画館で観てきました。


映画「サン・セバスチャンへ、ようこそ」は久々日本公開のウディ・アレン監督脚本のコメディ作品である。いろんな問題で干されているウディ・アレンだけれども,自分は大好きだ。新作をずっと心待ちにしていた。今回の舞台はスペイン,アメリカから映画祭に来ている映画の元大学教授が主人公だ。主演のウォーレスショーンは初期のウディ・アレン作品から出演している名脇役だ。自分にはルイマル監督「my dinner with Andre」の主演としての印象が強い。ここではウディアレン監督の分身のような存在だ。フランス,スペイン,ドイツの名俳優たちが脇を固める。

かつて大学で映画を教えていたモート・リフキン(ウォーレス・ショーン)は、今は人生初の小説の執筆に取り組んでいる。映画の広報の妻スー(ジーナ・ガーション)に同行し、サン・セバスチャン映画祭に参加。スーとフランス人監督フィリップ(ルイ・ガレル)の浮気を疑うモートはストレスに苛まれ診療所に赴くはめに。そこで人柄も容姿も魅力的な医師ジョー(エレナ・アナヤ)とめぐり合い、浮気癖のある芸術家の夫(セルジ・ロペス)との結婚生活に悩む彼女への恋心を抱き始めるが…。(作品情報引用)


久々ウディ・アレン作品に出会えてうれしい。
例によってウディ・アレン監督自らの分身とも言える男に独白させるシーンが多く,独りよがりなテイストが強い。その分身は映画祭に来ても現代の映画にはなじめない。妻の浮気を疑って悶々とする一方で診察を受けた女医に心をときめかして近づく。分身の主人公と一般人のセリフがかみ合わないのもいつも通りだ。ただ、ウディ・アレン作品らしくて良い。

それにしても,バックに映るサンセバスチャンの街の美しさに驚く。尋常じゃない。海辺の街並みが色鮮やかだ。デイヴィッドリーン監督の「旅情」のように観光案内的にバックの風景にこだわって映像コンテを作る。つい先日ブログアップした「ミツバチと私」も同じスペインのバスク地方が舞台だった。この映画は海辺が中心で、「ミツバチ」がの方だ。映画はいいね。簡単にはいけない所に連れて行ってくれる。

主人公の妻役のジーナ・ガーションはかつてポールヴァーホーヴェン「ショーガール」やウォシャウスキー姉妹「バウンド」のようなエロチックなテイストを持つ作品で存在感を示した。今でもフェロモンムンムンでボリュームたっぷりだ。浮気性の奥さんはフランスの人気俳優ルイガレルが演じる若き映画監督と逢引きをする。夫に関係を問われて、最初は「何もない」と言ったのに、「実は1回、いや2回」と思わず言ってしまうのが笑える。



診療所の魅力的な女医を演じるエレナ・アナヤはペドロアルモドバルの「私が生きる肌」「トークトゥハー」で主演を張った。解説を見るまでまったく気づかなかった。主人公はぞっこんになり、病気でもないのに仮病を使って強引に近づく。夫の浮気にわめき散らすシーンでは荒っぽいスペイン語だ。ペドロアルモドバルの映画を観てからずいぶん経つが、エレナ・アナヤは相変わらず魅力的だ。


ウォーレスショーンはハーバードとオックスフォードで学んだインテリだ。俳優でもあり、脚本家でもある。若い時からはげている。「死刑台のエレベーター」のルイマル監督「my dinner with Andre」は日本未公開だけど、アメリカの知識人に人気が高い1981年の隠れた名作だ。マンハッタンのレストランで繰り広げられるダイアログ観念的なセリフが続く。自分の高校の恩師から自ら翻訳した字幕付きのvideoを頂いて観た。むしろブ男の部類に入るウォーレスショーンもスペインで美人女優に囲まれさぞかしご満悦だったろう。

どんな映画がオススメと言われたウォーレスショーン演じる主人公は稲垣浩監督「忠臣蔵」と黒澤明「影武者」を薦める。これには驚く。薦められた方は唖然としていた。


最後に向けては、イングマールベルイマン監督の「第七の封印」の名シーンである死神とのチェスを再現する。ドイツのアカデミー賞俳優クリストフ・ヴァルツ死神を演じて主人公と一局指す。出てきた時には思わずゾクッとする。死神にチェスで負けたらあの世行きだ。他にも「男と女」「勝手にしやがれ」など古い映画などからの引用が多い。ベテラン映画ファンはその流れにすんなり入っていけるけど、若い人はわけがわからず戸惑うのでは?
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映画「ファーストカウ」

2023-12-26 06:08:47 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)

映画「ファーストカウ」を映画館で観てきました。

映画「ファーストカウ」は19世紀前半西部開拓途中のアメリカオレゴンでの出来事を描いた女性監督ケリー・ライカートの作品である。ケリー・ライカート監督作品は初めて、アメリカでは2019年に公開されている。普通だとスルーのパターンだが、評論家筋の評判が良い。他にイマイチな作品ばかりなので選択する。

 

オレゴンの田舎町に、料理人のクッキー(ジョン・マガロ) と中国人のルー(オリオン・リー)が流れ者のように来て毛皮業に足を突っ込む。気のあった2人は何か商売をやろうと企んでいた。

仲買人のファクター(トビー・ジョーンズ)が購入した一棟の乳牛に注目して、こっそり乳牛から乳をとり、材料を混ぜ合わせてお菓子にする。市場で売り出すと、おいしいと評判になり連日行列だ。うわさを聞きつけ乳牛の持主の仲買人も買いに来るのであるが。。。

 

評判ほど大きな感動は特になかった。

確かに独特のムードは悪くはない。でも、題材がある種の「泥棒」なので、潔癖症が多い日本人でも自分にその自覚のある人は見ない方がいいだろう。泥棒行為が見つかるかどうかの話に過ぎない。同じような題材を中世や近世以前の日本を舞台にしても作れる話だ。映画の結末を「寛容」という一言で片付ける評論家の神経を疑う

 

開拓途中のオレゴンといっても、よくある西部劇に出てくる町の域に達していない。もっと原始的だ。一時代前の西部劇だと、原住民と開拓民の対決がテーマだった。ここでは共存共栄で生きている。一世紀時代はズレるが、マーチンスコセッシ監督「キラーズオブザフラワームーン」に出ていたリリーグラッドストーンが似たような役柄で出演している。

 

コンビを組んだ2人は身寄りもなく金もない。前半はかなり沈滞しているムードだ。

気がつくとウトウトしてしまう。

色んなアイデアを2人が思いつくけど、実現不可能となった時にクッキー(ドーナツと言ってもいい)を作ることを思いつく。ここからは話が引き締まってくる。目がシャキッとして飽きのこない展開にかわる。

 

深夜に牛のいる邸宅に忍び込んでも誰も気づかない。乳を絞られるは大きな鳴き声を出さない。静かだ。こっそりととった乳をベースにドーナツをつくって市場で売ると大ウケだ。誰もがおいしいと言って行列もできる。材料は?と聞かれて、中国の秘伝として乳牛の乳とは当然言わない。2人はもっと儲けてやろうと、連日深夜の乳とりを欠かさない。

そうしているうちに、牛の所有者の仲買人が噂を聞きつけ、食べに来る。故郷英国の味と似ていると大喜びで、屋敷に招待してブルーベリーを混ぜたお菓子をつくる。そろそろ潮時かと思っても、やめない。そこでミスが起きる。バレてしまうのだ。

実はそれだけのストーリーだ。

ただ、中国でも北部出身のルーが広州からの貿易船に乗って、ピラミッドを見ながら欧州経由でアメリカに向かうセリフの事実がありえるとは思えない。映画作品情報記載の1820年代にスエズ運河は当然ない。1840年のアヘン戦争前の中国は世界中から開国と自由貿易を迫られてもびくともしない時代だ。こんな中国人がいるのかな?と思ってしまう。最近のアメリカ映画は人種を均等に入れることにこだわりが強い。アジア人を強引に入れ込む結果として不自然な設定になったのでは?

