後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

何故、外国にこだわるか?

2007年11月18日 | 国際・政治

「菊と刀」を読んで衝撃を受けない日本人がいるだろうか?ベネデクト女史は日本を訪問したことが無い。在米の日本人、戦争捕虜と会話を交わし日本人の本質を客観的に淡々と描いている。日本文化の善悪を論じない。自分の好き嫌いを表明しない。事実のみを明快にそして体系的に、どの国の人が読んでも分かるように書いてある。戦後マッカーサーの占領政策へ大きな影響を与えたと言われる本である。

ベネデクト女史が外国の文化や考えかたの善悪を論じないのは何故か?違う地域の文化を比較するのは意味があるが善悪を論ずるのは馬鹿馬鹿しいことだ。と教えているような気がする。太平洋戦争に負けた日本人がアメリカ文化を崇拝していた当時ではこの意味がよく理解出来ない。アメリカのすることはすべて素晴らしい。そんな風潮が戦後、20年位横行していた。しかしアメリカへ留学し住んでみるとアメリカには良いことも悪いことも混在しているという実感を持つ。そうか、それでベネデクト女史は日本人の善悪を論じなかったのか。やっと理解出来た。体験しないと分からないのは人間の一般で恥ずかしいことではない。

そこから「どんな国の文化にも必ず良いとこ悪いとこが混在している」という確信が生まれる。

いきなり話は飛ぶが最近テレビ番組に「ケンミンショー」というものがあり全国の種々な県のおかしな生活習慣を紹介する番組があり笑いが止まらない。この取材態度と編集方針が「菊と刀」のように善悪を押し付けていない。実に良質な笑いである。(この項は続く)


外国体験のいろいろ(7)

2007年11月18日 | 旅行記

           ◎科学研究と経済活動

安井曽太郎の昭和25年の「孫」と題した少女像も傑作である。この絵は少女のパーソナリテーを浮き彫りにし、その後の人生を暗示している。「玉虫先生像」、「金蓉」、「外房風景」、「孫」など曽太郎画風確立以後の傑作のみの展示であれば、曽太郎氏の絵の面白みや深みが理解されない。才能豊かなある東洋人が西洋の芸術を受容して帰国。その脱却と独自の境地の確立に苦悩したすべての時期の作品を展示することが重要である。没後五十年・安井曽太郎展を企画した方々の考えの深さに感心する。

           @家元文化か仮説提案か

絵画の世界のみではない。科学の研究にも東洋流と西洋流がある。日本では茶道や華道のように模倣を重んずる家元制の文化が重要である。日本流の科学研究では西洋の有名科学者を模倣した実験が重視される。この模倣を重視した実験科学「道」に忠実である限り高く評価される。実験結果がその分野の学問の進歩にとって重要であるか否かは問題にされない。ひたすら精魂込めて誠実に実験に打ち込んだか否かが評価される。

西洋流では、ある分野の学問の進歩にとって重要な仮説を提案すると高く評価される。実験はその仮説を証明する程度でよく、精魂を込めて実験に打ち込んだか否かは問題にならない。

東洋流科学研究の進め方と研究論文の構成にすれば、日本国内での評価は上がる。しかし欧米の国際学会で発表する場合は、欧米流の研究の進め方と発表論文の構成にするのが肝要である。このような使い分けは可能であるが、西洋流を脱却して独自の学問を確立できる研究者は数少ない。こういったことを考えると、安井曽太郎氏がいかに偉大であるかが分かる。

         @株主利益か組織大事か

経済活動の東洋流と西洋流についても一言。最近マスコミを賑わした堀江貴文氏の経済活動はアメリカ的西洋流。それに抵抗したフジテレビの日枝久会長の活動は日本的東洋流。アメリカ流は株主・資本家の立場にたち会社の分割・売買は善であり、日本流では会社は封建時代の藩のように運営するのが善である。分割・売買などは、とんでもない。

経済活動も分野が広く、IT産業、大型設備産業、自動車製造業、各種サービス業と種々の分野でアメリカ流と日本流の様相が異なる。どちらがよいのか、あるいは倫理的に善であるか否かは、産業分野と時代の変化によって変わり、とどまることをしない。

私が監査役として働いていたベンチャー会社は実にアメリカ的経済活動であり、最近会社全体をあるIT企業に買ってもらうことにし、その内容をプレスリリースで発表した。このような会社売買は、堀江氏のように先方に相談しないで買収しようとする敵対的買収とは違う。友好的会社売買は現在、日本のベンチャー企業では広く採用されつつあるアメリカ流経済活動である。

ただ、社員個人は東洋流と西洋流のはざまで苦悩する場合もある。いつの世でも東洋と西洋の融合は難しい。(終わり)