後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

寒そうに代々木公園で花々が咲いています

2008年11月11日 | 写真

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ここ2、3日は曇り。暗い雲が空を覆っています。気温も低く、12月のようです。今日、午後に代々木公園のそばを通りかかりました。木々が暗黄色になって、憂鬱な風景です。

寒気の中を少し散歩するのも良いと思い、車を止めました。冬オーバーと皮手袋で散歩していると、彼方此方に花が咲いています。よく見ると寒そうに身を縮めてひっそりと咲いています。花が咲いているところだけ明るく、ちょうどローソクがともっているようです。数枚の写真でご紹介します。(終わり)

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いよいよ「インド刺繍とインドサリーの展示会」がはじまる!

2008年11月11日 | うんちく・小ネタ

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私のブログ世界での友人の、ひかるの さんが久しぶりに日本へ帰り、東京の御茶ノ水の神田小川町の『TEORIYA』というギャラリーで、インド刺繍とインドサリーが中心の展示会を開催致します。

開催の期間は12月8日から13日までの予定です。ギャラリーTEORIYAの説明は、http://miasa.biz/link.html に御座います。

開場の日時が最終決定次第、もう一度ご紹介しますが、第一報としてここにご報告いたします。ひかるのさんにお会い出来るチャンスでもあります。

是非、お訪ね下さいますように御願い申し上げます。

敬具、藤山杜人


立川ぜん馬の江戸落語、らくだ

2008年11月11日 | うんちく・小ネタ

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昨日、横浜にぎわい座で、立川ぜん馬の「らくだ」を聞いてきました。上の写真の真ん中が、ぜん馬師匠でその右左が私の大学時代の友人のGさんとOさんです。Oさんがぜん馬師匠を応援していて、Oさんのご招待でした。高座のあとの飲み会での写真です。下の3枚の写真は横浜、桜木町の「横浜にぎわい座」の様子です。

久しぶりに40分にわたる江戸落語、「らくだ」 をじっくりと聞きました。静かな語りに引き込まれ、つい身をのり出して聞きました。

長屋の嫌われ者のらくだの馬さんが河豚にあたって死に、その弔いを、やくざな兄貴分がしようとします。偶然、来合わせた くず屋を、因業な大家さんのところへやって、上等な酒や野菜の煮しめを届けさせます。死んだ らくだの馬さんを くず屋が背負っていって家主の前で かんかんのうを踊らせて怖がらせたので、震えあがって、すぐに届けてきました。やくざな兄貴分が酒3升と大皿のにしめを前にしてくず屋へ無理無理酒を飲ませます。次第に酔ってきたくず屋は兄貴分にからんだり、脅かしたりします。主客転倒するわけです。

落語に登場する やくざな兄貴分、くず屋や因業な大家とそのばあさん、などの江戸時代の人物がいきいきと話しだします。江戸時代の長屋へ自分が立って見ているような気分になります。次第に酔ってきた くず屋が身の上話をします。借金の保証人にたったばかりに自分の店をなくしたと言います。しまいにはやくざな兄貴分へ大声を出します。上等な酒なのでつい飲んでしまったのです。

ぜん馬師匠の芸は人の心を落ち着かせながら笑わせます。酔っていく くず屋とやくざな兄貴分が次第に主客転倒して行きます。その間合いが絶妙です。登場人物の個性を演じ分けます。ああこれが江戸落語だ。テレビでは見られない芸だ。

そんな感じで江戸の下町へ遊びに行ったような気分になります。

高座のあとの酒席で ぜん馬師匠は向かいに座っていました。終始控え目にニコニコ笑っています。テレビなどとまったく別世界の江戸時代の気の良い職人のようです。小生の隣に座った奥さんが独りで喋っています。

ぜん馬さんは立川談志名人の一番弟子だそうです。10年に一回しか褒めない談志師匠に「ぜん馬は落語が上手だ」と褒められたそうです。奥さんが言ってました。

帰宅して夜10時からのスマップの番組へ立川談志名人がゲストとして出ていました。談志名人は弟子をたくさん育てました。弟子達の写真がでましたが、その中央にぜん馬さんの姿がありました。偶然とはいえ、同じ日に談志名人とぜん馬師匠に会えました。

尚、奥さんは「さこみちよ」という美形の芸人です。その芸の紹介は別の記事で致します。(終わり)

補足 「かんかんんのう」とは…(ウィキペディアから引用)

歌詞の大意は、「御覧なさい、あの人がくれた中国の知恵の輪「九連環」、両手で持って解いても解けやせぬ、刀で切っても切れやせぬ(後略)」江戸時代の文文政3年(1820)の春、長崎の人が難波で踊ったことから始まったことから「唐人踊(とうじんおどり)」と呼ばれ、名古屋、江戸でも大流行した。その歌詞の元歌となった「九連環」の一番の歌詞は、以下のとおりである。人々はこの元歌が中国伝来の歌であることは認識していたが、歌詞の意味は把握しておらず、中国語風の一種のナンセンス・ソングとして楽しんだのである。

「九連環」の歌詞。明治十年刊『月琴楽譜』より