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映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」 ティモシーシャラメ

2023-12-12 05:06:17 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」を映画館で観てきました。

 映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」「チャーリーとチョコレート工場」ジョニー・デップが演じた工場主ウィリー・ウォンカの若き日の物語である。メジャーへの道を歩んでいるティモシー・シャラメがウォンカを演じる。監督はポール・キングだ。

テイムバートンの長いキャリアの中でもジャックニコルソンがジョーカーを演じた「バットマン」と同じくらい「チャーリーとチョコレート工場」が好きだ。それだけに、監督と主演が代わってどんな作品になるか楽しみだった。ミュージカルの要素も強いようだ。ファンタジー系を観ることは少ない。今回はと観に行く。

ウィリー・ウォンカ(ティモシー・シャラメ)は亡き母(サリーホーキンス)との約束、「世界一のチョコレート店を作る」という夢を叶えるために、チョコレートの町にやってきた。彼が作る魔法のチョコは、瞬く間に評判に。しかし、それを妬んだ町のチョコレート組合3人組に目をつけられてしまう。

強欲な宿の主人(オリヴィア・コールマン)や小さな紳士ウンパルンパ(ヒュー・グラント)にもひどい目にあわされる。以前からマダムに働かされている人々や孤児の少女ヌードル(ケイラ・レーン)の助けでチョコレート作りをひっそりとおこなう。

単純なファンタジーストーリーだけど、歌と踊りをちりばめて美しく楽しい映像を見せてくれる。色彩設計も楽しめる。
「チャーリーとチョコレート工場」ティムバートンらしい悪夢の世界が映画に漂っていた。ジョニーデップ演じるウィリーウォンカ変わり者の謎の経営者であった。ティモシー・シャラメという日本流で言えばジャニーズ系の人気者を起用して、めっきり明るくなった。

ウォンカにアクの強さはない。毒の要素は、あくまでライバルチョコレート店の3人の店主とホテルオーナーに転化している。悪夢の世界もいいけど、好青年のイメージをもつティモシー・シャラメには似合わない。前回イヤミな少年少女もいたし皮肉めいた部分があったけど今回はない。子どもが観ても十分楽しめる。


映画を観ていて、次から次へとアカデミー賞級の英国の名優が登場するのに驚いた。しかも、悪役を押しつける。思わず、この作品が英国製作の映画でティモシーシャラメも英国俳優だったっけと思ったくらいだ。オリヴィア・コールマン「女王陛下のお気に入り」自体が、普通ではない女王様だし、今回の悪役ぶりが似合う。本年公開の「エンパイアオブライト」では若干の変態要素を持っていた。ひと癖ある役柄をこなすのはさすがオスカー女優の貫禄である。


逆にサリーホーキンスはウィリーウォンカにとって今は亡き優しいお母さん。彼女も個性的な役柄を演じることが多いけど、今回は割と普通だ。主演作「ロストキング 500年越しの運命」は本年公開作品の中でも自分のベスト上位である。目標に向けてひたむきに進む女性だった。今回はひたむきさは息子のウィリーウォンカに譲る。


加えて、久々に元ラブコメディの帝王ヒューグラントを観た。個人的に左利きのゴルフプレイヤーであるフィルミケルソンに似ていると思っていたけど、今回は小人でわからないなあ。この振る舞いだけは観ていて退屈になる。途中で味方だか敵だかわからないけど、最後は味方。あとはおかしな神父になりきるミスタービーンことローワン・アトキンソンが登場する。ただ、彼独特の個性が見せつけられる時間が少ないのは残念。それにしても、英国の主演級をよくかき集めたものだ。
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映画「マエストロ レナードバーンスタイン」 キャリーマリガン&ブラッドリークーパー

2023-12-10 18:12:16 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「マエストロ その音楽と愛と」を映画館で観てきました。


映画「マエストロ」はブラッドリークーパーが名指揮者かつ作曲家であったレナード・バーンスタインを演じたNetflix製作の新作で自らメガホンをもつ。マーラーの5番がバックで流れるモノクロの予告編のセンスがよく、キャリーマリガン演じる妻との語り合い場面がよく見える。予告編を観れば、説明がなくても、ブラッドリークーパーがレナードバーンスタインを演じているのがわかる。そっくりになるようにメイクしている。

このブログに登場する回数は、ブラッドリークーパー,キャリーマリガンともに奇遇にも11回目である。2人ともメジャーに這い上がってきた。もちろん2人の共演は初めてである。

1943年カーネギーホールのコンサートでブルーノワルターの代役としてニューヨークフィルの副指揮者だったレナードバーンスタイン(ブラッドリークーパー)が代役を務めることになりキャリアが開ける。ユダヤ系の父をもつバーンスタインはミュージカルの作曲家としても活躍していた。ホームパーティで妹の友人のチリ出身の俳優フェリシア(キャリーマリガン)と知り合い恋に落ちる。

時は流れ、レナードバーンスタインは名声を高め、フェリシアとの男1人、女2人の子どもが大きくなっていた。一方で仕事仲間の男性とバーンスタインが接近している姿を見てフェリシアはいい顔をしていない。世間でもバーンスタインの男色系の噂が流れるようになっていた。

レナードバーンスタインのウラの一面をクローズアップする。
想像以上に見どころが多く、十分堪能できた。

音楽ファンはNetflixで見れるとケチらずに映画館の大画面で観るべきであろう。


センスの良い予告編を見るだけでは、50年代のモノクロ映画のような肌あいだと思っていた。レナードバーンスタインの若き日をモノクロで、中年以降をカラーの画面で見せてくれる。カラーの画面自体も解像度を落として70年代の映画を思わせるトーンだ。映し出す建物のオーセンティックなインテリアがゴージャスで、ロケハンにも成功して背景も美しい。コンサートホールも皆タキシード姿で正装だ。


演奏や舞台の場面は当然すごいが、1番の見どころは、キャリーマリガンとブラッドリークーパーのトークの絡み合いである。掛け合いがリズミカルでまさに職人芸の域だ。若き日のラブトークだけでなく、結婚倦怠期での罵り合いと両方である。さすがアメリカの超一流俳優の共演だと思わせる。エンディングロールのクレジットトップはあえてだと思うが、キャリー・マリガンである。闘病シーンも巧みに演じる。

映画ではバーンスタインのバイセクシュアルな振る舞いに触れる。若き日のレナードバーンスタインのところへ、ニューヨークフィルの音楽監督のロジンスキーから臨時指揮者依頼の連絡がある。その時、バーンスタインは裸で男性とベッドを共にしている。その場面を観て、初めてバーンスタインにゲイの要素があることを知る。それが、映画のストーリーを追うごとにエスカレートする。今と違って同性愛がタブーとされた時代だ。当然、妻のフェリシアの苦悩を追っていく。

映画で流れる曲の数々は,ブラッドリークーパーが選曲したという。センスある選曲だ。予告編で流れるマーラー5番は一度だけ。「ウエストサイドストーリー」もあの緊張感あふれるプロローグだけだ。

ミュージカルの場面やコンサートホールで指揮する場面もあっても、女性のオペラ歌手を従えてオーケストラを指揮する場面がこの映画の一番のハイライトであろう。レナードバーンスタインを意識したブラッドリークーパーの大げさな指揮ぶりも迫力がある。前半、ブラッドリー本人が連弾でピアノを弾いている場面が出る。リアルに鍵盤を叩いている。音楽的素養を感じた。


自分がクラシックを聴くようになった70年代前半の中学生の頃、レコード店のクラシックのコーナーでは,カラヤンのポスターがやたら目立ったものだ。それに対抗してCBSソニーがレナードバーンスタインを徹底的に売り込んでいた。4チャンネル録音のレコードもあった。

中学の同級生に高校生の兄貴がいて、マーラーが大好きだった。友人の家に行った時兄貴がレコードコレクションを説明してくれて影響を受けた。マーラーの指揮者はレナードバーンスタインだった。その兄貴は添削のZ会のペンネームもマーラーにしていた。映画「ベニスに死す」でマーラーの5番が全面に流れた後で、高らかに鳴り響くレナードバーンスタイン指揮のマーラーの交響曲を聴いたものだ。


映画の作品情報で、「ウエストサイドストーリー」の作曲家として紹介されているのに驚く。あの当時、超有名指揮者のレナードバーンスタインウエストサイドストーリー作曲していたという事実に逆に驚いた。ただ、「ウエストサイドストーリー」版権だけでバーンスタインは一生金には困らなかったそうだ。

