映画「煙突の見える場所」を名画座で観てきました。
「煙突の見える場所」は昭和28年(1953年)公開の新東宝映画であり、キネマ旬報ベストテン4位の高評価だ。映画史の中ではたびたび映し出される千住にあったお化け煙突がまさに題名になる作品で、DVDはレアでこれまでご縁がなかった。田中絹代と上原謙の夫婦が住む家に、同居人の芥川比呂志と高峰秀子が絡む。
まだ戦後を引きずる街の風景はどれもこれも貴重なシーンでそれを見るだけで価値がある。上原謙は成瀬巳喜男作品「めし」同様のダメ親父ぶりである。それぞれの演技は特筆すべきはない。昭和20年代の世相を楽しむだけである。千住だけでなく上野界隈から昌平橋あたりもでてくる。
戦災未亡人の弘子(田中絹代)と緒方(上原謙)夫妻は、千住のお化け煙突が荒川河川敷の反対に見える長屋の貸家に住んでいる。2人が住む2階には役所で税金の取立てをしている久保(芥川比呂志)と上野で商店街の買い物アナウンスをしている仙子(高峰秀子)がふすまを隔てて住んでいる。まだ結婚して1年半の緒方と弘子がイチャイチャしていると、仙子が帰って来てお互い沈黙するという窮屈な状態だった。
緒方は弘子が良かれと思って競輪場でバイトしているのも気になって仕方ないセコい男。そんなある時、2人が家に帰ると部屋に赤ちゃんが横たわっていた。そこには置き手紙と戸籍謄本があり、元夫の塚原と弘子との子供と記載がしてある。結婚して2人だけの生活をしているのに子供がいるはずがない。それに緒方と弘子も婚姻届がしてあり、手元に戸籍謄本がある。
それを見て緒方はこれは二重結婚になるので、刑法上の罰を受ける可能性があると、捨て子を警察に届けようとするのを止める。しかし、赤ちゃんは泣き止まず、4人とも睡眠不足になる始末である。
赤ちゃんをどうするのかで緒方と弘子は大げんかして弘子は荒川に飛び込みかねない勢いだ。それを見かねて久保が役所を休んで元夫の塚原を探しに出る。でもなかなか見つからない。やっとのことで塚原(田中春雄)が見つかったが、競輪狂いで金がない。塚原を見捨てた子の母親勝子(花井蘭子)は小料理屋の女中で子供の世話ができる状態にない。そのうちに当の赤ちゃんは急激に具合が悪くなり、往診の医者に手が負えないと言われるのであるが。。。
⒈お化け煙突と下町
お化け煙突は4本建っているが、見る場所によって1本にも2本にも3本にも見えるというのがお化け煙突たる所以と映画で解説ある。これは知らなかった。荒川河川敷近くの長屋はいろんな物語の舞台になる。お化け煙突まで加わると絵になる。台風が来たりして川が氾濫すると一気に水没するようなところだ。
そこの家主は法華経を朝から新興宗教のように集団で唱えている婆さんだ。創価学会の前身みたいなものか。長屋の中にはラジオ屋もあり、近くの商店街に買い物に出ればチンドン屋もいる。店構えは看板が大きな文字で書いてある前近代的看板だ。
東京の商店街でもそれぞれの店を紹介するアナウンスって昭和50年代過ぎてもあったような気がする。高峰秀子はそのアナウンス嬢だけど、いい給料なんてもらえないでしょう。上原謙は足袋問屋に勤めている。ラジオ屋同様に消えた仕事である。上原は家に持ち込んで仕事するが、田中絹代に読み上げさせてそろばんで集計する。まあ、昭和50年代に入るくらいまではこれでしょう。
⒉社会の底辺にいる生活と今だったらありえないこと
緒方夫妻が住む長屋の家賃は3000円だという。自転車屋は特売で650円で自転車を売っている。何より夫婦が一階に住んでいる2階に別々の下宿人がいるという姿が異様だ。血が繋がっている親族ならともかくアカの他人同士がこういう住み方をしているというのを自分は知らない。これが下町なのか?高峰秀子の部屋の窓にあるカーテンは東京ボン太のトレードマーク唐草模様であるのに思わず吹き出す。
小遣い稼ぎに田中絹代が競輪場でアルバイトする。小津安二郎の「お茶漬の味」にも競輪場のシーンが出てくるが、昭和20年代は割といろんな映画で見かける。どの映画を見ても競輪場が超満員であるのに驚く。何よりすごいのが、田中絹代のバイトとは当選券の払い戻しを競輪場の場内で弁当屋みたいに歩き回っているということ。一緒にバイトやっているのは自分たちが若い頃のおばあちゃん役浦辺粂子である。ギャンブラーのど真ん中で金持ち歩いて大丈夫?金とられない?むしろ心配だ。映像は美濃部都知事がなくした後楽園か松戸かどちらかだろう。
赤ちゃんを田中絹代の家に置いたのは、競輪場にたむろう元夫がバイトしている田中絹代を見つけて、どこに住んでいるのかと同僚の浦辺粂子に聞きわかるということだが、まあこれも現代では絶対ありえないことでしょう。
そもそも戸籍上の婚姻が二重になってしまうというのが、その当時ありえたのか?夫の死亡届けってどうなの?当然元戸籍の役所への確認があるわけだが、もしありえたとしたら凄い話である。脚本は「生きる」で役人を描いた小国英雄である。いずれにせよ、戦災未亡人は現在日本では死語である。高峰秀子はこののち11年後に成瀬巳喜男作品「乱れる」で戦争未亡人を演じるが、あと10年強は戦後を引きずっていた。
