映画とライフデザイン

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映画「存在の耐えられない軽さ」 ダニエル・デイ・ルイス

2014-01-12 13:11:21 | 映画(洋画 89年以前)
映画「存在の耐えられない軽さ」は88年の作品

傑作である。2時間50分に及ぶ上映時間の長い映画だ。
1968年のプラハが舞台である。チェコへソビエトが出兵した激動の情勢を背景に、若き医師が彷徨う姿を描いている。ベストセラー小説の映画化である。
オスカー俳優ダニエル・デイ・ルイスがまだ30になる頃出演していた作品で、2人の大物女優ジュリエット・ビノシュ、レナオリンが主演にからむ。3人は激動の情勢の中で困難に遭遇して彷徨う。単なる遊び人の主人公も少しづつ変わっていく。若き日の2人が大胆に脱いでいる。特にレナオリンのセクシーショットは当時話題になったであろう。


時は1968年、チェコスロバキアの首都プラハが舞台だ
主人公トマシュ(ダニエル・デイ・ルイス)は独身の有能な脳外科医だ。身近にいる看護婦に手を出したり、自由奔放に女性とつき合っている。そのうちの一人が画家のサビーナ(レナ・オリン)だ。2人が逢う時は、必ず、サビーナの黒い帽子と楕円形の鏡がそばに置かれていた。ある日トマシュは郊外に出張手術に行く。その先でカフェのウェートレスであるテレーザ(ジュリエット・ビノシュ)と知り合い、お互い惹かれる。トマシュがプラハに戻った後、テレーザはトマシュのアパートに押しかけ、2人は同棲生活を始める。

トマシュはテレーザをサビーナに紹介した。テレーザは彼女の計らいで写真家としての仕事を始める。そのころチェコは「プラハの春」と言われる改革運動が進んでいた。トマシュはロシアから共産主義の指導に来ている役人たちを皮肉たり、オイディプス論を論じていた。同棲しているにもかかわらず、トマシュはサビーナとの逢引きを続ける。女の影が常に付きまとうテレーザは憤慨して家を飛び出そうとする。外へ飛び出したら、プラハの町にソ連が軍事介入を始めて、戦車が多数乱入して来た。サビーナは、プラハを去り、ジュネーブへと旅立つ。テレーザはソ連の軍事介入の証拠写真を現場で取りまくっていた。そして一部のネガを外国へ移る人たちに渡して、チェコの現状を知らせようとした。テレーザは当局のおとがめを受ける。こうして、トマシュとテレーザは状況把握をした後でジュネーブヘ向かった。

3人はまた再会する。サビーナは大学教授フランツ(デリック・デ・リント)と知り合い、交際をはじめていた。フランツは妻帯者だったが、ザビーナの魅力に圧倒される。テレーザはジュネーブでも写真の仕事を探した。ヌード写真を撮る仕事をもらう。ジュネーブでもトマシュの浮気癖は直らない。相変わらず女性と遊んでいるトマシュにイヤ気がさしてきたテレーザは、衝動的にプラハへと戻ってしまうのであるが。。。。

(チェコへの出兵)
この映画では、プラハへの軍事介入が映像で出てくる。それ以前は「プラハの春」と言われる民主化運動が盛んになりつつあった。若者は反ソ連を強めていた。
当時まだ小学生だったが、テレビで再三報道されていた記憶が強く残る。プラハに戦車が乱入するシーンがテレビに映し出されて、ソビエトの軍事行動に恐怖を覚えた記憶がある。


1968年はメキシコオリンピックが開催されていた。チェコスロバキアの美人女子体操選手チャスラフスカは大会の華である。ライバルソ連にも可憐なクチンスカヤという体操選手がいた。
金メダルを争う2人の戦いでは、日本人の多くがチャスラフスカを応援していたと思う。西側陣営の末席にいた日本人としては、当然ソ連には強い嫌悪感がある。彼女は個人総合で見事優勝した。その際には、必ず祖国のことが話題になったものだ。

この映画の見事さは編集にある。実際に編集者が取得したニュースフィルムに、ダニエル・デイ・ルイスとジュリエット・ビノシュの2人をかぶせる。これがなかなかうまい。
94年のフォレストガンプでは主人公がホワイトハウスにまねかりたりする合成映像が出ている。これには感心したものだったが、88年当時の映画技術はどうだったのであろうか?


(レナオリン)
さすがのオスカー俳優ダニエル・デイ・ルイスもここではまだ若いアンちゃんである。「ゼアウィルビーブラッド」や「リンカーン」のような卓越した演技をするわけではない。その一方で強い存在感を示すのがレナ・オリンだ。その後「蜘蛛女」で世紀の悪女を演じるが、ここでもその片鱗を示す。黒い下着姿がセクシーだ。しかも、男に纏わりつく強い性の匂いをプンプンさせる大人の女性だ。これは凄い。

アメリカ映画への出演はこれが始めてだったらしい。自由奔放で一流の美術家だが、1人の男から束縛されるのを嫌がる。自分の好きなスタイルで男を愛するタイプだ。影響を受けた女性も多いであろう。彼女がジュネーブに行ったときのシーンで、チェコの愛国者がソ連に反発する発言をするシーンがある。その際それを聞いて、レナオリンが「それだったらチェコに戻って戦争したらいいじゃないの」と愛国者を罵倒する場面がある。これが実にかっこいい。年寄りが愛国主義で過激な発言をするのは、今も日本も同じだ。でもいざ戦争になったら戦うのは若い人なのだ。ある意味無責任じゃないかな


(ジュリエット・ビノシュ)
大女優になった彼女もまだ20代だ。主人公が郊外へ出張手術にいきに知り合ったときには、なぜかトルストイ「アンナカレーニナ」を読んでいた。そのときの彼女の表情は素朴で、いかにも田舎娘といった純朴な雰囲気だ。この映画の前にレオンカラックス監督の「汚れた血」にでている。同様なタッチである。純朴な姿が映画が進むにつれ、少しづつ垢抜けていくようになる。少しづつ変わっていく姿を見るのは悪くない。

(参考作品)
存在の耐えられない軽さ
レナオリンのセクシーさが際立つ


存在の耐えられない軽さ
プラハの春の若者


蜘蛛女
映画史上空前の悪女
コメント
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