指揮者の岩城宏之は追悼文で「ウエストサイドストーリー」について
「対位法やフーガなどのあらゆる作曲技法といい、音楽的ハーモニーの複雑な使い方といい、あの曲はびっくりするほど高度なものを盛り込んでいる。おそろしく高度な作曲技法を使っていてびっくりした。」(岩城宏之 文藝春秋1990年12月号)と大絶賛だ。
50年の時を隔ててレナードバーンスタインの伝記を観れたことがうれしい。
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映画「ナポレオン」 ホアキンフェニックス&ヴァネッサカービー&リドリースコット

2023-12-03 20:07:10 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ナポレオン」を映画館で観てきました。


映画「ナポレオン」はリドリースコット監督がホアキン・フェニックス主演でナポレオンの生涯を描いた新作だ。予告編からスケールの大きい映画だと想像できる。戴冠式のシーンもあるようだ。初めてパリのルーブル美術館に行った時、ダヴィッドが描くナポレオンの戴冠式の絵がもつ迫力に圧倒された。幅が約10mと巨大で、名作の多いルーブルで最も感動した。ずっと目の前にいて唸っていた。


高校の授業でナポレオンのことを習った記憶がない。大学受験で世界史を選択していたので、フランス革命からウィーン会議にかけての出来事はこまかく暗記した。なじみのある名称の事件や戦争が続くが、映像で観るのは初めてかもしれない。ホアキン・フェニックスとの相性はいい。期待して映画館に向かう。

映画はマリー・アントワネットギロチン処刑からスタートする。ナポレオンも処刑場にいたことになっている。軍に入隊して、トゥーロンで英国軍を撃退して戦功をあげた後、ジョセフィーヌとの出会いや国内の内乱に絡むナポレオンを映す。エジプト遠征へ向かった後、国内のトップに上り詰めた時の戴冠式、ロシア、オーストリアとのアウステルリッツの戦いなど歴史をつないでいく。運命のロシア遠征のあと、エルバ島の島流しから復活して、いわゆる百日天下でのワーテルローの戦いとセントヘレナへの島流しまで約2時間半で映し出す。


86歳のリドリースコット監督によるスケールの大きい見事な作品だ。
戴冠式は別として、世界史でただ暗記していただけの事件が実際に映像になっていて、すんなり頭に入っていく。ともかく、戦闘場面の迫力がすごい。これも一部VFXとか使っているとは思うが、実際に颯爽と馬が走り、ぶつかり合う。圧倒される。音楽も実に的確に感情を揺さぶる。これもすばらしい。あとは、ジョセフィーヌへの愛情については、自分は知らなかったので興味深く見れた。

⒈人間味あふれるナポレオンとジョセフィーヌ
ナポレオンが戦功をあげて上流社会を垣間見るようになった時、ジョセフィーヌを見染める。愛人で子供もいたジョセフィーヌに一気に引き寄せられる。そこで見せるナポレオンは、自分の知らないキャラクターをもつ人間ナポレオンだ。ホアキン・フェニックスが巧みに演じる。単純にナポレオンの喜怒哀楽を示す。頑張って?も、ジョセフィーヌとの間にお世継ぎが生まれない。ナポレオンはずっとヤキモキする。バックでいたす場面とかもでてくる。この焦りが前面に現れる。

この映画は比較的セリフが少ない。だからといって、観客にむずかしい解釈能力を必要とさせる映画でもない。革命以降の基本的フランス史がわかれば、映像で理解できる。ジョセフィーヌ役のヴァネッサカービーは適役だと思う。男女の駆け引きを知る恋多き女のイメージにピッタリだ。「ミッションインポッシブル」をはじめとして、いくつかの映画で観たイメージと今回は通じる。


⒉戦闘場面の迫力
ナポレオンが名をあげるトゥーロン要塞の英国軍撃破から軍事の天才ぶりを示す。作戦のアイディアが次から次へとうまくいく。何から何までうまくいく場面を見せるのは痛快だ。

そして、アウステルリッツの戦いだ。雪の中、戦場を映す。静かな雪景色はきれいだ。相手のオーストリア兵の動きを見て的確に指示を出すナポレオン。雪に向かって撃った大砲は雪の下の湖(川?)を露わにする。凍った水面に落ちる兵士たち。そのそばを大量の馬も走っている。こんな面倒な水中シーンよく撮ったな。兵士役の俳優たち大丈夫だったかなと気になるくらいだ。


⒊侮ったナポレオンとロシア遠征
ナポレオンは常にロシアを意識している。アレクサンドル1世の動静を気にしているのが映画でもわかる。トルストイの「戦争と平和」はまさにこの時代を描いた大作だ。

1812年のロシア遠征で失敗して、ナポレオンが勢いを弱めるのはあまりにも有名だ。モスクワからの退却で冬将軍には敵わなかった。映画でも物資補給がうまくいっていない場面がでる。日本軍の末期も補給がなく、ドツボにはまるのは同じだ。


クラウゼヴィッツの戦争論でも、ナポレオンの戦いについての言及がある。
「1812年にナポレオンがモスクワに向かって進軍したとき、その戦役の主眼とするところは、アレクサンドル皇帝に和を乞わしめるにあった。。。たとえモスクワに到るまでにナポレオンの得た戦果がいかに輝かしいものであったにせよ、しかしこれに脅かされてアレクサンドル皇帝が講和に追い込まれたかは依然として確実でない。」(クラウゼヴィッツ戦争論上 篠田訳 1968p.229)

諸国に対するナポレオンの脅威が徐々に弱まり、直前の戦争の時と同じのようにあっさり講和してくれなかったということだ。これが思惑に反したのと同時に、退却で損害を受けその後ナポレオンの尊厳がなくなる。

⒋ワーテルローの戦い
往年のベストセラーで渡部昇一「ドイツ参謀本部」という本があった。若き日に読んだが、おもしろくて常に書棚に置いている。この中でナポレオンの戦いに言及している。
エルバ島を脱出したナポレオンが皇帝に復帰してワーテルローの戦いに臨む。その時、ウエリントン率いる英国軍と戦う前にプロイセン軍と何度も戦って勝っている。
渡部昇一の本によれば
「プロイセン軍は敗戦が命取りにならないうちに巧みに退却するのである。外見では敗戦であるが,退却している方の指揮官と参謀長は敗戦だと思っていないことを,ナポレオンはどうも最後までわからなかったように見える。」(渡部昇一 ドイツ参謀本部1974 p.85)

「プロイセン軍はウェリントンと連合作戦を取りやすい方向に向かって兵を引いたのである。。。以前のナポレオン戦争では,戦場の敗者は敗残兵だったが,今やそれは整然たる戦場撤退軍に変わっているのだ。」(渡部1974 p.88)

「フランス軍はワーテルローに陣取ったウェリントンに猛襲を加えた。。。午前11時半ごろから夕方まで繰り返して押し寄せるフランス軍の攻撃をよく持ち堪えたのである。その戦線は突破される寸前だった。その時,予定のごとくプロイセン軍が右手の方から現れてきたのである。」(同 p.89)

まさにこの映画でプロイセン軍が援軍として押し寄せてきたときである。

「一昨日の戦場の敗者は,ほとんど兵力を減じないで猛攻に出てきたのである。ワーテルローの戦いでナポレオンの軍隊は戦場の敗者であるのみならず,まったくの敗残兵になった。戦場で敗れても整然と引き上げると言う事はナポレオンの辞書にはなかった。彼は戦場ではほとんど常に勝っていたのだから。」(同 p.90)

若き日に初めてこの本を読んだとき,この場面を読んでゾクゾクした。天才ナポレオンがこのように敗者となったのかと感嘆した。そのゾクゾクした場面を実際に映画「ナポレオン」では映像にして見せてくれるわけだから興奮しないわけがない。しかもすごい迫力である。この映画を見て本当に良かったと思った瞬間であった。
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Netflix映画「ザ・キラー」デイヴィッド・フィンチャー&マイケル・ファスベンダー

2023-11-11 17:30:05 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
Netflix映画「ザ・キラー」はデイヴィッド・フィンチャー監督の新作


Netflix映画「ザキラー」デイヴィッドフィンチャー監督によるアクションサスペンス映画である。主演の殺し屋はマイケル・ファスべンダーが演じている。Netflixはちょこちょこ覗いてはいるが,新旧ともになかなかいいのにぶち当たらない。これぞという作品だけブログアップしている。今回は巨匠デイヴィッド・フィンチャー監督作品でもあり,映画館でも公開もされている。別にケチるわけではないが, Netflixで早い時期に見れるならと直行してしまう。

