後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

『アジアの布展 インド刺繍の世界』のご案内(転載です)

2008年11月16日 | 写真
『アジアの布展 インド刺繍の世界』のご案内
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地図はクリックすると大きくなります!
 案内状にありますように 神田小川町にあるギャラリー『TEORIYA』にて
 12月8日から12月13日まで 展示会『アジアの布展 インド刺繍の世界』を
 開催いたします。

 インド ラジャスタン・グジャラート、パキスタンのアンティーク刺繍布、
 刺繍を施したシルクショール、シルクサリー類の展示も行います。
 インドの美しい工芸、手仕事の世界を味わって頂きたいと願っています。

 ** 野蚕のシルク布を使った洋服類、ネパールの手編みのウールセーターも
     用意しました。
     これらの商品に関しては 半額セールで売り出します。**

 インドのバザールのような雰囲気が出せればとも考えています。
 会場では インド ラジャスタンのフォークミュージックも流し、
 お越しの皆様には インド的世界を味わってもらおうと企画しています。

 どうぞ皆様、こぞってお出かけください。
(以上は、ひかるのさんのブログhttp://asiancloth.blog69.fc2.com/からの転載です。)

欧米と日本のタレントを見る人々の心の違い

2008年11月16日 | うんちく・小ネタ

今日は日曜日。タレントに関するマタイの福音書の朗読と説教を聞いた。ある金持の主人が旅に出る前に、僕(しもべ)を呼び、ある僕には5タラントン預け、他の僕には1タラントンの現金を預けた。ながい旅行から帰ってみると、5タラントン預けた僕はそれで商売をして5タラントン儲けて10タラントンを主人へ差し出した。1タラントンだけ預かった僕はそれを大切に地中へ埋めて保管し、主人が帰ってきたとき掘り出して返した。

さてどちらの僕が主人に褒められたでしょうか?日本人の道徳観からすると主人から預かった大金(1タラントンはほぼ8000万円くらい)を勝手に使って商売をした僕はいけないと思いませんか?忠実に保管し、大金へ手をつけなかった僕の方が信頼したくなりますね。ところが主人は預けた大金を勇気をもって使い、商売をした僕のほうを褒め、重用します。地中に埋めて保管していた僕からお金を受け取ると、その僕を首にして放り出します。

人間が大切だと思ってだいじに持っているものは全て神が預けたもの。勇気をもってその大切なものを活用しなさい。そのほうが神に褒めらるのです。

それはそれとして、タレントの才を日本語では「天与の才」と言う時もあります。これは神の預けた才能に近いのですが、「与えた」と「預けた」との違いがあります。ここが案外、重要な違いかも知れません。

テレビで活躍する日本のタレントたちは、その才能を神からの預かりものと感じているでしょうか?

テレビを見ている我々は彼らの才能は神のものと考えながらみているでしょうか?俳優、女優、歌手、司会者、お笑い芸能人・・・などをタレントと呼んでいますが、彼らの芸を我々は感心しながら何となく見てはいませんか。見ている我々は芸人の才能をその人間のものと見がちです。

欧米人は神様の預けたものと、無意識のうちに感じながら、見て聞いて楽しんでいるのです。全員がそうだと言っているのではありませんが。少なくとも私自身は時々そのように感じます。

特に日本の芸人で、「神からの才能」を思い出すのは、美空ひばりの歌を聞くときです。天賦の才があるだけでなく、ひばりさんは死にいたるまでチャレンジを続けました。本人は神から預かった才能と考えていたか、いなかったは別にしてテレビを見ている私は神の存在を考えながらひばりさんの歌を聞いています。

素晴らしい妻や子供や孫を持っていたら、みな神様からの預かりもの。と言ってしまえば綺麗事に過ぎますね。テレビタレントはその才能を神からの預かりものと冷静に感じることが出来るのです。家族は有難いのですが近すぎる存在なのかも知れません。(終わり)


追憶の中の仙台(2)東洋館、いかり亭、観月亭、黒門下の湯など

2008年11月16日 | 日記・エッセイ・コラム

昭和11年年生まれで22歳まで仙台の向山という所に住んでいた。向山は非常に複雑な地形の小山が重なり合っている。市街地の南端を蛇行しながら流れる広瀬側の南側にあり、広瀬川の岸からいきなり高さ40、50メートルの断崖があり、その上にある。

したがって、向山の広瀬川ぞいの断崖の上に立つと、仙台の白い街が一望に見える。戦前はあまり住宅が無く、見晴らしの良い崖の上に料亭や割烹旅館がポツリポツリと散在していた。伊達家の御墓のある西端の瑞鳳殿のある峰から数百メートルずつ離れて、東洋館、鹿落温泉旅館、いかり亭、蛇の目寿司、広瀬寮、観月亭、黒門の湯、などがあった。いずれも市街地を見下ろせる風光の良い場所にあった。

南、後ろの八木山には昭和11年にベーブルースが来てホームランを打った八木山球場があった。八木山は市民の遊山の地だったらしく入口には「八木山観光自動車」という看板だけが残っている車庫があった。

これらの料亭が大繁盛したのは大正時代という話を聞いた。日露戦争から昭和4年の世界大恐慌までの約30年間ほどの間である。その後はすっかりさびれ廃業したものも多く、特に、いかり亭の豪華な庭や建物は子供の遊び場になっていた。

この料亭の庭には滝がながれ、深い池にはアカハラというイモリが住んでいた。よく取って遊んだ。

先日の仙台、愛宕中学校の同窓会へ「黒門の湯」の当主の息子さんが出て居たので追憶の火がついたらしく、いろいろ思い出されてくる。

現在はすっかり住宅街になり、このような料亭も無くなった。でも東洋館と鹿落旅館だけは現在でも営業している。

向山には金持ちが別荘も作ったらしく、大規模な廃屋が小山の上にあった。お化け屋敷と言って、よく探検に行った。

現在、向山へ行って見ると何も無い。当時の向山の面影が全然無い。住宅だけが並んでいて、広瀬川の崖の上にはマンションがいくつも聳えている。

昔の向山の様子を記録しているのも良いと思い記してみました。記憶違いなどがありましたならご訂正を御願い致します。(続く)下の写真は現在営業中の東洋館のホームページの表紙です。URLは:http://www.toyokan.jp/index.html です。

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