映画とライフデザイン

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映画「25年目の弦楽四重奏」

2014-01-02 06:08:23 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「25年目の弦楽四重奏」は2013年日本公開のアメリカ映画だ。

正月一本目にこの映画を見た。予想を上回るいい映画に出会った気分でいる。すばらしい!
見せ場が多い映画である。ベテラン4人の演技合戦だけではない。じっくり練られた脚本と逸話が見事で、寒波で強烈な雪景色となったニューヨークの風景と合わさりしっとりとした気持ちにさせる。バックに流れる音楽も素晴らしい。
上質な映画に出会えた喜びを感じさせる傑作である。

25年目の極めて精巧な演奏で魅了する第1バイオリンのダニエル(マーク・イヴァニール)、彩りを与える第2バイオリンのロバート(フィリップ・シーモア・ホフマン)、深みをもたらすビオラのレイチェル(キャサリン・キーナー)、チェロのピーター(クリストファー・ウォーケン)から成るフーガ弦楽四重奏団。結成25周年を間近に控え、ピーターがパーキンソン病と診断され、今季限りで引退したいと申し出る。カルテットの一角が崩れることを突き付けられた他のメンバーは動揺。嫉妬やライバル意識、プライベート面での秘密など、それまでに蓋をしてきた感情や葛藤が一気に噴出し、カルテット内に不協和音が響き出す……。

寒波で雪景色になったニューヨークが舞台だ。最初目が慣れるまでは、ここがどこかはわからない。カナダ辺りかと思っていたら、どうもNYセントラルパーク横にあるビルが雪景色の借景になって映し出される。ものすごく寒々しい風景がバックだ。そこに流れるのがベートーベンの弦楽四重奏である。これも暗い雰囲気が漂う。
タイトルからいって、演奏が中心の映画に思えてしまうが、実際には4人の演奏家と取り巻く人たちを中心にした人間ドラマである。プロ演奏家同士の葛藤と嫉妬のせめぎ合いだ。

(若手美女の活躍)
4人のベテラン俳優による演技合戦の様相が強い映画だが、その中に若い女優を2人放つ。これでこの映画では非常に効果的に化学反応がおきる。2人とも25年良好だった4人の関係をおかしくしてしまう魔女のような存在だ。そのうち1人(イモージェン・プーツ)はカルテットの中の夫婦の娘だ。

独身でバイオリンの技巧を究めるダニエルにレッスンを受けている。元々は単なる師弟関係でそっけない間柄が徐々に急接近する。彼女も非常に魅力的だ。

もう一人はロバートのジョギング仲間のフランメンコダンサーだ。エキゾティックな容姿にはドキドキする。魔性の女というわけではないが、この2人を映画に放つだけで最近よくある老人映画にさせない。


(TSエリオット)
この映画の主題曲ベートーベン作品弦楽四重奏曲第14番作品131を愛する人物として大物の名前が出てくる。「20世紀最大の知性」と言うべきTSエリオットだ。ウディアレンの「ミッドナイト・イン・パリ」にも彼の名前が出てきて、ドキッとしたが、今回は彼の詩が紹介される。大学受験の時、駿台予備校英語科に奥井潔というすごい英語教師がいた。構文主義の伊藤和夫に対して、高尚な雑談を中心として、自分ではこういう風には訳せないだろうなあという美しい訳語を用いて英文解釈をしてくれた先生だ。その奥井先生がよく雑談に出していたのがTSエリオットだ。当然のことながら、そんな名前は知らない。懸命に調べた。いくつか読んだが確かに難解だ。今もって理解に至らない。でもこの詩英語で読むほうがしっくりくる。へたに日本語訳しない方がいい。
Time present and time past
Are both perhaps present in time future,
And time future contained in time past.
If all time is eternally present
All time is unredeemable.

Or say that the end precedes the beginning,
And the end and the beginning were always there
Before the beginning and after the end.
And all is always now.

(ウォーレス・ショーン)
チェロのピーターがパーキーソン病になり、自分の後継チェリストを探そうとする。ピーターから依頼を受ける男を見て、「オ~!」とうなった。ウォーレス・ショーンだ。久々に見た。

「死刑台のエレベーター」で有名なフランスのルイマル監督による日本未公開だけど、隠れた名作がある。「my dinner with andre」だ。アメリカのインテリには受けている映画だ。それ自体は2人のトークだけで、観念的、抽象的な哲学的会話が交わされる。その1人がウォーレスショーンである。ウディアレンの初期の作品あたりではよく見る顔であったが、今は「トイストーリー」の吹き替えくらいだ。その彼が登場する。昔のいかにもダメ男風の風貌から若干貫禄がついてきた。教養人でもあり適役である。

(カザルスの余談)
クリストファーウォーケン扮するピーターが音楽学校で弦楽を教えている時に、チェロの巨匠パブロ・カザルスのパフォーマンスを取り上げる。

学生たちが一緒に演奏している時に、一人の学生がチョンボをする。それに対して別の学生が強く誤りを指摘する。そのしぐさをみたピーターはカザルスの前で演奏した時の経験を話す。巨匠の前で演奏する時、緊張していい演奏ができなかった。でもカザルスは良かったと言ってくれた。もう一度演奏したらもっと出来が悪かった。それでも「すばらしい、見事だ」と言ってくれる。自分はむしろカザルスは不誠実だと思ったくらいだった。その後プロになりカザルスと一緒に演奏する機会があった。あのときの出来の悪さを自戒し、パブロに対する自分の気持ちを告白した。するとカザルスに怒られた。カザルスはチェロを弾きだした。あの時こういう風に演奏したよねとあるフレーズを再現してくれた。一瞬でもいい演奏を聴かせてくれたことに感謝すると励ましてくれた。
すなわち、悪いところばかりを見ているだけでなく、良い所に着目するということだ。
なるほどと感じた。奥が深い。

パブロカザルスの名前を聞き、高校生の時に読んだ五木寛之「戒厳令の夜」を思い出した。この物語には4人のパブロが登場する。それはパブロ・ピカソ(画家)、パブロ・カザルス(音楽家)、パブロ・ネルーダ(詩人)の実在した3人のパブロと架空のもう一人のパブロである。彼らは1934年のスペイン内戦に関わっている。当時この小説のスケールに感動したものだった。38年ぶりに再読してみたい。
  
(ニナ・リー)
クリストファーウォーケンが自分の後継のチェリストとして、ニナ・リーという女性が推薦される。彼女は後半その姿を現す。彼女自体本物のチェロのプロだ。チェロを演奏するシーンでは、真剣に弦をあてがう姿が映し出される。表情が違う。おっとすごいや。リーという名のごとく東洋系だ。中国系かな?これも見モノだ。

4人はそれぞれの楽器のレッスンを受けたという。そうでないと弦の使い方など不自然すぎてしまうだろう。特に第1バイオリンのダニエルのプロっぽいしぐさがいい。今回は監督の力量が光る。
コメント
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