デイヴィッド・フィンチャー監督作品は「セブン」「Fight Club」「ソーシャルネットワーク」「ゴーン・ガール」などの映画史に残る粒ぞろいの傑作ばかりである。Netflixに供給している監督の中でも格上といえよう。ただ、前作のNetflix映画「マンク」はそんなに好きになれなかった。

パリの高級ホテルのスウィートルームにいる富裕層の男女がいる部屋を反対側建物の空き部屋から望んでいる殺し屋(マイケルファスベンダー)がいる。標的を狙ったが,ミスってそばにいた女に当たってしまう。その場を退散して,警察をまきながら飛行機に乗ってドミニカに戻る。すると家族がいる隠れ家が見つけられて襲撃されていた。そうして、今回の依頼者及び家族を始末しに来た殺し屋などの元へ向かう話である。

夜の背景の中で、スタイリッシュに殺し屋を描いている。
デイヴィッドフィンチャー監督のこれまでの作品と比較すると,今回は長編作家が気の利いた短編小説を書いたような肌合いだ。大リーグ出身者が多いことで名前は聞いた事はあるが,これから一生行く事はないだろうドミニカ共和国の映像が出てきたりしてワールドワイドで映画は展開する。


実際には無口な殺し屋だけど,映画ではひたすら続くマイケルファスベンダーの独白がメインである。
「計画通りにやれ」「予測をしろ。即興はダメだ。」「感情移入はしない」と殺しに入る前に自らの計画を崩さないような独り言のナレーションが続く。ビジネスの啓蒙セミナーで講師が語っているみたいな言葉だ。大リーグ最後の4割打者テッドウィリアムズの通算打率は3割4分4厘だったけど,自分は10割だと言いきっていた。これまでずっと成功し続けてきたのにちょいミスをしてしまう。殺しの依頼者にはニアミスでは済まされない。逆に追われる立場だ。


相手は手強い。そう簡単には思い通りにはならない。それでも,スタイリッシュに切り崩していく。ただ,最後の場面,こういう形で終えるのはどういうことなのか?余韻も残したまま映画は終わる。Netflixで二回振りかえるほうがいいかも。1回見ただけでは内容を誤解してしまっていた。。映画館原理主義者には異があるかもしれないがディテールをじっくり振り返りながら、用意周到なキラーのパフォーマンスを家のNetflixで追った方が良い。

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映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」 レオナルド・ディカプリオ&ロバート・デニーロ

2023-10-23 07:49:53 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「キラーオブザフラワームーン」を映画館で観てきました。


映画「キラーズオブザフラワームーン」マーティンスコセッシ監督の最新作で、レオナルドデカプリオとロバートデニーロ主演という超豪華メンバーだ。マーティンスコセッシは80になるのに創作意欲が衰えない。3時間を超える上映時間に腰が引けるが、これは観るしかないでしょう。予告編でアメリカの先住民がからんでいるストーリーであることはよめたが、先入観なく映画館に向かう。自分が子供の頃に見た西部劇ではまだインディアンが悪者になっていた。まあ、最近では絶対ありえない話だ。

時代背景は第一次世界大戦が終わったあとの1920年代前半である。石油が発掘されて、一気に大金持ちになるアメリカ先住民がいたなんて話は初めて知る世界だ。しかも、それに目をつけるカネ欲しさの白人が町にたむろうという話もアメリカ史の暗部だろう。興味深くストーリーに入っていける。


第一次世界大戦の復員兵アーネスト(レオナルドディカプリオ)は、オクラホマ州の叔父ヘイル(ロバートデニーロ)を頼って移り住む。先住民のオセージ族は石油が発掘できたおかげで豊かに暮らしている。白人たちは石油の受益権を目当てに先住民の女たちと結婚するものもいた。アーネストはオセージ族のモリー(リリー・グラッドストーン)と惹かれあい結婚して子供もできた。ところが、オセージ族の女たちが次々と病気で亡くなったり、殺されたりする事件が頻発する。何かおかしいのではとワシントンから捜査当局が調べに入ってくるのだ。


重厚感のある映像が堪能できる。
ストーリーの内容はわかりやすい。説明口調になっているわけでないのに、登場人物のセリフを聞いているとぼんやり内容がわかってくる。観客には比較的親切な映画だ。現代と比較すると、1920年代だと医学は進歩していないと思うけど、先住民たちが次々に亡くなっていく。どこかおかしい。徐々に白人たちの企みの様子がつかめてくる。ファミリーなのにお互いに猜疑心が強くなっていく。

妻のモリーは糖尿病だ。当時世界中探してもあまりなかったインスリン注射の処方を受ける。でも、良くならない。夫のアーネストが勧めても注射を拒否するようになる。モリーに疑惑の気持ちが生まれてくるのだ。ジワリジワリと不安の度合いが進む。歴史上の事実に基づいてはいるんだろうけど、ヒッチコック映画的な不安をかき立てる要素もある。わかりやすく時間をかけて映像は進む。


それにしても、演技の水準が高い。ずっとディカプリオの映画を追っているけど、現役俳優では最高レベルだと思う。いわゆる二枚目の役柄ではない。どこかヤバさや欠点をもった役柄を演じている。今回もあえて自ら役柄を代わったようだ。適切な行為だと思う。自分的にはクエンティンタランティーノ監督「ジャンゴ」での農園主の怒り狂ったパフォーマンスが頭から離れない。

ロバートデニーロ貫禄は長い間映画界に居続けたからこそのものだ。ディカプリオとの共演は久々だという。意外に思った。町を仕切るまとめ役で善人そのものに見えるけど裏がある。まさに黒幕だ。リリー・グラッドストーンも良かった。わるいことを考えている白人たちの一方で、地道に生きる先住民の女性だ。今回、その母親をはじめとして無表情に近い先住民役の人たちがでていた。映画のリアル感を高めるには必要な存在であった。


小学生時代「じゃじゃ馬億万長者」なんてTVでアメリカのコメディドラマをやっていた。同じように石油あてて億万長者になった田舎の家族の物語だった。でも全然違う。笑いを誘う場面でも悪さするやつらがいて気が抜けない。先日観た日本映画「福田村事件」とほぼ同時期の出来事である。この時代にはこうやって殺し合う世界がまだ前近代をひきづっていたような気がする。ロビーロバートソンの音楽もこの映画のムードにあっていた。亡くなったことは映画を観た後初めて知った。「ザ・バンド」時代からのファンなので残念に思う。
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映画「シアターキャンプ」ニック・リーバーマン&モリーゴードン

2023-10-07 07:19:34 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「シアターキャンプ」を映画館で観てきました。


映画「シアターキャンプ」はアメリカのモキュメンタリー映画(疑似ドキュメンタリー)である。夏休みに子供たちがキャンプ地に集まって演劇の練習をしてミュージカルを上演するまでを描く。theaterという英単語を見ると、劇場という訳しか思いつかないが、辞書を見ると演劇の訳がある。実際にアメリカではこういう演劇キャンプが運営されているようだ。

ニューヨーク郊外の湖畔のキャンプ地で、夏休みに子供たちが演劇の合宿をして1つの舞台を仕上げるために集合する。ところが、スタッフを束ねる女性校長が突然倒れる。校長の息子トロイ(ジミー・タトロ)が代わりにリーダーシップを取ろうとするが、演劇には素人で参加者たちは無視。でも、音楽、演劇、ダンスの講師たちは変人ぞろいだけど、子供たちからは絶大な信頼がある。それぞれの指導のもと練習に励む。

しかし、このシアターキャンプの懐事情は最悪で、金策にも失敗し続ける。差し押さえ目前である。投資ファンドも買収にきている。窮地を脱するためには発表のステージでいいショーを見せて投資家から出資してもらうしかないのだ。


構成力と編集力に優れたモキュメンタリー映画だ。
製作・脚本のニック・リーバーマン監督と音楽講師役で監督も兼ねるモリーゴードンを含めて4人で練って製作した作品だ。かなりの準備期間を経て、19日で撮影を完了したという。練ってつくられたストーリーを前提にしたモキュメンタリーとはいえ、実際に子どもたちが集まって個性的な演劇指導者の指導を受けて鍛錬に励む。全般に流れるムードはコミカルだ。


子どもたちはマジだ。本気でいいミュージカルをつくろうとしている。演技というレベルを超越する。それぞれの歌も上手い。講師の演技指導に対する不満など本音も次から次に発せられて、真剣勝負と言ってもいいのではないか。


