映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

ミッドナイトインパリ2  ウディ・アレン

2012-05-30 22:01:46 | 映画(自分好みベスト100)
1から続く

1920年代というのはアメリカでは1次大戦後の好景気を反映して株価も上昇した素晴らしい時代だった。そんなときは芸術も全盛を極めるものである。そういう芸術家のヒーローを次から次へと呼んでくる。「フィールドオブドリームス」でケヴィンコスナーが昔の野球選手をグラウンドによんだのと同じノリなのだ。

村上春樹の訳によるスコット・フィッツジェラルドはかなり読んでいる方だ。ゼルダとの関係はあまりにも有名なので、主人公の立場になってみて片やフィッツジェラルドで片やゼルダとわかるならば、そりゃびっくりするわなあ。フィッツジェラルドの作品はゼルダと一緒にいる時が一番良かった。「グレート・ギャツビー」は1925年だ。でも彼女が精神を患ってからは、本人が調子を崩してしまうのである。そういった意味で、ゼルダが振られたとばかりにセーヌの岸辺で泣き崩れるシーンは実にうまい作り方と感じた。

ここでのヘミングウェイもかなりワイルドに演じられている。映画に出てくる闘牛士はよくはしらないが、これは小説のモデルかな?主人公にも君はボクシングが好きかいと聞く場面がある。彼は闘牛や戦争やカジキマグロ釣りや現実な題材を選んでいるが、いずれも男臭さが感じられるものである。実はフィッツェジェラルドとヘミングウェイには実感的題材という部分で共通点がある。実際に両者はパリで会っているらしい。パリでのお互いの会話はそんなに離れてはいないだろう。そういえばウディは映画「マンハッタン」で孫娘マーゴヘミングウェイと共演したなあ。エキゾチックな眉の彼女も今は別世界の人だ。。


パブロピカソが愛人をモデルとして書いた絵について、キャシーベイツ演じるガートルード・スタインと語りあう。教養足りずでガートルードの存在は知らなかった。ウディアレンもうまい俳優を持ってきたものだ。
ピカソの彼女であるアドリアナが以前はモディリアーニと付きあっていた設定である。社交界のヒロイン的存在だ。当代きってのフランスを代表する女優マリオン・コティヤールをウディアレンは起用した。前にパリを舞台にした「世界中がアイラブユー」ではジュリアロバーツを起用して自らキスしてしまう。今回もマリオンとの仕事ではウディはさぞかしご満悦だったと思う。キスシーンも自分の分身のつもりだろう。
ダリを演じたエイドリアン・ブロディも「戦場のピアニスト」とは違う独特の芸術家っぽいムードだ。


コールポーターのピアノもいいが、マリオン・コティヤールとのミッドナイトのデートが素敵だ。
気がつくと19世紀にまでタイムスリップしてしまう。馬車に連れられて行った先は「マキシム」だ。そこにはなんとロートレックがいる。そして横にはゴーギャンがいてマリオンにちょっかいを出す。ため息が出てくる。そうすると映画館で見ている観客からもため息のようなものが出るのがわかった。
マリオンがいう。このまま1890年のパリにいたいと。。。そうすると19世紀の芸術家たちはルネサンスの方がいいという。ミケランジェロの絵に囲まれていたいと。人は昔を美しく回顧したがるというのがウディがいいたかったことのようだ。でも主人公はその時代その時代が一番いいんだという。自分のセリフを主人公にしゃべらせる。

個人的に一番ドキッとしたのは、主人公がプジョーに乗るときに乗車している人がTSエリオットと名乗った時だ。この映画みていて何度も同じ感触を持ったが、この時が一番だ。20世紀の知性といわれるTSエリオットを知ったのはその昔駿台予備校に通っていた時だ。当時英語の教員に奥井先生という人がいた。まだまだ英文700選を書いた鈴木長十先生も元気で受験英語の鬼才伊藤和夫もバリバリだった。でも英訳の洗練さでは奥井潔さんにかなう人はいなかった。どう訳しても自分には奥井先生のようには訳せない。自分の未熟さを感じた。
先だって日経新聞「私の履歴書」でシェイクスピア研究の小田島雄志さんが連載している時、自分の親分として奥井さんの名をあげた時はどきどきした。その奥井先生はTSエリオットを語った。その話は本当に高尚に思った。そんなエリオットを今理解できているわけではない。でも昔を思い出して感慨にふけった。