「煙突の見える場所」は昭和28年(1953年)公開の新東宝映画であり、キネマ旬報ベストテン4位の高評価だ。映画史の中ではたびたび映し出される千住にあったお化け煙突がまさに題名になる作品で、DVDはレアでこれまでご縁がなかった。田中絹代と上原謙の夫婦が住む家に、同居人の芥川比呂志と高峰秀子が絡む。
まだ戦後を引きずる街の風景はどれもこれも貴重なシーンでそれを見るだけで価値がある。上原謙は成瀬巳喜男作品「めし」同様のダメ親父ぶりである。それぞれの演技は特筆すべきはない。昭和20年代の世相を楽しむだけである。千住だけでなく上野界隈から昌平橋あたりもでてくる。
戦災未亡人の弘子(田中絹代)と緒方(上原謙)夫妻は、千住のお化け煙突が荒川河川敷の反対に見える長屋の貸家に住んでいる。2人が住む2階には役所で税金の取立てをしている久保(芥川比呂志)と上野で商店街の買い物アナウンスをしている仙子(高峰秀子)がふすまを隔てて住んでいる。まだ結婚して1年半の緒方と弘子がイチャイチャしていると、仙子が帰って来てお互い沈黙するという窮屈な状態だった。
緒方は弘子が良かれと思って競輪場でバイトしているのも気になって仕方ないセコい男。そんなある時、2人が家に帰ると部屋に赤ちゃんが横たわっていた。そこには置き手紙と戸籍謄本があり、元夫の塚原と弘子との子供と記載がしてある。結婚して2人だけの生活をしているのに子供がいるはずがない。それに緒方と弘子も婚姻届がしてあり、手元に戸籍謄本がある。
それを見て緒方はこれは二重結婚になるので、刑法上の罰を受ける可能性があると、捨て子を警察に届けようとするのを止める。しかし、赤ちゃんは泣き止まず、4人とも睡眠不足になる始末である。
赤ちゃんをどうするのかで緒方と弘子は大げんかして弘子は荒川に飛び込みかねない勢いだ。それを見かねて久保が役所を休んで元夫の塚原を探しに出る。でもなかなか見つからない。やっとのことで塚原(田中春雄)が見つかったが、競輪狂いで金がない。塚原を見捨てた子の母親勝子(花井蘭子)は小料理屋の女中で子供の世話ができる状態にない。そのうちに当の赤ちゃんは急激に具合が悪くなり、往診の医者に手が負えないと言われるのであるが。。。
⒈お化け煙突と下町
お化け煙突は4本建っているが、見る場所によって1本にも2本にも3本にも見えるというのがお化け煙突たる所以と映画で解説ある。これは知らなかった。荒川河川敷近くの長屋はいろんな物語の舞台になる。お化け煙突まで加わると絵になる。台風が来たりして川が氾濫すると一気に水没するようなところだ。
そこの家主は法華経を朝から新興宗教のように集団で唱えている婆さんだ。創価学会の前身みたいなものか。長屋の中にはラジオ屋もあり、近くの商店街に買い物に出ればチンドン屋もいる。店構えは看板が大きな文字で書いてある前近代的看板だ。
東京の商店街でもそれぞれの店を紹介するアナウンスって昭和50年代過ぎてもあったような気がする。高峰秀子はそのアナウンス嬢だけど、いい給料なんてもらえないでしょう。上原謙は足袋問屋に勤めている。ラジオ屋同様に消えた仕事である。上原は家に持ち込んで仕事するが、田中絹代に読み上げさせてそろばんで集計する。まあ、昭和50年代に入るくらいまではこれでしょう。
⒉社会の底辺にいる生活と今だったらありえないこと
緒方夫妻が住む長屋の家賃は3000円だという。自転車屋は特売で650円で自転車を売っている。何より夫婦が一階に住んでいる2階に別々の下宿人がいるという姿が異様だ。血が繋がっている親族ならともかくアカの他人同士がこういう住み方をしているというのを自分は知らない。これが下町なのか?高峰秀子の部屋の窓にあるカーテンは東京ボン太のトレードマーク唐草模様であるのに思わず吹き出す。
小遣い稼ぎに田中絹代が競輪場でアルバイトする。小津安二郎の「お茶漬の味」にも競輪場のシーンが出てくるが、昭和20年代は割といろんな映画で見かける。どの映画を見ても競輪場が超満員であるのに驚く。何よりすごいのが、田中絹代のバイトとは当選券の払い戻しを競輪場の場内で弁当屋みたいに歩き回っているということ。一緒にバイトやっているのは自分たちが若い頃のおばあちゃん役浦辺粂子である。ギャンブラーのど真ん中で金持ち歩いて大丈夫?金とられない?むしろ心配だ。映像は美濃部都知事がなくした後楽園か松戸かどちらかだろう。
赤ちゃんを田中絹代の家に置いたのは、競輪場にたむろう元夫がバイトしている田中絹代を見つけて、どこに住んでいるのかと同僚の浦辺粂子に聞きわかるということだが、まあこれも現代では絶対ありえないことでしょう。
そもそも戸籍上の婚姻が二重になってしまうというのが、その当時ありえたのか?夫の死亡届けってどうなの?当然元戸籍の役所への確認があるわけだが、もしありえたとしたら凄い話である。脚本は「生きる」で役人を描いた小国英雄である。いずれにせよ、戦災未亡人は現在日本では死語である。高峰秀子はこののち11年後に成瀬巳喜男作品「乱れる」で戦争未亡人を演じるが、あと10年強は戦後を引きずっていた。