この映画は90分台に簡潔にまとめられている。子どもたちが演技で動いているシーンとミュージカルをいい作品にしようとリアルに行動している部分と両方をうまく混ぜ合わせる。人間関係が複雑で揉め事の多い大人の一方で無邪気に行動する子どもたちがカワイイ。この19日間にはかなりの量の映像が撮影されたはずだ。それをテンポよくリズミカルな構成にまとめる。構成力と編集力に優れているという理由だ。お見事な仕事といえよう。
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映画「グランツーリスモ」ヤン・マーデンボロー

2023-09-17 04:47:03 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「グランツーリスモ」を映画館で観てきました。


映画「グランツーリスモ」ソニープレイステーションのレーシングゲームの名手が実際にカーレースに挑戦するというストーリーだ。監督はニール・ブロムカンプだ。予告編で内容を知り、観てみたいと公開を待ち望んでいた。ゲームにはまったく関心がないので、「グランツーリスモ」なんてシミュレーションゲームシリーズがあるなんてことは知らない。しかも、実際にゲームの名手が本物のカーレースに挑戦するなんて話も知らなかった。自分はゲームセンスがないので、こういうゲームに挑戦するとすぐにクラッシュする。リアルだったらあの世行きだ。どんな感じか観てみたい。

英国のプロサッカー選手の息子ヤン・マーデンボロー(アーチー・マデクウィ)は、SONYのレーシングシミュレーションゲームのグランツーリスモが好きで、ゲームの名手が競い合う大会に出場して優勝する。SONYと日産が組んでGTアカデミーというレーシングドライバー育成プログラムがあり、ゲームの名手が10名集められる。


日産のプロジェクトリーダーであるダニー・ムーア(オーランド・ブルーム)は元レーサーのジャック・ソルター(デヴィッド・ハーバー)の協力を取り付けて、本物のレーシングドライバーになるために育成する。そして10名から5名に絞って実際にレースを行い、ヤンが代表になった。
ヤンは日産のレーシングチームのレーサーとしてレースに出場する。最初は完走がやっとの状態だったが、徐々に順位を上げていくようになる。


普通の外国映画だと思って観に行ったが、予期もせず日本が取り上げられているのに驚いた。
結局日産とSONYが組んでレーシングドライバー育成プロジェクトを作った訳で、当然実名で出てくる。この両社にとってはこの映画は良い宣伝になっただろう。東京の繁華街でのロケや横浜の日産本社も何度も出てくる。日産の協力なくして、この映画は製作不可能であろう。でも、エンディングロールにそれらしき文字は見当たらなかった。


レーシング場面は迫力ある。
特にルマン24時間レースのシーンはなかなか良かった。名作「男と女」を思い出す。いったいどうやって撮ったんだろうと思わせるシーンが多い。ドローンを使っているのか?空中からサーキット会場やレースを俯瞰して映し出すカメラワークが目立つ。世界中のサーキットを転々とするわけで、エンディングロールをみると、それぞれの国でのクルーの名前が出ている。その場に行って撮ったのかと思うとカネが随分かかっているなと思う。あと、サーキット会場にいる満員の観客は本物なのか?VFXでの加工なのだろうか?


ただ、カーレース中心に描いたこれまでの傑作「フォードフェラーリ」「ラッシュ」ほどの感動はなかった。当然、出演俳優の格の違いはある。人間ドラマとして比較すると、主人公ヤン・マーデンボローや指導者ジャック・ソルターの魅力が薄い。加えてライバルとの葛藤が弱いヤン・マーデンボローのライバルはレーシングドライバーとして選ばれた時のライバルとレースに出るようになってからのライバルの両方いる。インパクトがあまりなかった。特にレース上のライバルのレベルが低すぎる。


とは言っても娯楽作品としてはそれなりには楽しめた。ヤン・マーデンボロー自らスタントドライバーとして参加しているのはすごい。
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映画「アステロイドシティ」ウェスアンダーソン

2023-09-08 20:07:19 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「アステロイドシティ」を映画館で観てきました。


映画「アステロイドシティ」は奇才ウェスアンダーソン監督が1955年の砂漠に囲まれたある街での出来事を描いた新作である。独特の色彩感覚で目にはやさしいウェスアンダーソンの作品は正直なところ苦手である。想像力豊かなのはわかるけど、意味がわからずついていけないことが増えてきた。たぶん今回もそうかもしれない。

でも、俳優陣がいつもの常連に加えてトムハンクスにスカーレットヨハンソンまで加わり超豪華だ。10億単位のまともにギャラを払ったら破産しそうな俳優だ。ウェスには主演級をこれだけ集めるだけの人徳があるのだろう。怖いものみたさ的な感覚で映画館に向かう。


1955年、砂漠の真ん中にあるアステロイドシテイという人口100人もいない小さな町が舞台だ。色んなエリアから優秀な子どもと共にいくつかの家族が集まっている。

作品情報を引用しても良いが、どうも観た映画と結びつかない。
宇宙人が集会の中に訪れるのはわかるけど、その後もピンと来ない。

相変わらず色彩感覚にすぐれているが、さっぱりわからない映画だった。
それなりに観客はいたけど、この映画の意味が理解できる人っているのかしら?と感じてしまう。宇宙人がでてきてもSFといった展開ではない。ウェスアンダーソン監督が脳内で書き出したアイディアをそのまま映画のストーリーにしたのであろう。ウェスの想像力が豊かなのはわかっても自分の頭脳の理解度を超越する。ただ、ソフトな肌合いのビジュアル設計は抜群である。美術、衣装を含めて細やかな色彩設計で1950年代の雰囲気がこちらに伝わる。そういう雰囲気を観る映画なのかなあ。


時はマッカーシー旋風が吹き荒れた後で、アイゼンハワーが政権をとっている。1953年に朝鮮戦争休戦に入りつかの間の平和が訪れ、徴兵覚悟の男性諸氏もひと安心。スターリンは1953年に死亡したが、米ソ冷戦で水爆開発を競い合う時期である。アメリカで大ヒットなのに日本で公開されない映画「オッペンハイマー」の張本人は水爆反対派で陰謀に巻き込まれる。宇宙開発の争いはまだ先だ。1955年とは時代設定に比較的平穏な時期を選んだものだ。

ティルダ・スウィントン、エイドリアン・ブロディ、エドワード・ノートン、ウィレム・デフォーというあたりがウェス作品の常連だな。珍しく出てないのがビル・マーレイとオーウェン・ウィルソンで、今回はどうしたんだろう。


女優役のスカーレットヨハンソンが窓際で肘をつく顔がいい感じだ。ウェスアンダーソンの盟友というべきジェイソンシュワルツマンとお互いに窓を隔てて会話をしている。カメラ片手に何かを話すが、意味はわからない。ただ、気がつくとスカーレットヨハンソンが裸になって、鏡ごしにフルヌードが観れるのは得した感じだ。トムハンクスは、本当に脇役だ。いつもと違いまったく存在感がない。いつも通りの活躍をするティルダ・スウィントン以外の常連たちは普通にみえる。感想には困る映画だ。
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映画「福田村事件」 森達也&井浦新&東出昌大

2023-09-04 21:35:21 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「福田村事件」を映画館で観てきました。


映画「福田村事件」は1923年(大正12年)9月の関東大震災直後に千葉県福田村で起きた事件をもとに森達也監督がメガホンをとった作品である。関東大震災直後に、朝鮮人が暴動を起こすという噂が流れて、惨殺された話はよく聞く。ただ、どこまで真実かな?と思う。いつものように左翼系の連中が流している噂のように感じていた。

しかし、とんでもない事件が震災後に千葉で起きていた。福田村の住人からなる自警団が、旅まわりの薬売りを朝鮮人の集団と勘違いして殺してしまうという悲劇が起きていたのだ。日本人が香川県から行商にでていた日本人を言葉がおかしいから朝鮮人だと決めつけて殺してしまったのだ。ビックリした。この事実から色んなことが言える。朝鮮人を偽りの正義心で惨殺したのはあり得るなと。

