外国体験のいろいろ(4)
◎ホンダバイクの奔流―サイゴン
1994年、サイゴン、夏の夜のこと。目前の大きな通りいっぱいに、ホンダの50ccバイクが爆音をとどろかせ、後ろに三、四人乗せて大河の奔流のように流れて行く。ほかに楽しみのないベトナム人家族の夜の娯楽である。1976年、米軍がサイゴンを放棄し、ヘリコプターで最後の脱出をしてから18年。
立ち尽くす私の頬を静かに、しかし止めどなく熱い涙が流れる。平和って素晴らしい。フランス、アメリカとの三十年に及ぶ戦争い勝ったベトナム。しかし血の代償は大きかった。ハノイ市郊外の山並みを低空で飛ぶ米空軍の戦闘機を打ち落とした、元ベトナム兵の話を思い出している。先の大戦の終戦間際の東京空襲を思い出すがよい。
@ホーチーミン記念館
ハノイでガイドをしてくれたベトナム人の若者はいいかげんなやつで、ホテルに迎えに来る時間は遅刻ばかり。道案内もでたらめで、とにかくやる気がない若者だった。こんなやつにはほかの国でも会ったことがない。そんな若者に、「君、ベトナム人が一番尊敬しているホーチーミンの記念館に、あす案内してくれないかね?」と頼んでみた。
いつもは汗臭いシャツ姿の彼が背広姿をビッシと決めて、ホテルのロビーで朝早くから待っていた。ホーチーミン記念館へ私を案内するのがそんなにうれしいのだろうか。喜びに絶えないといった様子で、私を引っ張るように連れて行く。締め慣れないネクタイを何度も直しながら道を急ぐ。
記念館には、ホーチーミンの写真やディエンビンフーでフランス軍を壊滅したグエンザップ将軍の写真などが、生前に使っていた家具や文房具類とともに展示してあった。記念館を出る時、たくさんの横長の旗が生暑い風にハタハタとなびいているのに気付いた。文章が書いてある。「なんて書いてあるの?」。「いいかげんな案内人」は目を潤ませて、「ホーチーミンはベトナム人の胸に生きている。いつまでも生きている」と読む。
この叙情的な文章は本当にベトナム人の本音。美しい文章である。
@残留日本兵の活躍
ベトナムは先の大戦の前、仏領インドシナと言ってフランスの植民地であった。ドイツ軍のフランス占領に連動して、ドイツと同盟関係にあった日本軍が同地をほぼ無血占領。 こういった事情もあって、戦後日本に帰らず、ベトナムに残留した日本兵が多くいた。
ベトナムに残留してホーチーミンの部下としてフランス軍と戦った、そういった日本人の話を聞いたことがある。特攻隊として散華した日本人も偉かったが、東南アジアの国々、あるいは中国大陸に残留して、欧米列強に対する独立戦争に参加した日本人も尊敬すべきである。
米国を追い出したベトナムは1986年、共産主義の間違いに気付き、市場開放、資本主義化政策の導入を決定した。いわゆるドイモイ政策の導入である。まだ中国ほどには経済は発展をしていないが、もっと発展をしてもらいたい国である。
アメリカはベトナム戦争で文化が変質した。韓国は軍隊を送って血を流した。ボートピープル救済のために、アメリカやドイツの民間団体はベトナム沖に大型客船を常駐させていた。ベトナム戦争を日本人は少し忘れすぎてはいまいか?