◎アメリカの離婚―光と陰
オハイオ州コロンバス市で結婚式の世話をしてくれた友人夫妻と先生夫妻がしばらくして、ともに離婚した。自由・平等の国アメリカには離婚の自由もある。しかし、離婚で生ずる子供の犠牲、悲劇への友人の巻き込み、経済的損害などを考えると、離婚の自由には代償が大き過ぎる。
われわれの結婚式場の予約をし、式では付添い人をし、結婚祝いのシャワーをしてくれたのは友人のジャックと奥さんの金髪美人ナンシー。料理上手で、服も自分で縫い上げる。数学が得意で、その才能を発揮できる会社で働きながら二人の子供を育てていた。センスのよい自宅へ呼ばれたが、カクテルシェーカーでマテーニを作ってくれた時のナンシーの優雅さは脳裏に焼きついている。
4、5年後、東京にナンシーから突然の航空便。夫が浮気をしたので離婚した。いま子供二人を連れて行商のような仕事をしながらアメリカ中をさすらっている。田舎町の行商旅の悲しさ。夫のいない三人だけのわびしいホテルでの夕食の様子などが細かに書いてある。悲劇的な映画の場面を見ているようである。何度もそのような手紙が来た。そのたびに勇気付ける手紙を家内が出していた。
ナンシーから手紙が来なくなった。再婚したに違いない。子供が二人いてもスレンダーな金髪美人である。再婚できないはずがない。一方、あんなに親切だった夫のジャックからは手紙が来ない。夫にも言い分があったはずだが、ジャックは沈黙でよく耐えた。
@離婚と職場の関係
離婚は個人的な悲劇にとどめよう―それがアメリカ社会の約束である。しかし、恩師夫妻の離婚のように職場を巻き込むこともある。離婚されそうになった奥さんのメアリーが夫と同僚のスミス教授に相談。恩師夫婦の離婚は成立し、その後スミス教授は離婚の相談に来たメアリーと結婚。恩師は若い婦人と再婚した。スミス教授の前の奥さんははじき出された形になり、消息は伝わってこない。
この騒動の後、オハイオを訪問した。友人が一部始終を話してくれた。「あす大学に行くが、恩師に会った時、何って言えばよいの」「何も言うな。一切知らなかったことにするのがよい」「恩師の前の奥さんには大変お世話になったので、家内からのお土産を持って来たが」「今晩、その奥さんの再婚先の家へ連れて行ってあげる。でも離婚のことは話題にするな」
大学で共同研究の相談をしている時、メアリーと結婚したスミス教授がそっと私を呼び出して、「先日は家内を訪問してくれてありがとう。東洋人は恩を忘れないと家内が喜んでいたよ」
@離婚後の付き合い
夫婦が別れた後は顔も見たくないというのが洋の東西にかかわらず本音であろう。しかし離婚の多いアメリカでは「離婚の自由」が「離婚後はお互い友人として付き合い、社会生活では離婚による差別はしない」という規範に支えられている。悲しい偽善のように思えるが…。
離婚した恩師はその後、学科主任になった。学科主任は毎年二回ぐらい教授と学生を自宅へ招くのが普通である。離婚した前の奥さんメアリーも招待しなければいけない。招待を受けたら出席するのが義務だ。パーテイーでは友人同士として明るく話し合う場面を見せなくてはいけない。
前の夫が学科主任になり、その部下になった現在の夫スミス教授のためにも晴れやかに談笑するつらさは察するに余りある。それが証拠に、その場面が済むとパーテイー半ばにもかかわらず引き揚げる。親しい教授に「前の奥さんがかわいそうだ。帰る時そば行って慰めてやりたいが」「やめなさい。帰るのに気が付かない振りをするのが親切というもの。それがアメリカのルールさ」
皆ホッとして、これで米国社会は健全だとも思うのか一段と楽しそうになる。その後は日本の「二次会」のような雰囲気になる。パーテイーをする家の前庭には大きな星条旗が風に揺れ、少しずつ遅れて到着する参加者を歓迎している。旗は何も言わないが、「自由と平等の国アメリカを忘れないでね」というメッセージを語りかけている。(終わり)