福田村で生まれ育った後に、教員になって日本領だった朝鮮に渡っていた澤田智一(井浦新)が妻静子(田中麗奈)を連れて故郷に戻ってきた。同級生の村長(豊岡功補)や昔の仲間も迎えてくれた。教員になって欲しいという村長の希望を断り、農業に従事することになる。福田村では、閉鎖的な村の中で長谷川(水道橋博士)率いる軍人会が仕切っている。シベリア出兵で夫が戦死した未亡人咲江(コムアイ)は出征中船頭の倉蔵(東出昌大)と不倫関係にあったり、その倉蔵に帰国したばかりの妻静子が言い寄ったり男女関係は入り乱れていた。


一方、四国の讃岐から親方(永山瑛太)を中心とする薬売りの行商の一団が関東に向けて出発しており、利根川を越えていったん福田村で商いをした後で野田の町に入っていた。その時、関東大震災が起きる。大惨事が起きたあといったん野田の宿で待機するが、数日経ち一団は利根川を渡って移動しようと、船頭の倉蔵と交渉する。その運賃で揉め事が始まる。


後世に伝えるべき真実をあらわにした。意義があると思う。
福田村事件については、一部証言者はいても、本当の現場でのやりとりはわからない。藪の中だ。ただ、10人もの香川県から来た日本人の薬売りの一団が殺されたのは事実だ。ドキュメンタリーを得意とする森達也監督は殺害現場におけるやりとりを類推して描いた。迫力がある場面である。映画の後半はそれぞれに熱のある演技で特によくできている。

森達也監督は、事件に至るまでの福田村の住人の物語が基本的にフィクションだとインタビューで述べている。であるから、朝鮮から帰郷した主人公も人妻と不倫する船頭架空の人物だ。前半では大正時代の村落の人々たちの性的な欲望を描く。この映画には荒井晴彦が絡んでいるし、若松孝二監督作品にも見られる田舎社会での男女関係が入り乱れた映画の色彩をもつ。ただ、エロ表現の一線は越えない。男性だけど、たくましい肉体で東出昌大エロチズムの匂いをだす。適役だ。


閉鎖的な村で、村の中がドロドロしてという映画は別に日本だけでなく諸外国でも数多く作られている。パターンとして、村の総意に反する行動で村八分になるか、流れ者が虐げられる話だ。どんよりとしたイヤなムードが流れる映画が多い。

日本人の同調性が高いことが最近前に増して言及されるようになった。しかも、SNSでの発信がより影響力を持つようになり、コロナ期のマスク警察の話はもとより小◯方女史や小△田プロデューサーなど異常なほど糾弾される人たちが出ている。恐ろしいくらいだ。

この映画で語られるように朝鮮人が暴動を起こすから注意せよと政府が一時的にも発信したとすると呆れる。この4年前1919年に三一運動という朝鮮人の独立運動朝鮮総督府の鎮圧があったのは事実だけど、その後政治的に朝鮮統治を緩めたことは歴史の教科書でも習う。でも、何をするかわからないと官憲は暴動を起こす可能性があると思っている訳だ。

大正12年で明治維新から55年しか経っていない。文明社会がまだ成熟していなかったのかもしれない。人を斬るということが存在した江戸以前を引きずっている気がして仕方ない。学校教育のおかげで大正時代には文盲はいなくなったとは言え、江戸後期から明治にかけて生まれた年寄はかなりの比率で文盲であろう。村の有力者の言う通りにするしかないのだ。しかも村の有力者にも従わなければならない上がいる。

小学生低学年の時、明治生まれの祖母と一緒に選挙に行ったことがあった。祖母は母が書いた自民党の議員の名前をそのまま書いた。そういうものかと思った。平成の初めに関西で仕事した頃、取引先が奈良のある町の有力者で、一緒にいると自民、社会、当時野党だった公明などからバンバン電話がかかってきて対応していた。もちろん票の取りまとめだ。有力者をおさえると票が読める。町の老人たちは言われる通りに投票するからそうなるのだ。東京生まれの自分は周囲にこんな話がなく驚いた。村八分を恐れる。周囲に逆らわない。これも同調の一種で、日本の市町村ではまったく歴史的に続いてきたことなんだろう。だからこんなことも起こる。

どの俳優もやる気満々でこの映画製作に参加した気概が映像から伝わった。自分には、東出昌大がいちばんよく見えたが、薬売りの親分永山瑛太も迫力があり、逆の立場の水道橋博士や松浦祐也も自分の役割を心得ている名演である。


根本的疑問
事件という真実があって他はフィクションということなので、いかようにも脚本はつくれる。でも、根本的な疑問がある。

⒈お国のためってセリフありうる?
一度は議員にもなった水道橋博士が演じる軍人が、盛んに「お国のために」と言っている。太平洋戦争中であれば、この思想が強いのは理解できるけど、1923年(大正12年)というのは割と無風である。日露戦争終了から18年たっている。シベリア出兵で亡くなった村民の話も出ているけど、末端の民衆たちまで赤紙をだして数多く出兵することがあったのかな。

(後記)幼稚絵NJUさんのご指摘をうけて関原正裕さんの博士論文「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域」を読んだ。地域において在郷軍人を組織した在郷軍人分会があったようだ。映画を観た時に村の人が何で軍服を着ているのか論文を読むまで知らなかった。在郷軍人分会 がこの虐殺に大きく関わっているようだ。1920 年代においては日本軍による三・一独立運動弾圧、間島虐殺、シベリア戦争の三つの植民地戦争の経験が民族問題だけではない社会主義思想への対抗も含めた新たな朝鮮人との敵対関係が作り出され、関東大震災時の朝鮮人虐殺になったとしている。(関原正裕「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域」2021p31)
自分にはシベリア出兵というのはあまり大きな出来事と感じていない感触があったが、実は強く根底に流れていたものがあったのだ。


⒉朝鮮飴の売り子っていたのかなあ?
旧福田村を地図で見ると、野田市駅から約6kmも離れている。確かに江戸時代からの伝統ある醤油産業で古くから野田の町は栄えていた。もし飴売りがいても通行人が多いところで売るだろう。福田村の神社にまでいくとは思えない。あとは、この時代に朝鮮の帽子をかぶって売る売り子って本当にいるのかな?疑問に感じる。いくらフィクションにせよ、こんな飴売りまで本当に殺したとしたら当時の日本人はやっぱり異常なのかもしれない。

(後記)幼稚絵NJUさんのご指摘をうけて関原正裕さんの論文「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域」を読んだ。周囲の状況に不安を感じた飴売りの朝鮮人〇が自ら△警察署に保護を求めて署内にいた。□署での朝鮮人虐殺の状況を聞いた隣村の◎村の自警団は 5日夜に△警察署に殺到し、留置場から〇を引きずり出して虐殺している。(関原2021p37)それをみてショックを受けた。


(後記2)朝鮮飴売る人っていたのかと思い「飴と飴売りの文化史 牛嶋英俊著」を読んだ。もともと唐人の飴売りが江戸時代にいた。唐人とは中国人であるが、朝鮮をはじめ西洋人も含めて唐人と称したらしい。朝鮮風帽子をかぶって飴を売る絵が本に載っている。房総地方にもいたようだ。(牛嶋2009 pp.55-58)朝鮮人飴売りについても記述がある。安価な労働者として渡来した人たちが飴売りに転化した例が多いようだ。(牛嶋2009pp.121-134)千葉の飴売りについても記述がある。ふだんは商人宿に泊まり、不定期に来ていたが、関東大震災のあとは来なくなったと言うから、震災での朝鮮人迫害と関係するかもしれない。(牛嶋2009p125)


⒊女性新聞記者
女性新聞記者はこの頃も確かにいたと思うが、地方紙にいたかどうかは正直疑問だ。女性記者がピエール瀧にいう主張はもっともな話だけど、そもそもこんなに上司にタテ突くことはあり得るのかなあ?