一度でいいから主人公と同じ気分に浸ってみたい。
別に一日でもいいので。。。
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ミッドナイト・イン・パリ  ウディ・アレン

2012-05-30 22:01:29 | 映画(自分好みベスト100)
ウディアレンの新作映画「ミッドナイト・イン・パリ」を劇場で見た。

大人のおとぎ話のようで実に快適な時間を過ごせた。
大満足だ。


いきなりパリの観光案内のように人気スポットをスライドのように映しだした後、主人公(オーウェン・ウィルソン)と婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)がモネの絵から飛び出たような蓮の池で一緒の場面からスタートする。

主人公は脚本家であるが、小説で名を成そうと奮闘しているところ、今回はフィアンセの両親の仕事上の出張に合わせてパリに遊びに来た。共和党右派のフィアンセの父親とはウマが合わない。そんな時、フィアンセの大学時代の友人(マイケルシーン)夫婦から一緒に観光しようと誘われる。ロダンの「考える人」の前で、ガイド(カーラ・ブルーニ)に対して知識人ぶって解説する男をいやらしく思っていた。
そんな連中と一緒にいても楽しくない。主人公は一人で夜のパリの街を散歩にでた。



しばらくして、ホテルへの帰り道が分からず迷ってしまった。その時12時になったのを知らせる鐘がなる。目の前を1920年型プジョーが走る。中に乗っている連中は少し酔っているようだ。一緒に乗らないかと誘われて主人公は付いていく。ある店に入っていくと、服装が少しクラッシックだ。ピアニストが粋なピアノを弾く中で、夫婦と思しきカップルに声をかけられた。名をフィッツェジェラルドという。聞いたことある名前だと思ったら、作家だという。女性の名はゼルダ。偶然に驚く主人公はピアノ弾きがコールポーターだと知る。しかもここは店ではなくジャンコクトーの家なのだ。
そのあとお店を移る。ポリドールだ。横にいる男を紹介されたら、なんとアーネストヘミングウェイだ。ワイルドな振る舞いの彼とも意気投合する。しかも彼が小説を評価してくれるという。そうして初めて自分が1920年代にタイムスリップしていることに気づく。自分が書いている小説を取りに店の外に出たら迷ってしまう。戻った時そこに店はなかった。

翌日フィアンセにいいところがあるよと誘い、同じ場所へ行く。しばらく待ち続けたが、お迎えの車は来ない。いい加減にしてくれとばかりにフィアンセはホテルに戻る。あれは昨日だけのことだったのかと思った時、12時の鐘が鳴る。
同じようにクラッシックカーが走ってくる。乗っていくと、文壇のサロンのようなところについた。ヘミングウェイがいる。女性のサロンの主ガートルード・スタイン(キャシーベイツ)が芸術を語る中、そこにいる画家はパブロピカソだ。彼がモデルとして描く女性(マリオン・コティヤール)は愛人だ。美しい女性アドリアナは今までの恋の話をしてくれた。そして彼女にも魅かれていく。



こんな日が毎日のように続く、夜になると外出する主人公をみてフィアンセの父親が心配になってきた。彼の後を追う探偵を雇うのであるが。。。

いつものようにウディアレンが出ていなくても主人公に自分の分身のようなセリフを話させる。機関銃のようなアレンのセリフが続く。「知識人を装う男」との会話にウディアレンらしい皮肉がたくさんこめられている。「アニーホール」のころから全く変わらない。ウディらしい会話が続いていると思っていたら、古いプジョーが突如現れる。
そこからは完全に大人のおとぎ話である。ずっとドキドキしっぱなしだった。

たくさん語りたいので続く。。
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嵐を呼ぶ男 石原裕次郎

2012-05-30 07:41:05 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「嵐を呼ぶ男」は石原裕次郎主演の昭和32年の作品だ。

「おいらはドラマー、やくざなドラマー。。。」で始まる主題歌はあまりにも有名だ。
映画自体は稚拙な部分が目立ち、演技も今一つで荒削りであるが、初期の石原裕次郎から発せられるオーラは凄い。
彼の初期の代表作である「狂った果実」や「太陽の季節」はいずれも白黒であるが、この映画はカラー(総天然色)、いきなり映されるシーンは日劇横日比谷側から不二家や森永のキャラメルの広告塔をカラーで映す。白黒はあってもカラー映像は意外に少ないかもしれない。
昭和32年は映画「三丁目の夕日」の一作目の設定と同じだ。昭和30年代初期の東京をカラーで見るということでも価値が大きい気がする。

