映画とライフデザイン

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映画「この世界に残されて」

2021-01-05 21:01:54 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「この世界に残されて」を映画館で観てきました。


戦後ソ連によって厳しく弾圧された東欧諸国を映像にする映画は多い。「この世界に残されて」のストーリーを読むとその手の映画のようだ。批評を見ると比較的女性陣から絶賛されている。それなのに、女性が普通いやがりそうな中年の男性と16歳の少女との怪しい関係が描かれているようだ。この不思議な矛盾に興味を持ち映画館に向かう。

弾圧された東欧諸国を映像にする映画にはスターリンの肖像画のもとで、徹底的に共産主義思想を植え付けられるシーンが多い。しかし、ここではその色彩は少ない。暴力的なシーンは見当たらない。わりとたんたんと映画が過ぎていく。前のコメントで蓮實重彦の「映画の90分論」のことを書いたが、この映画は90分を切る。映画を見ているうちに時計をみると制限時間が近づいている。気がつくとラストを迎える。正直これで終わっちゃうの??という感じの映画だった。別にいやな映画ではないけど、最高点をつける人たちの感性はよくわからない。

1948年、ハンガリー。 ホロコーストを生き延びたものの家族を喪った16歳の少女クララ(アビゲール・セーケ)は、保護者となった大叔母オルギと暮している。周囲とも打ち解けないクララは寡黙な婦人科医師アルド(カーロイ・ハイデュク)に出会う。42歳のアルドの心に自分と同じ孤独を感じ取り、クララは父を慕うようにアルドを頼りにする。そんなクララを見て、大叔母オルギは「私は勉強をみてあげることもできないから」と、もう一人の保護者になってほしいとアルドに懇願する。アルドは快諾し、クララは週の半分をアルドの家で過ごすという不思議な同居生活が始まった。


ゲームに興じたり映画を観に行ったりして、クララは明るさを取り戻す。ホロコーストによって大切な人たちを喪ったアルドと共に心に傷を抱えながら、寄り添うことで徐々に人生を取り戻していく。スターリン率いるソ連がハンガリーで権力を掌握すると、党に目をつけられた者たちが次々と連行されるなど緊張が増していく。そんななかクララとアルドの関係は、スキャンダラスな誤解を招いているのであるが。。(作品情報一部引用)


⒈少女と中年医師の出会い
この少女クララは16歳にしてまだ初潮を迎えていない。それなので、婦人科にかかったのだ。診るのはアルドである。アルドからしたら、子どもみたいなものである。でも、クララはちがう。同世代の男女とまったくウマが合わないが、アルドには惹かれていく。最初の頃のクララの表情がきつい。わざとそうしているんだろうと思うけど、見るからにいやな娘だ。


でも、アルドを親代わりに思うのかどうかわからないが、急接近に寄り添う。もともとロリコンの気があったわけではないが、むごい時代を経て共感を持つのだ。同じベッドでもハグはあっても裸で交わることはない。そのような理性を持っている。そういう前提の映画で、不純な要素は少ない。よって刺激はあまりないのだ。

⒉ハンガリー
ハンガリーのブタペストは賢い人たちを多数生んだことでも知られる。たとえばコンピューター、原子爆弾、ゲームの理論に関わったフォン・ノイマンなんて天才もそうだし、近年ではジョージ・ソロスなんて有名投資家も生んでいる。第一次世界大戦の頃まであったオーストラリアと一緒だった帝国には逸材がビックリするほどいた。

しかし、第二次世界大戦の時にはエライ目に遭ったようだ。虐殺が相次いだようだ。フォン・ノイマンなんかはアインシュタインと一緒で早々とアメリカに渡っている。残ったモノはババを引く。その中でも医師であるアルドは上層階級に所属した人物だと思われる。でも、ホロコーストのいやな目に遭う。その点は悲しい。


コメント
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