(後記)「女のくせに 草分けの女性新聞記者たち 江刺昭子著」という本をピックアップした。一時代前はまさに男の世界だった新聞界で明治30年代から新聞記者はいたようだ。ただ、ほとんど婦人面、家庭面の寄稿である。でも、この本を読むと、かの有名な足尾鉱毒事件毎日新聞で記者として記事を書いた松本英子という記者がいた。 (江刺 1997 pp.110-117)すごい女性記者っていたんだね。ただ、出てくる記者たちはいずれも東京の大新聞社で地方新聞の記者は少ない。晩年議員として有名だった市川房枝女史は「名古屋新聞」の記者だった。(江刺 1997 pp.274-278)

⒋亀戸事件
映画には社会主義者平澤計七が登場する。亀戸事件と言われる関東大震災後の社会主義者者惨殺事件が取り上げられる。アカ嫌いの自分から見てもまあひどい話である。というか、この時代の日本や政府上層部はまだ江戸時代を引きずっている感じがする。

ただ、平澤が言う「資本主義は社会主義にとって代わる」と死ぬ前に言うセリフには違和感がある。学生運動の時代に妙な理想を持ちながら、◯マル派や△核派などの一派同士の闘争で死んだ人たちとかわらない気もした。それに社会(共産)主義国はどれもこれも独裁者支配になって、スターリンをはじめとしてとんでもない粛清をしていた上で国家崩壊しているからだ。


⒌映画評論家への逆襲
「映画評論家への逆襲(記事)」と言う荒井晴彦が中心になって書かれた本がある。これはおもしろかったので、ブログ記事にもアップした。その時に、森達也監督も参加している。プロデューサー兼脚本の井上淳一も参加している。読んでいて、井上の発言に違和感を持った。この人はひと時代前の「二分法」に行動を強いられている人と感じた。そういう知的でない人が関わっているので心配した。

森達也はその本でも偏向性のない発言であった。この映画にあたってののインタビューの発言もまともだ。森達也が主軸になっているこの映画は時折違和感を感じる場面はあっても事実を伝えるという意味で存在感がある。

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映画「ホーンテッドマンション」 

2023-09-03 10:49:31 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ホーンテッドマンション」を映画館で観てきました。


映画「ホーンテッドマンション」ディズニーランドでおなじみのアトラクションを実写化したディズニー映画である。ここしばらくはディズニーランドに行っていない。コロナ期の混乱はあったとは言え、チャンスに恵まれない。それでも行った時には「ホーンテッドマンション」に立ち寄ることも多い。でも、アトラクションの内容をかなり忘れている。

ジャスティン・シミエン監督ディズニーランドの元キャストで「ホーンテッドマンション」は休憩時間にかなり乗ったという。もしかして、2時間分アトラクションの気分が楽しめるのかもしれない。ゾンビ系に近いホラー映画に行くことはまずない。大量に出てくるというゴーストといっても「ゴーストバスターズ」みたいなものだろう。怖くない。そんな軽い気持ちで観る。

舞台はニューオリンズだ。医師でシングルマザーのギャビー(ロザリオ・ドーソン)が破格の条件で風格のあるお屋敷を手に入れた。 ところが、息子のトラヴィスがお屋敷に入るとゴーストたちが乱舞する怪奇現象に何度も遭遇する。二人は屋敷の呪いをとくためかなりクセが強い4人の心霊エキスパートに声をかける。宇宙物理学者上がりのゴースト専門家(ラキース・スタンフィールド)、歴史学者(ダニー・デヴィート)、霊媒師(ティファニー・ハディッシュ)、神父(オーウェン・ウィルソン)が集結する。


まあ、時間つぶしにはなったくらいの感触だ。
さすが、ディズニーといった感じでお金はかなりかかっていそうだ。これだけのセットはさすが米国資本という感じで、アトラクションのように縦横無尽に動くお屋敷の美術、ゴーストのVFXなどはすごい。「ホーンテッドマンション」を熟知しているジャスティン・シミエン監督ならではと感じる場面もある。でも、東京ディズニーで初めて「ホーンテッドマンション」に入った時の感激はない。これは経済学の「限界効用逓減の法則」みたいなもので仕方ないけど、リピーターは別なんだろうなあ。

出演者でインパクトが強いのは霊媒師のティファニー・ハディッシュだ。胡散臭くクセの強いパフォーマンスで家主たちを引っ張る。最近「カードカウンター」でギャンブルブローカーを演じてオスカーアイザックの相手役だ。かなり動的に変貌する。


あとはダニーデヴィートだ。歴史学者でお屋敷建築当時のエピソードを語るが、いつも通りのせわしないパフォーマンスは変わらない。最近「アウシュヴィッツの生還者」でボクシングのトレーナー役で出て、久々だなあと思ったらここで再会できてうれしい。「バットマンリターンズ」異形でインパクトが強いペンギン役が目に焼き付く。


心霊エキスパートを引き連れてのお屋敷での立ち回りはストーリー的に訳がわからなくなるが、仕方ないだろう。物語の構造的には宮崎駿「君たちはどう生きるか」と同じで、異様なお屋敷に入って、幻のような数多くの外敵と出会いなんとかしのいで無事に対決を終える話だ。ただ、悪いゴーストと良いゴーストがいて、良いゴーストと共存共栄という感じで締めくくるのは「ホーンテッドマンション」アトラクションを維持していくために必要なオチかもしれない。
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映画「春に散る」 佐藤浩市&横浜流星

2023-08-27 15:13:04 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「春に散る」を映画館で観てきました。


映画「春に散る」は沢木耕太郎の原作を瀬々敬久監督が映画化したボクシングモノである。主役のボクサーに横浜流星で、トレーナー役が佐藤浩市だ。沢木耕太郎の本は割と好きな方で、ノンフィクションだけでなくある意味ギャンブル小説といえる「波の音が消えるまで」がおもしろかった。瀬々敬久監督が演出するとなると一定以上のレベルは期待できるので早速映画館に向かう。男臭い映画なのになぜか中年以降のおばさんが妙に多いのには驚いた。

元プロボクサーだった広岡(佐藤浩市)がアメリカから久しぶりに帰国して居酒屋で飲んでいる時に酔客に絡まれる。その時にたまたまいたボクサーの黒木(横浜流星)と出会う。そして、黒木のパンチをかわした広岡に弟子入りを志願する。そして、広岡と同じボクシングジムにいた佐瀬(片岡鶴太郎)とともに黒木を鍛えていく。


これはおもしろかった。迫力のあるボクシング映画である。
映画とボクシングの相性はいい。昨年キネマ旬報ベストテンで1位となった「ケイコ目を澄ませて」三浦友和の好演はあれど、自分にはよく見えなかった。あの貧弱なパンチでは相手を倒せないだろうというのがその理由だけど、「百円の恋」安藤さくらのようにボクシングファイトがリアルに迫らないと物足りない。そういった点では、横浜流星はもとよりライバルとなる窪田正孝もボクサーの役づくりに没頭して実に良かった。

沢木耕太郎の原作は未読だけど、典型的なボクシング映画のストーリーだ。落ちぶれた主人公に過去のあるトレーナーが付いて成長させていく。そこにライバルが登場して競い合うというのは、演歌の節回しのようにどれもこれも似たようなものだ。でも、大事なのはボクシングのファイト場面である。横浜流星はプロボクシングのC級ライセンスを取得したという。そこまでやらないと迫力がでない。礼儀知らずでクールなボクサーを演じた窪田正孝も今回はうまかった。


今回それに加えて良かったのが加藤航平のカメラワークだ。映画の大画面を意識した映像コンテがよくできている。これは当然瀬々敬久監督のセンスの良さもあるわけだが、何気なく映し出されるバックの風景もいい選択だった。ただ、最近の日本映画に多い傾向だけど、シングルマザーや食べ物にありつけない子どもを登場させたりする妙に格差社会を意識させる場面をつくってしまうのは余計な感じがした。

クリントイーストウッドの「ミリオンダラーベイビー」でいえば、トレーナーのイーストウッドに対応する佐藤浩市に加えて、モーガンフリーマンのようなサブのトレイナーとして片岡鶴太郎を登場させるのもそれぞれにバックストーリーを用意してストーリーに幅を持たせる。ボクサーへの短いアドバイスのセリフもいい。あしたのジョーの白木葉子のように山口智子をボクシングジムの会長として登場させるのも悪くない。あしたのジョーのようなクロスカウンターも含めて色んなボクシングモノの引用が感じられる気がするけど、いいんじゃないかな。


エンディングは説明少なく最小限にまとめる。これもうまいと感じた。
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映画「高野豆腐店の春」藤竜也&麻生久美子

2023-08-20 18:06:39 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「高野豆腐店の春」を映画館で観てきました。


映画「高野豆腐店の春」は尾道を舞台にした豆腐店のがんこ親父と娘の物語である。三原光尋監督脚本で藤竜也が主演を演じる。気がつくと、藤竜也も80を超える。ついつい年上の愛妻芦川いずみが気になってしまう。大林宣彦監督作品などで映画の聖地のようになった尾道が舞台になっているので親しみがある。4年ほど前に尾道の街の中を家族で歩いてまわった。「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」エグい映像を見た後に、やさしそうな日本映画で心を静めたいという気持ちで選択する。

