映画「福田村事件」を映画館で観てきました。
映画「福田村事件」は1923年(大正12年)9月の
関東大震災直後に
千葉県福田村で起きた事件をもとに
森達也監督がメガホンをとった作品である。関東大震災直後に、
朝鮮人が暴動を起こすという噂が流れて、惨殺された話はよく聞く。ただ、どこまで真実かな?と思う。いつものように左翼系の連中が流している噂のように感じていた。
しかし、
とんでもない事件が震災後に千葉で起きていた。福田村の住人からなる
自警団が、旅まわりの薬売りを朝鮮人の集団と勘違いして殺してしまうという
悲劇が起きていたのだ。日本人が香川県から行商にでていた
日本人を言葉がおかしいから朝鮮人だと決めつけて殺してしまったのだ。ビックリした。この事実から色んなことが言える。朝鮮人を
偽りの正義心で惨殺したのはあり得るなと。
福田村で生まれ育った後に、教員になって日本領だった
朝鮮に渡っていた澤田智一(
井浦新)が妻静子(
田中麗奈)を連れて
故郷に戻ってきた。同級生の村長(
豊岡功補)や昔の仲間も迎えてくれた。教員になって欲しいという村長の希望を断り、
農業に従事することになる。福田村では、
閉鎖的な村の中で長谷川(
水道橋博士)率いる
軍人会が仕切っている。
シベリア出兵で夫が戦死した未亡人咲江(
コムアイ)は出征中船頭の倉蔵(
東出昌大)と
不倫関係にあったり、その倉蔵に帰国したばかりの
妻静子が言い寄ったり男女関係は入り乱れていた。
一方、
四国の讃岐から親方(
永山瑛太)を中心とする
薬売りの行商の一団が関東に向けて出発しており、
利根川を越えていったん
福田村で商いをした後で
野田の町に入っていた。その時、
関東大震災が起きる。大惨事が起きたあといったん野田の宿で待機するが、数日経ち一団は
利根川を渡って移動しようと、船頭の倉蔵と交渉する。その運賃で
揉め事が始まる。
後世に伝えるべき真実をあらわにした。意義があると思う。
福田村事件については、一部
証言者はいても、本当の現場でのやりとりはわからない。
藪の中だ。ただ、
10人もの香川県から来た日本人の薬売りの一団が殺されたのは事実だ。ドキュメンタリーを得意とする
森達也監督は殺害現場におけるやりとりを類推して描いた。
迫力がある場面である。映画の後半はそれぞれに
熱のある演技で特によくできている。
森達也監督は、事件に至るまでの
福田村の住人の物語が基本的に
フィクションだとインタビューで述べている。であるから、朝鮮から帰郷した
主人公も人妻と不倫する
船頭も
架空の人物だ。前半では大正時代の
村落の人々たちの性的な欲望を描く。この映画には
荒井晴彦が絡んでいるし、
若松孝二監督作品にも見られる田舎社会での
男女関係が入り乱れた映画の色彩をもつ。ただ、エロ表現の
一線は越えない。男性だけど、たくましい肉体で
東出昌大が
エロチズムの匂いをだす。適役だ。
閉鎖的な村で、村の中がドロドロしてという映画は別に日本だけでなく諸外国でも数多く作られている。パターンとして、村の総意に反する行動で
村八分になるか、
流れ者が虐げられる話だ。
どんよりとしたイヤなムードが流れる映画が多い。
日本人の
同調性が高いことが最近前に増して
言及されるようになった。しかも、
SNSでの発信がより
影響力を持つようになり、コロナ期の
マスク警察の話はもとより小◯方女史や小△田プロデューサーなど
異常なほど糾弾される人たちが出ている。
恐ろしいくらいだ。
この映画で語られるように朝鮮人が暴動を起こすから注意せよと
政府が一時的にも発信したとすると呆れる。この4年前1919年に
三一運動という
朝鮮人の独立運動と
朝鮮総督府の鎮圧があったのは事実だけど、その後政治的に
朝鮮統治を緩めたことは
歴史の教科書でも習う。でも、何をするかわからないと
官憲は暴動を起こす可能性があると思っている訳だ。
大正12年で
明治維新から55年しか経っていない。
文明社会がまだ成熟していなかったのかもしれない。
人を斬るということが存在した江戸以前を引きずっている気がして仕方ない。
学校教育のおかげで大正時代には文盲はいなくなったとは言え、
江戸後期から明治にかけて生まれた年寄はかなりの比率で文盲であろう。
村の有力者の言う通りにするしかないのだ。しかも村の有力者にも
従わなければならない上がいる。
小学生低学年の時、
明治生まれの祖母と一緒に
選挙に行ったことがあった。祖母は母が書いた自民党の議員の名前をそのまま書いた。そういうものかと思った。平成の初めに関西で仕事した頃、取引先が
奈良のある町の有力者で、一緒にいると
自民、社会、当時野党だった公明などからバンバン電話がかかってきて対応していた。もちろん
票の取りまとめだ。有力者をおさえると票が読める。
町の老人たちは言われる通りに投票するからそうなるのだ。東京生まれの自分は周囲にこんな話がなく驚いた。
村八分を恐れる。周囲に逆らわない。これも
同調の一種で、日本の市町村ではまったく
歴史的に続いてきたことなんだろう。だからこんなことも起こる。
どの
俳優もやる気満々でこの映画製作に参加した
気概が映像から伝わった。自分には、
東出昌大がいちばんよく見えたが、薬売りの親分
永山瑛太も迫力があり、逆の立場の
水道橋博士や松浦祐也も自分の役割を心得ている名演である。
根本的疑問
事件という真実があって他は
フィクションということなので、いかようにも脚本はつくれる。でも、
根本的な疑問がある。
⒈お国のためってセリフありうる?
