映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「美徳のよろめき」 月丘夢路&三島由紀夫

2020-11-21 10:41:43 | 映画(日本 昭和34年以前)
美徳のよろめきを名画座で観てきました。


美徳のよろめきは昭和32年(1957年)の日活映画であり、三島由紀夫原作の小説の映画化である。昭和32年の書き下ろしで、当時年間4位のベストセラーになった。この小説は何度も読んでいる。映画化された作品は見たことはなかった。

最初にこの小説を読んだのは大学生の時だった。あっと驚いた。まさに姦通小説というべき激しい不倫物語に息を呑んだ。貞淑な人妻が不倫の行く末に何度も子どもをおろす。実にショッキングであった。特に搔爬という文字に得体の知れない気味悪さを感じた。時を経て30代後半になって、自分も色んな経験をした後に再読した。読み進むうちに20代前後では知り得なかった大人の世界に浸り周囲の女性を見る目が一気にかわってしまった。読むたびに衝撃的な感情を呼び起こす小説である。


新藤兼人の脚本ということで映画を観るのを楽しみにしていたが、ちょっとがっかりである。残念ながらこれは失敗作と言えよう。スタートは小説の通りのナレーションで始まる。登場人物はそのままにしているが、中身はかなり変えている。原作で感じる薄気味悪いテイストが削ぎとられている。あまりにアッサリしているのに驚く。何でこんなに脚色したのであろうか?疑問に感じる。

元華族の気高い28歳のご婦人倉腰節子(月丘夢路)は夫(三國連太郎)と幼稚園に通う息子と鎌倉に暮らしている。何の不自由のない生活をしていた。


節子には土屋(葉山良二)という青年との甘い想い出があった。その接吻の想い出が忘れられないということを親友与志子(宮城千賀子)にも話していた。土屋とは街で何度もバッタリあったが、避けていた。節子の親族の葬儀に土屋が来ていて、鶴岡八幡宮で明日3時に待ち合わせと言い残して去っていく。節子は行きたい気持ちもあったがあえていかなかった。それでもたまたま行けなかっただけと言い訳して結局は会うようになる。そこから2人の密会が始まるのであるが。

ここまでの経緯に小説との大差はない。ここからがこの小説の肝である。身も心も土屋に狂っていく。土屋が別の女性と会っているという話だけで強烈に嫉妬する。土屋と付き合い始めたときに懐妊に気づく。これは夫との子である。でも節子は中絶する。気持ちが土屋に通っているのに産むということを拒絶するのだ。


映画ではこの後土屋との交わりで何度も子どもをつくり中絶する行為が省略されている。小説では触れられていない節子の友人与志子が浮気相手とのトラブルに巻き込まれる話が取り上げられる。新藤兼人は何でこんなに脚色したのであろうか?この小説の根幹が抜き取られて中途半端になっている。

1.昭和30年代の中絶事情
戦後のベビーブームの後で、GHQは中絶を解禁した。それとともに中絶することが普通になっていった。1950年に中絶率10%だったのが、1954年には何と50%にまで上昇する。1955年に116万件、1960年に107万件の人工中絶があったというデータもある。(男女共同参画局HPより)1955年の出生数が173万人、1960年の出生数が160万人(人口動態調査HPより)ということから見ても多くの赤ちゃんが生まれずにいたのだ。映画を観ると、この中絶に唖然とするが、もしかしたらこの中絶が当たり前の社会だったのかもしれない。

2.三島由紀夫の筆力
今回改めて小説を読むと三島由紀夫が丹念に節子の人となりを綴っていることがわかる。数多くのディテイルで節子の人格を含めたすべてを浮かび上がらせる。この辺りの三島由紀夫の筆力には本当に恐れいる。素晴らしい。それにしても搔爬という文字は読むたびに気分が悪くなる。しかも、官能の世界に浸って何度も子どもを堕ろす。いやな感じだ。映画のラストは小説どおりである。別れようとする土屋への手紙を書いているところを映す。でも、この小説を読むたびに感じる後味の悪さは感じない。
コメント
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