尾道高野(たかの)豆腐店を営む高野辰雄(藤竜也)は、娘の春(麻生久美子)とともに早朝から豆腐づくりに励む。辰雄は身体に異変を感じて病院に行くと、血管に異常がありカテーテル手術を勧められる。すると、独身の娘の行く末が気になり、商店仲間たちにお見合いの段取りを依頼して、まずは見合い相手と辰雄が面談する。そんな辰雄もひょんなことで病院で知り合った中野ふみえ(中村久美)と親しくなるが、ふみえは重病をかかえていた。


流れるムードはやさしい。
納入先のスーパーから東京進出を勧められても、強硬に断る藤竜也のがんこ親父ぶりが映画の基調である。そこに娘の縁談と父親の老いらくの恋を重ねてストーリーを展開する。加えて、山田洋次監督の作品のように、主人公の仲間である近所の商店主たちを登場させて下町の人情劇のような肌合いを持たせる。対岸の島を見渡す美しい尾道の海が至るところに映し出されるのはいい。レトロな商店街の肌合いもよく、それをバックに藤竜也と麻生久美子と中村久美を映す映像はいい感じだ。

豆腐づくりの映像が随所にあらわれるのもいい。早朝から豆腐づくりに励む藤竜也と麻生久美子が豆乳を一緒に飲むシーンに父娘のふれあいを感じる。とは言うものの、地方都市の下町でものすごく大きな事件は起きない。ありふれた人情劇の域を飛び出すことはない。むりやり長めにしているなと思わせるエピソードも多い。時間的にはもう少し短くできた感じもある。それでも、穏やかな作品を見れた実感はあった。


自分は1981年にパリのシャンゼリゼ通りの映画館で「愛のコリーダ」の無修正版を観ている。当然、藤竜也のアソコも観ている。すごく衝撃的だった。今から8年前北野武監督の「龍三と七人の子分たち」で主役張ったときはむちゃくちゃおもしろかった。今回は、妙にがんこすぎる職人肌の役柄だけど、生き方に不器用な部分がキャラにあっている。旧日活の残党は吉永小百合などの女性軍が健在だけど、頑張ってほしい。芦川いずみはどうしているんだろう?


麻生久美子がいい。父親を支える振る舞いで感じさせる全体的ムードがやさしい。個人的には「俳優亀岡拓次」で演じた場末の小料理屋の女将役が良かった。藤竜也の前妻の連れ子で出戻りという設定だ。その血がつながっていない父を豆腐づくりでバックアップする。結局お見合いした父親やその仲間が薦めるイタリアンの経営者とは付き合わず、父親が嫌がる町のスーパーの店長とつきあう。この組み合わせの意外性と父親の反発がこの映画のミソだ。


藤竜也が病院の診察を受けている時に、落とし物を拾ったのがきっかけで知り合ったのが中村久美だ。やさしいムードをもった老人女性を演じる。お互いに独身だし、不倫というわけでない。いかにも尾道らしい島が見える風景の中で藤竜也と並んで歩きながら撮るドリーショットはいい感じだ。それにしても、最近はずいぶんと年寄役ばかりになった。考えてみるとまだ60になったばかりで藤竜也とは20も違う。若き日は形のいい美乳を我々に見せてくれたが、そのギャップに驚く。
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映画「クライムズ オブ ザ フューチャー」 デイヴィッドクローネンバーグ& ヴィゴモーンテンセン

2023-08-19 08:39:23 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「クライムズ オブ ザ フューチャー」を映画館で観てきました。


映画「クライムズ オブ ザ フューチャー」は奇才デイヴィッドクローネンバーグ監督が2022年のカンヌ映画祭に出品した近未来を描いた作品である。近未来モノは正直苦手なジャンルだけど、自分のベストラインナップにも入る「ヒストリーオブバイオレンス」ヴィゴモーンテンセンとデイヴィッドクローネンバーグ監督とコンビを組むとなると話は違う。しかも、ヴィゴの相手役が現代フランス映画の人気女優レアセドゥである。他にも「トワイライト」クリステンステュワートも出演してキャストはかなり豪華だ。予告編にはちょっとエグいイメージを持つが映画館に早速向かう。

映画がはじまり、いきなり母親が息子を殺すシーンがでてくる。父親も号泣するが、普通に遺体を処理する。これっていったいどういう意味だろうと思いながら映像を追う。すると、主役のヴィゴモーンテンセンとレアセドゥがでてきて、手術と思しきシーンで体内の臓器を持ち出す。ロボットのような機械装置が無機質に身体にナイフを入れて行う。内臓を見るとグロテスクだと思うけど、あまりにも飛んでいる世界なので意味がよくわからない。

理解不能なシーンが続くので、作品情報をそのまま引用する。

そう遠くない未来。人工的な環境に適応するため進化し続けた人類は、その結果として生物学的構造が変容し、痛みの感覚が消え去った。

体内で新たな臓器が生み出される加速進化症候群という病気を抱えたアーティストのソール(ヴィゴモーンテンセン)は、パートナーのカプリース(レアセドゥ)とともに、臓器にタトゥーを施して摘出するというショーを披露し、大きな注目と人気を集めていた。しかし、人類の誤った進化と暴走を監視する政府は、臓器登録所を設立し、ソールは政府から強い関心を持たれる存在となっていた。そんな彼のもとに、生前プラスチックを食べていたという遺体が持ち込まれる。(作品情報 引用)



エグい映像も多いけど近未来はこうなのか?という想像をかき立てる作品だ。映像のレベルが高い。
いきなり子どもを殺す場面はあるけれど、近未来に戦争が起きたり殺しあったりするストーリーではない。その方がいい。ロボットのような手術装置がたやすく解剖をしてしまう。自動車が自動運転する世界が間近となってきたのと同様に、手術装置が実現するのもそんなに遠い世界ではないだろう。医者がチェックリストをもとに手術してもミスがあるのに、AIの頭脳で精巧な機械が手術した方が確実な印象をうける。

臓器にタトゥなんてありえるけど、すごい発想だ。ショーでは手際よい手術装置とともに視覚的にエグい臓器も何度も映る。内臓の美的コンテストをやろうとする話がある。現代では考えられない。デイヴィッドクローネンバーグが想像する近未来は割とどぎつい。あらゆる内臓を人工的にしてしまうと人間が人間でなくなるなんてセリフも映画にある。人間の知能をAIが凌駕するシンギュラリティが実現する頃に人間の血流の中にカプセル(ナノロボット)を入れ込むことがレイカーツワイルの本には書いてある。レイカーツワイルの予言はこれまで次々と実現している。今、着々と科学の世界で進められているプロジェクトがこの映画の題材に組み込まれている気もする。


デイヴィッドクローネンバーグには近未来の出来事を予測する超能力者を描いた「デッドゾーン」という名作がある。薄気味悪いけど好きな作品である。クリストファーウォーケンの怪演が光る。ヴィゴモーンテンセンと組んだ「ヒストリーオブバイオレンス」は、日本で言えば高倉健が何度も演じているような話だ。もともとマフィアだった男が堅気になってひっそり生活していたが、暴漢を退治したことが記事になり旧知のマフィアがお礼参りに来るなんてストーリーは高倉健の十八番そのものだけど、おもしろい。そんな映画もあるけど、いつも大胆な発想で驚かせる。


それにしても、デイヴィッドクローネンバーグは80にして想像力豊かな監督である。これを1980年代に作れと言われても、そこまでのVFXなどの映像技術はない。ずいぶんと前からこの映画の構想を持っていたというが、こんな感じで自分が頭に描いたことを実際に映像にしてしまうところがすごい。ただ、異様な雰囲気は漂う。カンヌ映画祭では途中退出者も多かったらしい。映画を見る人は覚悟して映像を見た方が良い。


今回、ヴィゴモーンテンセンの存在自体は未来人だけど、人格的にはそんなに個性豊かな役柄ではなかった。ここでレアセドゥとクリステンステュワートの2人の美人女優をキーパーソンに持ってくるところが、配役の妙だ。レアセドゥもしっかり脱いで美しい裸体を見せてくれるし、クリステンステュワートの情感こもったキスシーンもさすがという感もある。エゲツないシーンだけで構成されているわけではなかった。
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