一度は議員にもなった
水道橋博士が演じる軍人が、盛んに
「お国のために」と言っている。
太平洋戦争中であれば、この思想が強いのは理解できるけど、
1923年(大正12年)というのは割と
無風である。
日露戦争終了から18年たっている。
シベリア出兵で亡くなった村民の話も出ているけど、
末端の民衆たちまで
赤紙をだして数多く出兵することがあったのかな。
(後記)
幼稚絵NJUさんのご指摘をうけて関原正裕さんの博士論文「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域」を読んだ。地域において在郷軍人を組織した
在郷軍人分会があったようだ。映画を観た時に村の人が何で軍服を着ているのか論文を読むまで知らなかった。在郷軍人分会 がこの虐殺に大きく関わっているようだ。
1920 年代においては日本軍による三・一独立運動弾圧、間島虐殺、シベリア戦争の三つの植民地戦争の経験が民族問題だけではない社会主義思想への対抗も含めた新たな朝鮮人との敵対関係が作り出され、関東大震災時の朝鮮人虐殺になったとしている。(関原正裕「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域」2021p31)
自分にはシベリア出兵というのはあまり大きな出来事と感じていない感触があったが、実は強く根底に流れていたものがあったのだ。
⒉朝鮮飴の売り子っていたのかなあ?
旧福田村を地図で見ると、
野田市駅から約6kmも離れている。確かに江戸時代からの伝統ある
醤油産業で古くから野田の町は栄えていた。もし
飴売りがいても通行人が多いところで売るだろう。福田村の神社にまでいくとは思えない。あとは、
この時代に朝鮮の帽子をかぶって売る売り子って本当にいるのかな?疑問に感じる。いくらフィクションにせよ、こんな飴売りまで本当に殺したとしたら
当時の日本人はやっぱり異常なのかもしれない。
(後記)
幼稚絵NJUさんのご指摘をうけて
関原正裕さんの論文
「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域」を読んだ。
周囲の状況に不安を感じた飴売りの朝鮮人〇が自ら△警察署に保護を求めて署内にいた。□署での朝鮮人虐殺の状況を聞いた隣村の◎村の自警団は 5日夜に△警察署に殺到し、留置場から〇を引きずり出して虐殺している。(関原2021p37)それをみてショックを受けた。
(後記2)朝鮮飴売る人っていたのかと思い
「飴と飴売りの文化史 牛嶋英俊著」を読んだ。もともと
唐人の飴売りが江戸時代にいた。唐人とは中国人であるが、朝鮮をはじめ西洋人も含めて唐人と称したらしい。
朝鮮風帽子をかぶって
飴を売る絵が本に載っている。房総地方にもいたようだ。(牛嶋2009 pp.55-58)朝鮮人飴売りについても記述がある。安価な労働者として渡来した人たちが飴売りに転化した例が多いようだ。(牛嶋2009pp.121-134)千葉の飴売りについても記述がある。
ふだんは商人宿に泊まり、不定期に来ていたが、関東大震災のあとは来なくなったと言うから、震災での朝鮮人迫害と関係するかもしれない。(牛嶋2009p125)
⒊女性新聞記者
女性新聞記者はこの頃も確かにいたと思うが、
地方紙にいたかどうかは正直疑問だ。女性記者がピエール瀧にいう主張はもっともな話だけど、そもそもこんなに上司にタテ突くことはあり得るのかなあ?
(後記)
「女のくせに 草分けの女性新聞記者たち 江刺昭子著」という本をピックアップした。一時代前はまさに男の世界だった新聞界で明治30年代から新聞記者はいたようだ。ただ、ほとんど婦人面、家庭面の寄稿である。でも、この本を読むと、かの有名な
足尾鉱毒事件を
毎日新聞で記者として記事を書いた
松本英子という記者がいた。 (江刺 1997 pp.110-117)すごい女性記者っていたんだね。ただ、出てくる記者たちはいずれも東京の大新聞社で地方新聞の記者は少ない。晩年議員として有名だった
市川房枝女史は
「名古屋新聞」の記者だった。(江刺 1997 pp.274-278)
⒋亀戸事件
映画には
社会主義者平澤計七が登場する。
亀戸事件と言われる関東大震災後の
社会主義者者惨殺事件が取り上げられる。アカ嫌いの自分から見てもまあ
ひどい話である。というか、この時代の日本や政府上層部は
まだ江戸時代を引きずっている感じがする。
ただ、平澤が言う
「資本主義は社会主義にとって代わる」と死ぬ前に言う
セリフには違和感がある。学生運動の時代に
妙な理想を持ちながら、◯マル派や△核派などの
一派同士の闘争で死んだ人たちとかわらない気もした。それに
社会(共産)主義国はどれもこれも
独裁者支配になって、
スターリンをはじめとしてとんでもない
粛清をしていた上で国家崩壊しているからだ。
⒌映画評論家への逆襲
「映画評論家への逆襲(記事)」と言う
荒井晴彦が中心になって書かれた本がある。これは
おもしろかったので、ブログ記事にもアップした。その時に、
森達也監督も参加している。プロデューサー兼脚本の
井上淳一も参加している。読んでいて、井上の発言に違和感を持った。この人はひと時代前の
「二分法」に行動を強いられている人と感じた。そういう
知的でない人が関わっているので心配した。
森達也はその本でも
偏向性のない発言であった。この映画にあたってののインタビューの
発言もまともだ。
森達也が主軸になっているこの映画は時折違和感を感じる場面はあっても
事実を伝えるという意味で存在感がある。