銀座でクラブを経営する女支配人(北原三枝)の店では日夜人気バンドによるジャズが演奏されていた。人気のドラマーチャーリー(笈田敏夫)はギャラのアップを要求していた。元々支配人とドラマーは付き合っていたが、ドラマーはダンサー(白木マリ)に手を出していた。ある夜ドラマーは出演を拒否する。すでに別のところで契約が決まっていたらしい。ドラマーがいなくなって困る支配人であるが、兄貴を弟が売り込みに来ていたドラマーのことを思い出す。
そのドラマー正一(石原裕次郎)は銀座を流していた男だ。ケンカに明け暮れる毎日を送っていて、その日も留置場にはいっていた。支配人は身元引受人になり、ドラマーは留置場を出て、店でドラマーの穴埋めをした。自由奔放で、腕の立つ彼はバンドとの息もあい、人気が上昇する。
人気が上昇したのには元のレギュラードラマーは面白くない。ドラム合戦を提案して、正一もそれを受ける。ところが、ドラム合戦の前夜銀座の夜の顔役にからまれて、ケンカしてしまった正一は腕をけがしてしまうのである。当日手が負傷のまま臨むのであるが。。。。


ストーリー自体はどうでもいい話だ。ただ、ここで映る映像は取り上げたいことが盛りだくさんにある。
女支配人の家を映す。居候している石原裕次郎が朝食を食べようとする時、トースターやジューサーが映像に映し出される。昭和32年であれば、ほとんどの家庭にはいずれもなかったはずだ。特にジューサーの中のオレンジジュースは総天然色映画であることを意識してか、鮮明な色で映し出している。石原が住むアパートとの対比を通じてあこがれの世界を映し出すのも大事な映画の役割だ。


石原裕次郎はまだまだ荒削りで、演技もうまくない。それでも強烈なオーラを出す。「嵐を呼ぶ男」を歌うシーンは圧倒的かっこよさだ。歌い始めるシーンは背筋がぞくっとする。
何より驚くのは彼の足の長さだ。この映画から50年たった最近では決して珍しくないが、チビで短足の日本人男性の中でひときわ足が長い。他の出演者とのコントラストに驚く。

北原三枝は割と普通、むしろ白木マリの色気あふれる振る舞いが印象に残る。
豹柄のビキニもどきの姿でストリップのような情熱的なフロアダンスを踊る。後ろでドラムスをたたく石原裕次郎に対して、強く挑発するような視線を送る。控室でダンスを踊る服装を脱ぐシーンがある。当然バストを見せないが、当時としてはぎりぎりのエロチックな表現だ。

音楽の基調は正統派エイトビートのジャズが中心だ。でもこの映画入ってすぐ平尾昌晃がいきなりロックンロールを歌う。出演者としてのクレジットではない。まだデビュー前でジャズクラブで歌っていたリアルな姿だ。有名な「ウェスタンカーニバル」はこの翌年からはじまる。これもずいぶんと荒削りだ。紅白歌合戦でラストの「蛍の光」を指揮する姿を誰が想像できたであろうか。

笈田敏夫は元々ジャズシンガーだ。このころの彼はやくざと思しき眼の鋭さで、晩年の枯れ切ったロマンスグレーのキザじいさんの面影が少ない。渡辺プロの社長の渡辺晋さんがドラム合戦のとき、ウッドベースを演奏しているのも印象的だ。当時の日活映画常連岡田真澄も裕次郎の後ろで演奏する役柄だ。
銀座の顔役を演じる安部徹、高品格の渋さはここでも光る。高品が演じるチンピラを麻雀放浪記の出目徳役や晩年のテレビに映る姿と対比するとおもしろい。金子信雄はここでもせこい役だ。仁義なき戦いの親分役と大して変わらない。この辺りからキャラが確立していたのかもしれない。

生まれ育った五反田では日活の映画館は今の東興ホテルの裏側あたりにあった。大映や東映に比べると父や母と行く回数は少なかった。演奏の映像と音楽があっていない。格闘シーンにリアルな感じがない。今の映画の進化を知っているので稚拙と感じるが、初めてこの映画を見た若者たちは強烈な衝撃を受けたんだろうなあ。
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